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きまぐれ日記「あばよ昨日、よろしく未来」

西武ライオンズと鹿児島をメインに更新していきたいと思います。

プロ野球オールスター第2戦

2006年07月24日 23時23分43秒 | スポーツ!
■全パ4-7全セ(23日) 全セ打撃戦制し2連勝■
 全セが両軍合わせて3本塁打を含む29安打の打撃戦を制し2連勝した。
 全セは3-4とされた直後の6回にシーツの中越えソロで同点。8回はシーツ、アレックスの連打で2死二、三塁とし途中出場の藤本が2点左前打して勝ち越した。9回は李承☆の右犠飛で加点した。全パは得点した直後に失点し、6、7回の好機も生かせなかった。
 全 セ 010 201 021-7
 全 パ 002 020 000-4
 ▽勝 永川1試合1勝
 ▽S クルーン2試合2S
 ▽敗 馬原1試合1敗
 ▽本塁打 森本1号(2)(黒田)アレックス1号(2)(涌井)シーツ1号(1)(八木)
 (注)☆は火へんに華

鹿児島の青野がんばる!

2006年07月01日 00時09分43秒 | スポーツ!
前回、鹿児島出身のロッテの青野選手がプロ6年目にして初ホームランを満塁弾で飾ったのは記憶にあたら良いが
今回もやってくれました!!
今回もプロ2本目となるホームランを満塁弾で飾り、しかも鹿児島出身の先輩に当たる田之上から!
うーん、なかなかやってくれますね(^^)
今後に期待です!!

■青野 プロ2号がまたも満塁弾!■
 【ロッテ7-3ソフトバンク】ONすら成し得なかった“歴史的一発”がチームの連敗を止めた。2回無死満塁。打席に向かう青野に西岡が「ちょっと行けよ」と耳打ちした。同郷、鹿児島の11歳先輩となる田之上がカウント2―2から投じたストレートを強振。高々と舞い上がった打球は右中間スタンドに突き刺さった。
 「三振だけは絶対しないようにストライクが来たら全部振っていこうと。いい感じで打てたので“抜ける”とは思ったけど、まさか入るとは…」
 6月14日の横浜戦ではプロ6年目で待望の第1号が満塁弾。そしてプロ2号がまたもグランドスラム。「2本目のホームランも満塁なんて…。自分自身が一番驚いてます」。無理もない。プロ1号も2号も満塁アーチというのは半世紀を超える日本プロ野球史上で初の快挙。入団当初は三塁を本職にしたがエラーを連発。2年目の春季キャンプではストレス性の顔面神経痛で緊急入院するほど精神的に追い詰められた。そんな男が4年ぶりの1軍で球史に新たな一ページを刻み込んだのだ。
 サプライズはこれだけにとどまらなかった。この日、アパホテル東京ベイ幕張を開業した元谷芙美子・同社社長が観戦。ド派手帽子がトレードマークのカリスマ女性社長から試合後「ご褒美よ」と自らの首に着けていたキュービックジルコニアのネックレスを手渡された。「合成石なので10万円もしないもの」(関係者)というが、月給約40万円の青野にとっては“真夏のボーナス”となった。
 ≪3発献上も 小野1カ月ぶり勝利≫小野が5月30日のヤクルト戦(千葉マリン)以来の5勝目を挙げた。ソロ本塁打を3発浴びたものの、9回1死一、二塁で小林雅にマウンドを譲るまで粘りの投球を続けた。「チームが連敗中だったし(千葉県内の)幼稚園の子供たちをスタンドに招待していたので絶対に負けられなかった」。自らが先発した6月20日の阪神戦(甲子園)から始まった6連敗を止め、ホッとした表情だった。
 <ソフトバンク 序盤の5失点に王監督ムッ!>今季初の5連勝がならず、1日で首位の座を西武に明け渡した。田之上が喫した序盤の5失点に王監督は「ウチの許容範囲を超えちゃったよ」とおかんむり。今季の打線では、これだけの劣勢ははね返し切れないからだ。5月6日の西武戦(インボイス西武)での勝利を最後に、土曜日の試合は8連敗。「16本(安打)も打たれちゃ、しゃあない。内容としては一方的だったね」と完敗を認めていた。(スポーツニッポン)

