音速の葦

人間は一本の葦にすぎない。自然のなかでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・

この国の礎(いしずえ)に

2007-10-25 09:15:19 | 人生について
この国の礎に はかなく散った多くの魂がある
君の悩みも迷いもすべて 彼らと同じ人間の本質にある

ある日ページを開いてみよう そこには君と同じ悩みを持つ
ある人生の一場面が きっと広がっていることだろう

だから

自分ひとりで考えなくていい
誰かが答えを持っているんだ

君の悩みも迷いも悲しみも 
きっと君はそれを特別だと思うかもしれないが
ある瞬間に66億もの人が息する世界
そしてその前に続く静かなる礎たち
 
誰かは必ずその答えを持っている

だからまずは助けを求めてみるんだ
誰かがきっと馬鹿馬鹿しいと 君を笑い飛ばしてくれるんだ

一人で悩んでいたって 自分の望むカタチと世界の求めるカタチ 
その差をいつまでたっても 埋めることなどできないのだよ

だから乗り越えろ 自分を乗り越えろ
今そうしたいことと 逆のことをやれ

悩んだらまずは その部屋を飛び出すんだ

学校でいじめられようと
友達に裏切られようと
彼氏にふられようと
親に死なれようと
死に到る病に冒されようと

力強く生きていくやり方がこの世界にきっとある

不幸だと思うその自分 

自分を乗り越えろ

ジャパハリネット、ありがとう

2007-10-09 21:03:06 | 今日の独り言
このジン・ソニックの大好きなバンドであるジャパハリネットが今年いっぱいで解散する。彼らはただいま解散ツアーの真っ只中だ。そして、この解散ツアーも10月14日の彼らの故郷である四国・松山でのライブで以て終わる。そしてその後のスケジュールは白紙だ。

昨日10月8日、ラスト2のライブ、東京での最後のライブが恵比寿のLIQUIDROOMで行われた。

週末は娘の世話をせねばならぬという役目がある私ではあるが、一期一会、今回は嫁と娘にスマンと手を合わせて、私はこのライブを観に行くことにした。

彼らのライブを観るのは初めてだった。彼らのファンは(想像通り)自分より若い人ばかりで、31歳になる私は、会場の中、若干浮き気味ではあった。

だが、しかし。

彼らのステージが始まると、私はそんな事は全て忘れた。

LIQUIDROOMは定員800人という小さな会場である。

そのステージで焔立つ魂。そして一体となる観客。皆で声を合わせ、力いっぱい歌うこと。

それは宗教的とも言える空間。だがそれに抗うことなく一体化していく。

ボーカルであるけんじろの声が響く。心に、心に。

私が音楽に求めているもの、そこにはそれがあった。

音速のその先。私はそれを感じることができた。

悩み、迷い、愛するもの、夢、希望、そしてそれらを統べるもの。

彼らは歌う。

「大人は子供になり、子供は大人になろう。そうすれば失くしたものに きっと気づいてくれるでしょう」

彼らは歌う。

「はにかんで心から 愛する人がいるのなら それだけでこの今を 生きた意味があるでしょう」

ヒットチャートに名前を連ねること、それに何の意味があるのだろう。

解散、それが何だというのだろう。

彼らは今日を生きた。私は彼らに会い、そしてその魂を感じた。永遠の中の一瞬。それが輝けるかどうかが、この人生の価値でしかない。

みんなの好きなものなんて、どうだっていい。僕の好きなものを君も好きになってくれるとうれしい。

色々思うことがある。色々言いたいことはある。ただ、心から感謝したいのは、昨日のステージがポジティブなものだったということだ。解散だからセンチになろうなんて、ファンのエゴに過ぎない。

今出せる最高のものを出す。それ以外何もいらない。輝けるときに輝いてやれ。

私はそれを感じることができた。

青春ロックとか青春パンクなんて音楽業界がつけた分類は、彼らも私も恥ずかしいのかもしれないけれど。

これは紛れの無い、そう、青春そのものだ。

ジャパハリネット、ありがとう。

そして、サヨナラ、また会う日まで。

アイデンティティ

2007-10-04 09:26:18 | 人生について
人は迷う。関東に出て10年以上になるが、町を出てみていつも思うこと。それはみんなみんな迷い、そして困っているんだ。

自分のアイデンティティなんて、あやふやで、そこにあって、そして気付かないもの。そんなものを追い求めている。

自分に個性が無いんじゃないか、そう悩む君にはきっとアイデンティティがある。周りと同じでいい、特別に目立たなくていいというのも、それはアイデンティティだ。

自分のアイデンティティを求めて、雑誌に載っている個性的な髪型・ファッションを次々に試す人に比べれば、小学生の時からカリアゲ一本、年中ネルシャツ(夏は半袖、冬は長袖)でブレの無い奴の方がずっとアイデンティティがあるように思える。

