五章 托枳尼天
「やはり兄貴はどっかおかしいな。啓治が頻繁に京都にでかける、と言っとったが。隠し女がおるのと違うか。俺には隠すことないんやで。兄さんのいまの境遇としておってもおかしゅうはないのやから」
弁当を食べている翔平が気軽な顔で言った。
「隠してない。おらんのや。自分史のような小説を執筆するのに、学生の頃に出かけておった京都のあちこちがいるのや。その場所に立ってるといろいろと当時のことが連想されて役に立つ。日帰りでは落ち着かんからな、一泊して帰るだけや」
「そうか、そんならええのやけど。佐代子さんに居所だけは教えといてや。行き先でバタリといったら厄介やから。親父も学会にでかけた先のホテルで心筋梗塞やったから」
「うん。お前も肥えてるから気いつけな。まだあんたに倒れられるのは具合がわるい」
「英恵がスイミングプールに行かんかと言うのやけど、考え事のほうが多いので、そんな時間がとれん。前から話している外科、整形外科、脳神経外科の拡充、まだ決心つかんか。建設費も高うつくので、早めに北側の敷地の整備だけでもしておいたら、病棟は一、二年で完成する。いつまでも外科治療のときに神戸大や阪大に搬送するのがな……向こうが協力的なのに不満はないけど、こっちの若手が口惜しそうにする。内科と外科が連携するのが理想やからな。祖父さんも親父もやらんかったことだけに、兄貴が慎重なのはわかるが、啓治が若いうちにならやれる。俺にしてもあと十年ほどしかない。気力のあるうちでないと、大仕事はやれんでな」
「うん、わかってる。あと半年、年末までに決断する。それまで待ってくれ」
「そうか半年な。ええクリスマスプレゼントを啓治にしたってくれ」
「お前の元気なうちにと考えてる」
水曜日の今日だけ宮本にも医師らしい仕事が廻ってくる。午前十時から午後三時までの四時間ほど、初診患者の診察を任されていた。そのときの宮本の診察結果に基づいて次回から、精神科、心理室、神経内科の担当部医のほうへ廻される。心理室というのは宮本の診察だけでは詳細が把握できないときに廻されるところで、各種の心理検査と心理療法を担当している。四名の職員を配置してある。
宮本は翔平の言ったことを両方とも考えながら、初診病棟の廊下を歩いていた。五メートル先を佐川晴美が白の半袖ナースウェアに白のパンツ、いつもの爪先の隠れた白のサンダルで急ぎ足で歩いていた。彼女は心理室の医員だった。医長は宮本と同じ臨床精神医学を専門とした五十代女性だった。あとの二名は佐川同様に精神科一般の医師だった。
佐川が慶子と同じ四十代で、結婚していることを思い出した。いつもきびきびした態度で心理検査を担当していた。それが背後から眺めていると、はち切れそうな肉感のヒップの揺れに表れていた。すると魔多羅神がむくっと拝殿の仏像のように力強く立ち上がったので、宮本は慌てた。こういうことはここ三、四年起こらないことだった。慶子のマンションに月二回泊まるようになってからの現象だった。
もっとも不意に目覚めた魔多羅神は、ここが拝殿ではなく病院であることに気付いたかのように、すぐさま元の姿に戻り、うたた寝かふて寝をしてくれるので、胸を撫で下ろした。
宮本は自分が元気になったことを確認し、診察にも以前になかった新鮮な気持ちで臨んでいた。
佐川が先に歩いているのは、初診患者の多いときは二人で担当するためだった。水曜日以外の初診患者の診察は、心理室の医長と佐川が担当していた。
最初の患者は二十二歳の女性だった。一人の患者に対応する時間は十五分平均であった。時間をオーバーしないように、診断項目が三十ほどあるマニュアルがある。マニュアル通りにやっていると、だいたい時間通りに終わる。だがときには半時間ほど掛かる患者もあった。
「喫茶店でウェイトレスとして働いてるのだね」
「はい」
ほとんど俯いて、視線を合わそうとしない。始終両方の掌を合わせ、ぎゅっと握りしめたりする。
「人前で緊張するのだね」
「はい」
「どんな風に緊張します?」
「対人恐怖症なんです」最近の患者は医者より先に自己診断するのが特徴だ。悩んだ末、本などで知識を得ている。
「対人恐怖ね、どんな状態になりますか」
「顔がこわばったり、お客さんの眼が見られなくなったり……眼のやり場に困っておどおどしたり」
「掌に汗は?」
「かきます」
「いつ頃からそうなったの? 最近というのではなく、幼稚園の頃からのことを思い出してみて」
「中三の頃からです。担任との進路相談の面接のときからです」
「そう。お父さんやお母さんの前では起こらないですか」
「起こりません。お姉ちゃんといるときも起こりません」
「担任の先生のときからね。進路のことについていろいろと聞かれたんだね」
「はい」