鹿児島の選手が活躍すると

2006年06月14日 23時02分55秒 | スポーツ!
鹿児島出身の選手が活躍すると気持ちの良いものですね。
最近では鹿児島出身のいろんな選手がスタメン定着で頑張っていますが
そんな中、本日頑張った鹿児島出身の選手が居ます。

ロッテの青野選手。
自分の記憶が正しければ
確か春の高校野球で決勝まで上がったような気がしますが・・・。
そのプロ6年目の青野選手がやってくれました!

【6年目・青野の1号は満塁弾】
<ロッテ8-2横浜>◇14日◇千葉マリン
 4回、ロッテは2-1と1点を勝ち越し、なお2死満塁で打席は青野。「(3四球で)満塁になって、相手投手が制球に苦しんでカウント2-3になったので、直球1本に絞った」とプロ1号は満塁本塁打となった。「打った感触は無我夢中で分からなかった。本人が一番驚いている」。
 イースタン・リーグで打率3割2分1厘、8本塁打の好成績をマークし、9日に今季2度目の1軍昇格を果たしたばかり。専門は内野手の6年目23歳だが、この日は左翼の守備に就いた。「今年が最後のチャンスだと思っている」という必死さが生んだ1発だった。(日刊スポーツ)


また
中日の鹿児島出身、福留くんが1000本安打達成。
おめでとうございます。
■福留が8年目で1000安打に到達■
<西武4-4中日>◇14日◇インボイス西武
 中日福留がプロ8年目で通算1000本安打に到達した。3回、西武ギッセルの変化球を左中間二塁打。祝福の花束を受け取った福留は「通過点と思っているけど、気持ち的に楽になった。次の目標は数字というより1本1本積み重ねて、なるべくたくさん打ちたい」と話した。

井上康生、復活!

2006年06月04日 22時50分50秒 | スポーツ!
やはり柔道界にはこの男が必要。
なかなか復活が出来ずにいたけど、やはりこの男「井上康生(宮崎県出身)」に柔道界は引っ張って貰わなければ!
先日全日本選手権で優勝した石井だろうが鈴木だろうが棟田だろうが、やはりこの男に日本柔道を任せて欲しい!!

■柔道 綜合警備保障が5年ぶり優勝 実業団体対抗■
 柔道の全日本実業団体対抗大会は最終日の4日、北海道立総合体育センターで男子1部のトーナメント戦を行った。右大胸筋けん断裂の重傷から1年5カ月ぶりに復帰の井上康生が出場した綜合警備保障が、決勝で新日鉄を4-1で破り、5年ぶり2回目の優勝。井上は3試合すべてに一本勝ちして、優勝に貢献した。
 ◇必殺の内また復活…井上康生
 511日ぶりに実戦復帰した井上。完全復活を告げる得意の内またが、初戦の1分4秒で飛び出した。投げ飛ばされた大金良二(ダイコロ)は東海大相模高の1年後輩。「やっぱり強いですわ」と舌を巻くばかりだ。
 必殺の内または、昨年1月の嘉納杯国際大会で大けがを招いた因縁の技でもある。片足で相手の内ももを払い上げるが、まず上半身で相手を崩すのがポイント。この日の切れ味を見るに、胸の状態は全く心配ない。
 シドニー五輪金メダリストが、「不安はあった」と明かす。1週間ほど前からは、練習中も緊張で体がしびれた。だが、いざ試合に臨むと不思議に体が動いた。井上は「畳に上がれる喜びが勝った」と自己分析する。
 昨年末に特別専任コーチとなった父明さんの存在も大きい。調子が上向かない息子に「(自宅がある)宮崎に帰る。(飛行機の)チケットを用意しろ」と怒鳴ったこともある。だが、この日のアドバイスは「喜びをどん欲に表現しろ」だった。
 その言葉通り、躍動した。準決勝の旭化成A戦では、一瞬のすきに泉浩を送り襟締め。昨年の世界選手権90キロ級を制した実力者を落としてみせる。決勝の新日鉄戦は、20キロ以上重い126キロの永井亮平を再び内またで豪快に投げ飛ばした。
 内またに始まり、内またに終わる。そこに、並々ならぬ復活への意気込みが伝わる。笑みが止まらない全日本男子の斉藤仁監督は、「太い柱がドーンと戻って来た」と表現した。【堤浩一郎】

