別府駅のホームをすこし福岡方面に歩くと、
西口方面(山方向)に見えます。
岡本太郎作「緑の太陽」
です。
このビルが建設されたのは1969年
大阪万博が開催された前の年です。
その際に、このビルのオーナーが
別府駅から見えるところにインパクトが欲しい
という事で岡本太郎さんに直談判したところ
快く引き受けてくれたそうです。
この時あの有名な大阪万博「太陽の塔」を
製作中だったにもかかわらず。
突然の依頼をなぜ引き受けてくれたのかと言いますと
岡本太郎さんの両親である漫画家の岡本一平さんと
小説家である岡本かの子さんが、別府を大変気に入っていて、何度も何度もその様子を岡本太郎さんに話していたそうなんです。
両親の思い出の別府のビルの壁面を飾れるのは嬉しいと、
上機嫌で引き受けてくれたそうですよ。
しかし、壁画制作上どうしてもビルの大きさが
足りない事がわかりました。
それを知ったビルのオーナーは、
もうビルは完成しているのに
足りない部分を追加建築をしてくれたんだって。
よーく見ると継ぎ目がわかりますが
これもこの話を聞くとこのビルだったからこその
作品の暖かさの一部に見えるよね。
神奈川にいるときは、わりと身近に岡本太郎さんの作品があったから、彼の作品を前にするとなんだか落ち着くよ。ここにあって嬉しかったなぁ。
駅から近いし、もちろん見るのはタダだから
バスを一本遅らせても見る価値はあるとおもいます。
場所は大体この辺にあるよ。
西口方面(山方向)に見えます。
岡本太郎作「緑の太陽」
です。
このビルが建設されたのは1969年
大阪万博が開催された前の年です。
その際に、このビルのオーナーが
別府駅から見えるところにインパクトが欲しい
という事で岡本太郎さんに直談判したところ
快く引き受けてくれたそうです。
この時あの有名な大阪万博「太陽の塔」を
製作中だったにもかかわらず。
突然の依頼をなぜ引き受けてくれたのかと言いますと
岡本太郎さんの両親である漫画家の岡本一平さんと
小説家である岡本かの子さんが、別府を大変気に入っていて、何度も何度もその様子を岡本太郎さんに話していたそうなんです。
両親の思い出の別府のビルの壁面を飾れるのは嬉しいと、
上機嫌で引き受けてくれたそうですよ。
しかし、壁画制作上どうしてもビルの大きさが
足りない事がわかりました。
それを知ったビルのオーナーは、
もうビルは完成しているのに
足りない部分を追加建築をしてくれたんだって。
よーく見ると継ぎ目がわかりますが
これもこの話を聞くとこのビルだったからこその
作品の暖かさの一部に見えるよね。
神奈川にいるときは、わりと身近に岡本太郎さんの作品があったから、彼の作品を前にするとなんだか落ち着くよ。ここにあって嬉しかったなぁ。
駅から近いし、もちろん見るのはタダだから
バスを一本遅らせても見る価値はあるとおもいます。
場所は大体この辺にあるよ。
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