ゴアさんぶらり

大分県に住んでおもった。

ムッちゃん平和像

2005年07月23日 13時27分40秒 | まち歩き
大分県立芸術会館のある平和公園の端の方DSC439
ワンパク広場にあります「ムッちゃん像」です。

こっちに来てからネットで大分をチラチラ調べてて
ちょっとだけ知ってたんですけどね。
ここにあるとは知らなかった。

すごく広い広場なんですが
献納された千羽鶴が鮮やかで一目でわかりました。DSC438

「ムッちゃん像」は大分の平和のシンボルで
この像だけじゃなく、歌、映画、絵本など大人から子供まで
皆に理解されるように目に、耳に入るようになってます。

学校教育にも取り入れられていて
小中学生達が作った千羽鶴を献納したり
弁論大会とか合唱とかもあるらしい。

大分大学では定期的にムッちゃん像の
洗浄、着色補正、蜜蝋によるワックスがけが行われ
定期的にメンテナンスをしてるんだそうです。DSC440

終戦記念日はもうすぐ、
8月はこのムッちゃん像が建立されてから
行われ続けているムッちゃん平和祭も行われる

でも、まだ平和祭前なのに
献納された千羽鶴はまだ色が鮮やかだ
平和祭とは別に献納されてるのかな。

献花は日差しと暑さでダメになってるけど
そんなに月日が経ってる感じがしない
頻繁に取り替えられたりするのかも
地元の人とか大事にしたいって人が来てくれてるのかな。

今年は戦後60年で、節目の年
オラは30歳で、大分に来て節目の年
やっぱイロイロ考える。
恥ずかしいから書かないけどねw
みんなも大事にしたい気持ちはあるわいな。

60年後もムッちゃん像がありますように。

ムッちゃん平和像のご案内

この「ムッちゃん平和像」は昭和52年に新聞社が企画した
戦争体験記で京都に住む主婦が疎開先の大分で出会った
ムッちゃんの思い出の手記を投稿し、それが記事となって
掲載されたのが建立のきっかけとなりました。
横浜で両親と弟をなくし、大分のおばさんを慕って
疎開していたムッちゃん(当時12歳)は
肺結核を患い、飢えと孤独の苦しみの中、終戦直後
西大分駅近くの防空壕の中で一人寂しく死んでいったという
この戦争悲話は全国的な反響を呼び、ムッちゃんの記念像建立にと
各地から多くの寄付金が寄せられ昭和58年の8月に
ここ平和公園ワンパク広場に建立序幕されました。
二度と戦争による悲惨な惨禍を繰り返さないためにも、
この平和像建立を機に平和への誓いを新にするとともに
平和像が恒久平和のシンボルとして皆様に愛され、そして
平和の輪が更に広がる事を願っております。
                     ムッちゃん平和像のご案内より抜粋



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