すごいぞ清原 サヨナラ満塁弾

2006年05月27日 09時07分50秒 | スポーツ!
やはりこの男はすごいと思う。
なんだかんだ言われながらも結果を残す男、清原。
先日の4000塁打に続き初の交流戦サヨナラ満塁弾(まだ2年目ですが・・・)
誰よりも野球を愛する男に与えられたプレゼントかもしれない。

■清原「奇跡が」サヨナラ満塁弾■
 【オリックス7―6横浜】オリックス・清原和博が27日、スカイマークでの横浜戦の9回、4号逆転サヨナラ満塁本塁打を放った。サヨナラ安打19本、サヨナラ本塁打11本はいずれも野村克也(現楽天監督)に並ぶプロ野球タイ記録。史上初めてセ、パでサヨナラ満塁弾を放った選手となった。オリックスは清原を4番で起用してから4連勝。清原はよみがえったのだ。
 何度も、何度も右の拳を夜空に突き上げた。あまりにも劇的な幕切れ。清原の雄叫びが観客の絶叫にとけ込む。本塁上では仲間たちが待っていた。「プロ20年間で一番うれしいホームランかもしれん。(打てたのは)自分の力じゃないような気がする。声援を力に変えたら奇跡が起きました。ファンの皆さん、チームメート、仰木さん。そういう力がなかったら…」と清原。
 3点を追う9回1死満塁、清原の視線の先にはクルーンがいた。「普通、クルーンのあんな速い球は打てん。最悪なのはゲッツー。三振かホームランか…やった」。真ん中低めの152キロをジャストミートすると打球は右翼席中段へ。19本目のサヨナラ打と11本目のサヨナラ本塁打は野村克也に並ぶプロ野球タイ記録。セ、パ両リーグでサヨナラ満塁本塁打を放ったのは、長い球史の中でも清原だけだ。「ノムさんみたいな偉大な打者に並べてうれしい」と言う。タイトルはない。だが何度もファンの夢をかなえてきた。
 状況に応じて使い分ける2種類のバット。安打狙いの白のタイ・カッブ型と本塁打狙いの黒いハードメープル。第1、2、4打席では「白」を使い、第3打席と最後の打席では「黒」を使った。3点差の1死満塁。一発を狙い、一発を打った。目を潤ませた中村監督は「神業や。人間業じゃない」とうなった。
 「こんな日が来るとは思わなかった。野球をやめずにやってきて良かった!」2試合連続のお立ち台で清原が叫ぶ。この日も指名打者で出場したように、左内転筋の故障は完治したわけではない。再発の恐れもある中、24日の広島戦から志願の先発出場。チームはそこから上昇気流に乗り、これで4連勝だ。
 「1年分の仕事をした気がするわ。あすから休みたい(笑い)」。ファンからはどっと歓声が起き、球場は温かい雰囲気に包まれる。生まれ育った関西に戻り、本来の明るさを取り戻した。本来の勝負強さもまた取り戻したのだ。 (スポーツニッポン)

すごいぞ清原 通算4000塁打

2006年05月26日 09時13分44秒 | スポーツ!
記憶にもだが記録にも残った清原。
史上12人目とはさすがです!
怪我をすることなくこのまま記録を伸ばしていって欲しい。

■清原が通算4000塁打 史上12人目■
 オリックスの清原和博内野手(38)が26日、横浜1回戦(大阪ドーム)で、プロ野球12人目となる通算4000塁打を記録した。
 達成にあと「1」に迫っていた清原は、2回に三浦から右越え本塁打を放ち達成した。プロ初塁打は西武時代の1986年4月5日の南海(現ソフトバンク)戦で、藤本修二投手から本塁打を放って記録している。
 プロ野球記録は5862塁打の王貞治で、清原は4015塁打の山内一弘に次ぐ12番目。現役選手では最多となる。 (共同通信)

