private opinion

next live 12.14 高円寺showboat(S)

スタンダード

2005-12-13 13:54:54 | 教室
人間のスタンダードというモノを考えた場合、物心ついた頃からそれは自分の事だと思っていた。
ここで言う人間のスタンダードとは、物の考え方や性質の基本型を理解しているという意味である。
怒りっぽい人、生真面目な人、騙されやすい人、ホモっぽい人や高い所が好きな人。
それら数え切れないありとあらゆる性質を総ての人間が全てを持ち合わせている。
それらを仮想のレーダーチャートに見立てたとすれば、俺のグラフは見事な円形を成す。
その俺のグラフの円形こそが人間のスタンダードであり、人類総ての基本型は俺なのだと思っていた。
幼少の頃にたまにある両親の諍いや親戚付き合いのトラブルなんかに
「それはねぇ、〇×さんが少し我慢すればいいんだよ」
とか言って「子供は黙ってろ!」と怒鳴られた事がある。
大人って馬鹿だなぁとそういう場面に居合わせる度に感じたものである。
それは一つの例え話でしかなく、万事に於いて、人間の観察眼に於いて、人の付き合い、関係全てに於いて、俺がスタンダードだと思っていました。
つい最近まで。
なんなんだろう、このバカみたいに勝手な選民意識のような思い上がりは、と思ったりしたが、
しかし言い換えればそれは自分を基準に他人を見るという事であり、殊更意識しないで誰もが何処でもやっている事でありむしろ健全である。
俺の場合はどういった具合か自分のスタンダードに根拠の無い自信に裏付けされた大いなる勘違いというオプションを付けてしまった。
笑えない話だよねぇ。
ある人のスタンダードの中では俺の人格はワガママで自分勝手な人と認識され、それは揺らぎようのない事実なのだと言う。
ええ?! うそん!
そこでハタと冒頭の文章に思い立ち、抜けるような青空の下、しばし途方に暮れてしまったのである。