「全部答えられた?」
「いえ、自分をどうしたらいいのか、そのときわからなかった」
「そうだね。中三では自分の進路ははっきりしないでしょ」
「そう」
初診患者を診る部屋は、どの部屋も宮本のアイデアで、隠しカメラで患者の姿と声が記録されるようになっていた。医師は記録をとらない。応対に集中する。このことだけで診察結果を書くときもあるし、確認したいときはビデオで姿やら声を再生する。記録された映像と音声は、心理室の担当医が観てから抹消することになっていた。
とにかく女性患者が多い。鬱病、双極性障害とも呼ばれる躁鬱病、パニック障害、リストカットと呼ばれる手首自傷症候群、解離性障害、過換気症候群、虚偽性障害、摂食障害、依存症、テクノストレス、と病名を挙げれば何でもありの現況だった。
アルコール・薬物依存症、アルツハイマー病、老年期の呆け、てんかんなどもある。
それに宮本クリニックは、震災後遺症の患者を多く抱えている。震災後十年を経過していても、真夜中に当時の恐怖に脅えたり、子供を庇って死んだ母親の声に、ハッと目覚めたりする震災遺児の患者が通院している。
宮本は医学生の頃、祖父・父と続いた事情もあったが、精神医学を、人間心理を知る最先端の学問と考え、関心を抱いた。人間心理を知るには通常の人間を観察するよりも、そこを損傷している患者と関わり、治療の中で異常心理を考察することこそ、人間心理把握の早道と認識した。そのために臨床や専門的な研究をやってきた。
このことに昭和五十年、一九七五年辺りまでは、満足すべきものであった。ある評論家が一億総白痴化宣言をするテレビ普及時代もあったが、まだ人間の異常現象は顕著でなかった。精神病院に来る患者は、よほど頭が狂っているかアル中くらいのもので、華々しい分野ではなかった。
だが、やれ開成高校だ、灘高だ、ラ・サールだと、一部の教育ママに騒がれ、その後の東大合格熱が高まった頃から、しだいに親子がおかしくなってきた。そして所得のゆとりから一般家庭にまで、猫も杓子も現象が広まった。
学生運動の衰退や高度経済成長後のバブル崩壊を経た今日、精神病・神経症患者は日増しに急増、いまでは個々の患者の病気と捉えるよりも、人類破滅現象と見るほうが、欧米や日本では妥当、適切でないかと思われるようになった。
「やはり兄貴はどっかおかしいな。啓治が頻繁に京都にでかける、と言っとったが。隠し女がおるのと違うか。俺には隠すことないんやで。兄さんのいまの境遇としておってもおかしゅうはないのやから」
弁当を食べている翔平が気軽な顔で言った。
「隠してない。おらんのや。自分史のような小説を執筆するのに、学生の頃に出かけておった京都のあちこちがいるのや。その場所に立ってるといろいろと当時のことが連想されて役に立つ。日帰りでは落ち着かんからな、一泊して帰るだけや」
「そうか、そんならええのやけど。佐代子さんに居所だけは教えといてや。行き先でバタリといったら厄介やから。親父も学会にでかけた先のホテルで心筋梗塞やったから」
「うん。お前も肥えてるから気いつけな。まだあんたに倒れられるのは具合がわるい」
「英恵がスイミングプールに行かんかと言うのやけど、考え事のほうが多いので、そんな時間がとれん。前から話している外科、整形外科、脳神経外科の拡充、まだ決心つかんか。建設費も高うつくので、早めに北側の敷地の整備だけでもしておいたら、病棟は一、二年で完成する。いつまでも外科治療のときに神戸大や阪大に搬送するのがな……向こうが協力的なのに不満はないけど、こっちの若手が口惜しそうにする。内科と外科が連携するのが理想やからな。祖父さんも親父もやらんかったことだけに、兄貴が慎重なのはわかるが、啓治が若いうちにならやれる。俺にしてもあと十年ほどしかない。気力のあるうちでないと、大仕事はやれんでな」
「うん、わかってる。あと半年、年末までに決断する。それまで待ってくれ」
「そうか半年な。ええクリスマスプレゼントを啓治にしたってくれ」
「お前の元気なうちにと考えてる」
水曜日の今日だけ宮本にも医師らしい仕事が廻ってくる。午前十時から午後三時までの四時間ほど、初診患者の診察を任されていた。そのときの宮本の診察結果に基づいて次回から、精神科、心理室、神経内科の担当部医のほうへ廻される。心理室というのは宮本の診察だけでは詳細が把握できないときに廻されるところで、各種の心理検査と心理療法を担当している。四名の職員を配置してある。
宮本は翔平の言ったことを両方とも考えながら、初診病棟の廊下を歩いていた。五メートル先を佐川晴美が白の半袖ナースウェアに白のパンツ、いつもの爪先の隠れた白のサンダルで急ぎ足で歩いていた。彼女は心理室の医員だった。医長は宮本と同じ臨床精神医学を専門とした五十代女性だった。あとの二名は佐川同様に精神科一般の医師だった。