平成18年度全日本柔道選手権大会、鈴木敗れる・・・

2006年04月30日 00時03分05秒 | スポーツ!
この記事を読んで呆然とした。
まさかこんな大番狂わせがあるとは、と。
メディアとか情報を得ていない最近なので(問題ありですが…)
この石井の柔道スタイルや動きを見たことがないのでなんとも言えないが
この記事をただこれだけを読むと始めにも書いたようにただ呆然でした。

井上は欠場みたいだったんで
てっきり鈴木、棟田あたりの決勝を予想していたけど
若手の大頭著しい石井と今や柔道界のエース鈴木との決勝を予想。
しかし実際は・・・

文章を読む限りでは鈴木にスキが出来たか、と思うけど
やはりここは王者の貫禄でV3を成し遂げて欲しかった。
阻止し欲しかった。

でも逆に、山下以来の最年少チャンプの誕生に
客観的に観て喜ぶ事なのかもしれない。

ま、借りを来年返せ鈴木!!

■19歳石井が最年少優勝、鈴木を破る/柔道■
<柔道:全日本選手権>◇29日◇東京・日本武道館
 日本男子柔道に若き王者が誕生した。全日本選手権初出場の石井慧(さとし=19、国士大)が、3連覇を狙った鈴木桂治(25)を残り6秒で逆転し、19歳4カ月の史上最年少記録で初優勝を飾った。
 これまでの山下泰裕の持つ19歳10カ月の年少記録を6カ月も塗り替えるだけでなく、59の猪熊功以来、47年ぶりの初出場初優勝の快挙となった。「今度は自分の組み手で1本勝ちしたい」と、初優勝の感激に浸りながら、次の目標を掲げた。無類の練習好きで、全日本男子の斉藤監督や、国士大山内監督に泣きながら練習を直訴する努力家が、初めて挑んだ大舞台で大輪を咲かせた。

知らない間に・・・小関が。

2006年04月27日 00時23分36秒 | スポーツ!
いつのまにか西武を退団して巨人に入団してたのね(^^;)
記事を読めば・・・あれ?って感もあるけど
自分の印象では小関選手は足が速いというイメージ。
代走で起用されて多様な記憶があるけど。

でも巨人に入団できてなにより!
大リーグとの交渉もうまくいかなかったみたいで
そんな中、巨人のテストを受けて見事合格!
また1人、西武出身の選手の活躍を期待したいものです。

平成18年度 皇后杯全日本女子柔道選手権大会

2006年04月25日 00時06分06秒 | スポーツ!
あの逆転の押さえ込み1本、同じ柔道家ゆえに感動したのを覚えてる。
ちょうど今が全盛期か?
でもまだまだ続きそうな勢い。
日本のエース重圧をバネにこれからも頑張って欲しい。

■塚田が史上2人目の5連覇■
<柔道:全日本女子選手権>◇23日◇東京武道館
 アテネ五輪78キロ超級金メダリストの塚田真希(24=綜合警備保障)が、歴代2人目の5連覇を達成した。決勝では成長著しい立山真衣(19)を豪快な体落としで下し、初めて全日本女子柔道選手権大会をご覧になった天皇皇后両陛下の前で快挙を達成した。5連覇がかかる決勝は、初出場で112キロの体格を誇る若い立山が相手。失うものがない若手相手に、それも御前試合。負けられない要素が重なる中で、高度な技で投げ捨てた。奥襟をつかんでいた右手を放し、立山の左の襟に持ち直した。そのまま片襟の状態からの体落としが物の見事に決まる。「ああいう時に、ああいう技が決まったことが最高にうれしい」。塚田の言葉が弾み、笑顔もはじけた。

がんばれ、松井稼頭央!

