橋本病のぼく そして特発性過眠症の僕

橋本病の僕のブログです。ついでに僕は特発性過眠症だそうです。

休病日記 17 死んだ気になって休むことにした僕

2013年02月16日 | 橋本病
今日の話は、ちょっと、読む方にとってはデリケートな部分を書いているかもしれません。

誤解されず、最後まで、読んでいただければ幸いです。



よく、死んだ気になって頑張りなさいとかいいます。

自ら命を絶とうとされる方、そう思われた方に、死ぬ気があるなら、仕事やめて、死ぬ気になって頑張ればいいんだよ、とかいいます(多分)。

で、あれを聞いた側としては、きっと冗談じゃないと思うんだと思います。

実を言うと、病休に入る直前に知り合いのカウンセラーさんにちょっと相談したところ、死を考えちゃ駄目ですよと言われました。

その時は、そんなこと全然考えていなかったので、僕の何を見て、何を心配してくださっているのかまったく理解できませんでした。

でも、すぐにその理由は分かりました。

僕は、消えてしまおうと真剣に思ったからです。

で、死ぬ気になりさえすればなんでもできる、死んでしまってはいけない、頑張るんだという言葉の嘘が分かりました。

だって、人生で最も究極の選択は死なのです。

その、究極の詮索を考えている人に(つまり僕)、頑張れって言われたって、じゃ、頑張って死んでしまうぞ・・・となるわけです。

これ、ふざけて書いているんじゃないんです。

老いた母に仕事を休んでいる理由を告げたら、職場の人がかわいそうだと言われたのに腹をたて、今からでも仕事はできる、でも、ここまで追いつめられたのにまた仕事をしたら、今度は本気で死んでしまう。

僕は、そう叫びました。

ここまで、追いつめられて、自分が壊れる瞬間が分かって、それでも仕事に行けない自分を責めて責めて、役立たずだと責めて、もう、どうなってもいいから仕事に行こう、行けば、何とかなる。

そう、きっと、何とかなる。人の眼が怖いけれど、それでも、ずっと休んでからよりは、今だったらごまかせる。

だから、仕事に行こう。

そう、ずっと、思い詰めていました

でも、母に叫んだ言葉は、違いました。

「俺に、死ねと言っているのか」

年老いた母にとっては、きっと、とんでもない言葉を浴びせられたのだと思います。

心ない、中年息子です。

でも、そのとき、僕は理解したのです。

そう、僕は、壊れた。

僕は、壊された。

だったら、治そう。

死ぬ気で休もう。

死んだ気になって休んで、壊れた僕を再生させよう。


そう、思いました。

だから、今は、本気で、休んで、本気で、職場のことは考えません。

メンタルの先生も、この二週間、結局全く休めなかったねと言われていた意味がやっと分かったような気がします。

僕は、再生するために、本気で休みます。