佐川が慶子と同じ四十代で、結婚していることを思い出した。いつもきびきびした態度で心理検査を担当していた。それが背後から眺めていると、はち切れそうな肉感のヒップの揺れに表れていた。すると魔多羅神がむくっと拝殿の仏像のように力強く立ち上がったので、宮本は慌てた。こういうことはここ三、四年起こらないことだった。慶子のマンションに月二回泊まるようになってからの現象だった。
もっとも不意に目覚めた魔多羅神は、ここが拝殿ではなく病院であることに気付いたかのように、すぐさま元の姿に戻り、うたた寝かふて寝をしてくれるので、胸を撫で下ろした。
宮本は自分が元気になったことを確認し、診察にも以前になかった新鮮な気持ちで臨んでいた。
佐川が先に歩いているのは、初診患者の多いときは二人で担当するためだった。水曜日以外の初診患者の診察は、心理室の医長と佐川が担当していた。
最初の患者は二十二歳の女性だった。一人の患者に対応する時間は十五分平均であった。時間をオーバーしないように、診断項目が三十ほどあるマニュアルがある。マニュアル通りにやっていると、だいたい時間通りに終わる。だがときには半時間ほど掛かる患者もあった。
「喫茶店でウェイトレスとして働いてるのだね」
「はい」
ほとんど俯いて、視線を合わそうとしない。始終両方の掌を合わせ、ぎゅっと握りしめたりする。
「人前で緊張するのだね」
「はい」
「どんな風に緊張します?」
「対人恐怖症なんです」最近の患者は医者より先に自己診断するのが特徴だ。悩んだ末、本などで知識を得ている。
「対人恐怖ね、どんな状態になりますか」
「顔がこわばったり、お客さんの眼が見られなくなったり……眼のやり場に困っておどおどしたり」
「掌に汗は?」
「かきます」
「いつ頃からそうなったの? 最近というのではなく、幼稚園の頃からのことを思い出してみて」
「中三の頃からです。担任との進路相談の面接のときからです」
「そう。お父さんやお母さんの前では起こらないですか」
「起こりません。お姉ちゃんといるときも起こりません」
「担任の先生のときからね。進路のことについていろいろと聞かれたんだね」
「はい」
「全部答えられた?」
「いえ、自分をどうしたらいいのか、そのときわからなかった」
「そうだね。中三では自分の進路ははっきりしないでしょ」
「そう」
初診患者を診る部屋は、どの部屋も宮本のアイデアで、隠しカメラで患者の姿と声が記録されるようになっていた。医師は記録をとらない。応対に集中する。このことだけで診察結果を書くときもあるし、確認したいときはビデオで姿やら声を再生する。記録された映像と音声は、心理室の担当医が観てから抹消することになっていた。
とにかく女性患者が多い。鬱病、双極性障害とも呼ばれる躁鬱病、パニック障害、リストカットと呼ばれる手首自傷症候群、解離性障害、過換気症候群、虚偽性障害、摂食障害、依存症、テクノストレス、と病名を挙げれば何でもありの現況だった。
アルコール・薬物依存症、アルツハイマー病、老年期の呆け、てんかんなどもある。
それに宮本クリニックは、震災後遺症の患者を多く抱えている。震災後十年を経過していても、真夜中に当時の恐怖に脅えたり、子供を庇って死んだ母親の声に、ハッと目覚めたりする震災遺児の患者が通院している。
宮本は医学生の頃、祖父・父と続いた事情もあったが、精神医学を、人間心理を知る最先端の学問と考え、関心を抱いた。人間心理を知るには通常の人間を観察するよりも、そこを損傷している患者と関わり、治療の中で異常心理を考察することこそ、人間心理把握の早道と認識した。そのために臨床や専門的な研究をやってきた。
このことに昭和五十年、一九七五年辺りまでは、満足すべきものであった。ある評論家が一億総白痴化宣言をするテレビ普及時代もあったが、まだ人間の異常現象は顕著でなかった。精神病院に来る患者は、よほど頭が狂っているかアル中くらいのもので、華々しい分野ではなかった。
だが、やれ開成高校だ、灘高だ、ラ・サールだと、一部の教育ママに騒がれ、その後の東大合格熱が高まった頃から、しだいに親子がおかしくなってきた。そして所得のゆとりから一般家庭にまで、猫も杓子も現象が広まった。
学生運動の衰退や高度経済成長後のバブル崩壊を経た今日、精神病・神経症患者は日増しに急増、いまでは個々の患者の病気と捉えるよりも、人類破滅現象と見るほうが、欧米や日本では妥当、適切でないかと思われるようになった。
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