音速の葦

人間は一本の葦にすぎない。自然のなかでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・

世界よ、30年間の成果を俺に教えてくれ

2006-02-13 00:40:33 | 人生について
来年には30歳になる。だが、しかしだ。

こういう発言をすると、いつぞやのように非難をあびることになるのかもしれないが、あえて、言及してみることにしよう。

続きを読む前にこんなのを読んでみてもいいと思う。とにかく私もまだ勉強中と言った身であるので、少々偏った発言を含むことだと思われるが、その点はご了承いただきたい。

私が小さい頃には既に、アフリカには貧しい子供達が居て、募金なりを促すようなCMをやっていた。それからざっと20年以上の月日が過ぎた。

この20年の間、私はずっと、『世界には貧しい人がいるから募金をしなさい』と訴えるCMや人々を見てきた。世界には心優しい人間が多くいるわけで、これまでに巨額の募金が、そういった発展途上国に贈られたであろうことは、想像に難くない。

それで結論的にどうなんだ?世界は良くなっているのか?

答えはお世辞にも『是』とは言えないだろう。

未だ世界各国で戦争は続き、やはりアフリカの子供達は飢えでどんどん死んでいっている。そのくせ、アフリカの人口増加は恐ろしいペースで進み、それが貧困をさらに増長している。南アフリカでは、成人の9人に1人はHIVに感染しており、HIVに感染した親を失ったHIVチルドレンと呼ばれる孤児がどんどん増えているそうだ。

これが20年間の募金の成果なのだろうか。そうか募金は単に、『更にひどい状況に至るまでの延命措置』にしかなってなかったのか。そんな風に思う他ない。それとも『全然足りなかった。もっといっぱいくれ。』ということなのだろうか。

私が思うに、その国に暮らす子供達が貧しいのはその国家自体に問題があるのは間違いが無い。募金を貧しい国家に与えたところで、そのお金の幾らが実際に我々が助けたいと思う貧しい子供達に与えられているのであろう。ある団体は募金すべてが団体の運営費で消えてしまうそうだ。そんなものには全く意味が無い。

腕に白い腕輪を巻き、世界に貧しい国があることを意識しようなどと言った所で、これが単なるブームに終わり、誰かの自己満足と、誰かの懐を潤すのみで終わったりはしないかととても不安になる。自身の健康に関わる、環境ホルモンだとか、狂牛病ですら忘れがちな我々だ。世界の貧しさなんて、テレビで見る世界、そんな風に思ってしまわないだろうか。これまでがそうだったように。

この30年間の成果を見ていると、正直しばらくは募金などしたくない。アフリカやその他の貧しい国の人々が、人口削減を真剣に行い(何も戦争や口減らしを肯定したいわけではない)、『ほら、あなたたちの募金のおかげでこんなに良い方向に向かってますよ、2015年には我々は他の国の支援を不要とする国家になりますよ』なんてことを世界に向かって宣言してくれるのならば、『よし、あと少し助けてやろう』なんて気持ちになれるのだろうが。

世界を救うための投資というのであれば、それなりの成果を見たい。私とて、貧しい国から見れば裕福なのかもしれないが、日々くたびれ、自身の命をすり減らしながら稼いでいるのだ。(今日だって家路についたのは夜中の0時だ。)投資先に期待したいのは、誰だって同じだ。

無償の愛なんてのはずいぶん立派なことだが、それだけじゃ世界は決して良くならないだろう。穴の開いたバケツに水を汲みいれ続けるようなことは、100%賢いやり方とは言わない。まず穴を埋めることから始めなくてはいけない。

だったらどうすればいいんだ、と言われるだろうが、正直、私にもよくわからない。多くの人が最良の方法をとり、それでも世界の貧しさのほうが勝ってきたのかもしれない。

それでも、私は自分が死ぬときになっても、同様のCMをしているような世の中だったとしたら、それは悲しい。

救世主が生まれないのが、時々、心配になる。

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