2006年04月24日 23時35分58秒 | スポーツ!
日本の勇姿を知っているが故に頑張って欲しい選手。
しかも天才かつ努力家。
PL仕込みの洗練された心技体を今も信じたい。
なんでもそうだが結果の出せない者は去るものだと自分は思う。
でも今の松井稼頭央は我慢時かもしれない。
信頼を取り戻すために。
失った信頼はなかなか取り戻す事は容易なことではないけど
万全な体調で今季はリトル松井を確立してほしい。

■信頼を勝ち得るために――メッツ・松井稼頭央の再出発■
<存在をアピールする、最高の幕開け>
 いかにも、この男らしい開幕だった。 
 4月20日(現地時間)、敵地サンディエゴでのパドレス戦の3回に先頭打者として迎えた今季第1打席。パドレス先発のジェイク・ピービーが投じた時速89マイル(約142キロ)の速球を、メッツ・松井稼頭央のバットがとらえた。
「フェンス直撃だ!」
 三塁打狙いで走り出した背番号25は、二塁をけったところで三塁コーチが手を回しているのを確認すると、トップギアのまま本塁に突入し、滑り込んだ。判定はセーフ。日本人メジャー選手初のランニング本塁打は、大リーグ史上2人目となる3年連続初打席本塁打の快挙となった。
 3年契約で推定総額2300万ドル(契約当時のレートで約24億8400万円)と鳴り物入りで入団しながら、過去2年間不本意なシーズンを過ごしてきた松井。“勝負の年”であるはずのメジャー3年目のスタートは、決して順調ではなかった。3月16日のブレーブスとのオープン戦で右ひざじん帯を痛め、開幕ベンチから外れて故障者リスト入り。スタートダッシュに成功したチームを横目に見ながら、薄れていく自らの存在感に焦りを感じた。チームが勝ち星を重ねるほどに失なわれていく“自分の居場所”。
 だがそんな中、復帰を目指し、懸命にリハビリを続けていた松井にツキが回ってきた。今季正二塁手として開幕から出場していた、アンダーソン・ヘルナンデスが腰痛で離脱したのだ。そして前述のランニング本塁打。メジャー昇格と同時にスタメン復帰のチャンスを手にした松井にとって、3年連続となる初打席本塁打は、自身の存在をアピールするのに、最高の幕開けとなった。
<快挙達成にも、冷静な周囲の目>
「まるで、おとぎ話のようだ」
 松井のメジャーデビュー当時、メッツの監督を務めていたアート・ハウをして、こう言わしめた、デビュー戦の初打席本塁打から2年。過去には1997~99年に当時マリナーズのケン・グリフィー(現レッズ)ただ一人しか達成していない、3年連続初打席本塁打という偉業に対して、ニューヨーク各紙の反応は意外にも冷静だった。いや、むしろ“懐疑的”といった方が正確なのかもしれない。鮮烈な復帰を報じる一方で、紙面には“正二塁手奪取”といったキーワードはなく、「(レギュラー獲得の)チャンスを得た」と伝えるにとどまった。また、「このまま、行ってほしいね」というウィリー・ランドルフ監督のコメントからも、レギュラー確保のお墨付きを得るまでには至らなかったと見る方が自然だろう。
 過去2年、派手なスタートを切りながらも、その後は失速。期待を裏切られてきた首脳陣にとっては、「出だしが少しばかりいいくらいでは、安心できない」というのが正直なところか。復帰後、2試合連続で安打を記録しながらも、22日のゲームではあっさりとスタメンを外された起用法からも、信頼が十分でないことは明白だ。
<失った信頼を取り戻すために>
 松井は、パドレスとの4連戦中出場した3試合すべてで安打を記録。そして、不安視されるセカンドの守備でもダブルプレーを難なく完成させるなど、ここまで無失策と順調な滑り出しを見せている。松井がレギュラーとしての信頼を確実なものにするためには、今後も堅守をキープし、コンスタントに打ち続けるしかない。
 たった一打席では、失った信頼を勝ち取ることはできない。年間を通して安定した成績を残すことを、ファンも首脳陣も期待している。「スタートとしては、良かったと思う。出るからには、自信をもってやりたい」と話し、先を見据える松井の2006年シーズンは、まだ始まったばかり。レギュラーはく奪、マイナーでの調整という試練を経験した松井に、“走攻守三拍子そろった大型内野手”であることを証明する時間は、まだ十分に残されている。{岡田弘太郎}