人権擁護法案に反対する人たちは、国籍条項を付けよと執拗に要求している。
私は、この件に付き幾度か書いてきた。
再度繰返すが、国籍条項は不毛だ。
とある国籍を有していることが思想・信念・主義・人格・宗教etcなどを決すると考えている時点で、彼ら反対派の嫌悪するところの朝鮮半島の「日本人論」と何ら変わるところが無い。
国籍...それが、その人間を規定し思想を決することが可能だろうか・・・?
それは、問題ではないのである。
反対派が担ぎ上げている政治家や評論家は、もはや人数を数える気にならない。
例えば自民党に於いて
自民党 《真の人権擁護を考える懇談会》なるものがあるそうだ。
この中に「在日韓国・朝鮮人」は居ない。当然である。
国会議員になるためには「日本国籍」が必要である。
では、推進派と称される人の中に「在日韓国朝鮮人」は居るだろうか?
同様に皆無である。
では、何が問題なのであろうか?
それは、その推進派なるものが国籍ゆえに行動し、国籍ゆえに思想・信念が決せられていないことの証左である。(推進派なるものが存在した場合という意)
私には、何ら調査能力はない。しかし、「反対派議員」なる者の中に、元外国人(日本に於いては、元在日韓国朝鮮人)が居ないのだろうか?
私は、少なくとも現状認識(参考:
日本人は日本への忠誠を誓ったか?)に於いて、まずは日本人に国家忠誠義務を要求すべきと考えるところなのである。
同時に、人類への脅威である金正日政権の出先機関・俗に言う「朝鮮総連」が公然と自由に活動できており法的責任が追及されていないという状況下では、朝鮮籍の「朝鮮総連」関係者が俗に言う「人権委員会」への参加は「絶対に認めることが出来ない」。
金正日政権の出先機関・俗に言う「朝鮮総連」が公然と自由に活動できており法的責任が追及されていない結果、日本における朝鮮籍の方々は「朝鮮総連」に「反共和国的」「南鮮の手先と疑われる者」というレッテルを貼られた結果、文字通り命の危険が存した。
かような常習的継続的人権侵害団体の成員並びに、その影響下にある人間が参加することは、絶対に阻止すべきと考える。
また、金正日政権の出先機関・俗に言う「朝鮮総連」が公然と自由に活動させるという日帝<人権無視>政府の選択の結果、韓国籍に国籍を変更して隠す活動を行なう者が多数存在したという経緯から、韓国籍についても(日帝<人権無視>政府の無為無策の為に)制限するしかないという考えである。
だが問題は、これからである。
反対派が嫌悪しているのは、いわゆる「反日」チョーセンジンでありチョソであるというのならば「反日日本人」の存在は、どうするのか?
三木睦子は(ネットで暴れている坊主達には全く馴染みがないだろうが)三木首相の奥様であり、首相が生きていた時は「三木さんが当選して、首相にまでなれたのは奥さんが居たからだ」とはよく言われたこと。
彼女は、何世代辿っても
「チョーセン人」でも「チョン」でも「チュン」でも無いにもかかわらず・・・である。
全くといって良いほど「反日日本人」対策を考えていない。その能天気さは、あたかも「チョーセン人」たちが、日本大使館の前で「火だるま」になり、指を切落とし、タマゴを投げれば何かが解決するかと考えているかのごとくの、能天気ブリである。
反対派と呼ばれる人たちが、免責的に「親日の在日」などと書くのは、あたかも自分たちが「親日日本人」であるかのごとくの錯覚を招く。
果たして、自分たちが今まで、そして現在に於いてどれほどの「親日日本人」であるのか?
私が「反対派」と称して「団結」や「工作員認定」や「内ゲバ」や「政治家にメールや手紙を出すこと」で何か大きなことをしたようなつもりになっている「抗議する人々」にこれを問いたいのである。
あなた方は他人に反日だの親日だの認定できるほど「日本人」であるのか?
「日本籍」を有するだけで「日本人」というのであれば「反日日本人」と異ならない。
では、その差異とは何なのか?
私は国籍条項に賛成である。しかし、それ以前の、そして凡そ公務に就任する者に付き「憲法忠誠義務」ならぬ「国家忠誠義務」の実質化を願うのである。
そして、それは恐らく法文でも規則でも、ましてや憲法でも実質化できない「何か」が必要であると感じている。(憲法は国家理念の集大成であるともいえるので、その差異に付き無意味のような気もするが・・・)
日本に於いて、その「何か」とは、日本に於いては常に『危機』ではないかと思っている。
最後に
<人権擁護法案に必要なのは国籍条項ではなく国への忠誠である>
とだけいって締めくくる。
(日本の場合、「くに」への忠誠とでも言った方が的確なのかもしれない)
(画像お借りしました、てんこもりさんゴメン)