でも、変なことにカリアゲの奴は自分は個性が無いと思い、そしていつまでも定まらないマスコミに作られたいわゆる『個性』を追い続ける人はそれが個性だと勘違いしている。

みんなみんな個性を求めてブランド物を買いあさるが、みんなみんな持っているものが同じになっている。アキバでバンダナを巻いているオタク。彼らのバンダナには信念がある。

特別な自分。他と同じこと、他と違うこと。

誰かに自分を認めて欲しいというその気持ち。

アイデンティティを確立するには、迷いながら落ち着き先を探すしかないのだと思う。とにかくあきらめず、心の声に従って、やりたいことをとことんやってみることだと思う。

誰かに非難されても、ブレないその気持ち。それがアイデンティティであり、つまりは生きる力だ。

いつかアイデンティティなんて気にすることのない日が来たら。その日、君はアイデンティティをきっと、手に入れていることだろう。

そして、君はやっと自分の人生を歩み始めることになるだろう。

この世界に生をうけた、君の人生のその本懐を。

ボクは祝福しよう。

君は明日死ぬだろう

2007-10-03 22:43:03 | 人生について
君は明日死ぬだろう。

そんな風に宣告されたらボクはいったい今日に何をするだろう。

一目散に家に帰り、娘を風呂に入れ、少し遊び、寝顔を朝まで見ているのだろうか。妻はただそばにいてくれればいい。朝まで朝まで。ボクと一緒に起きていてくれればいい。

明日生きる保証はどこにもない。それなのに世の中は暇つぶしを押し付ける。日々はただ奪われ、そして僕達は老いていく。

だからといって今日に何をするべきかなど、どこにも答えは無く、ただただ路頭に迷うのみ。

真っ白な空間で、服もテレビも携帯も荷物も何も無い。そこに裸で座る自分を想像する。ボクはそこで何を望むだろう。

真っ白な空間で、ボクは自分を幸せだと思うだろうか。-問題ない。
真っ白な空間で、ボクはこれまでの人生をまあまあだと思うだろうか。-問題ない。

真っ白な空間で、ボクはこの先、生きていくことを望むだろうか。-問題ない。

なんだ。だったらボクは明日どう生きるかだけ。

今はそれ考えるだけでなんとか生きていけそうだ。

ボクのもろくも崩れやすいそんな自分の人生を、輝きながら輝きながら。

魂の指し示す方。ボクはもがきながらもがきながら。

親や兄弟やその家族が幸せに生きていくことを望んでいる。
自分の娘や甥や姪が健やかに育っていくことを望んでいる。
妻がボクと結婚して幸せだったといつか感じてくれることを望んでいる。
昔に好きだった女の子がみんな幸せに暮らしていることを望んでいる。

ある日朽ち果てるこの魂の果てに。

ボクを好きな人がいてくれれば、結局のところ他に何もいらないのかもしれない。

明日死ぬとしたら。

今日、ボクはみんなに感謝しよう。

小休止

2007-10-01 09:26:31 | 人生について
最近、ふと時間をもてあますと携帯電話を取り出して、ニュースサイト等を眺めている事が多くなった。そして、周りを見渡すと、食事をしている時も、友人とおしゃべりをしている時も、子供の世話をする時なんかも携帯電話を手放さない人をちらほらと見かける気がする。

文化やビジネスの先端で、我々はそんな風に欲しい情報をいつでも得られるようになってはいるのだが、その反面、とても大事であろう、『考える』という時間がどんどん奪われてきている気がする。そして、対面した『何か』に対する敬意、それもまた同様に失われている気がする。

そして、我々が起きている間、携帯電話と共に人間も『オン状態(待ちうけ状態)』のまま待機しており、そこで過度のストレスを感じている、そんな風にも感じる。過度のストレス社会、人と人との関係がどんどん希薄化する現状、そんなものの源流がこんなところにあるのかもしれない、そんな風にも思う。

食事をする時、友人とおしゃべりする時、仕事をする時、そして誰かを愛する時。

携帯電話を切り、しばし『オン状態』を小休止。対面するモノに敬意を払い、そしてじっくりゆっくり人生を味わう-。

ボクらの失った時間を再度取り戻すために。僕らはこの便利という甘い蜜にタチムカウ必要がありそうだ。

明日のゴミの日にでも携帯電話を捨ててしまえ、なーんて事は言わないのだが。