音速の葦

人間は一本の葦にすぎない。自然のなかでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・

人を使うという言葉②

2007-08-10 09:19:17 | 人生について
前回の更新からかなりの時間が経ってしまったが、続きについて書いてみたいと思う。

前回、『人を使う』といった考え方はおこがましく、そして私は否定的であることを書いた。今回は『ならばどうするべきだ』ということに絞って書きたい。

ここで彼らの言う『使われる側』の考え方に立ってみよう。果たして『使われる』ということに対して、我々はどのように思うだろうか。『人を使う』と思っている気持ちは傲慢で、そしてどこか偉そうである。それならば、人は本能的には『快く思わない』ということになるのではないだろうか。

そして、この快くない、という気持ち、それを我慢して『甘んじて使われる』にはやはり何らかの条件が必要で、それはいやらしい話ではあるが『報酬』すなわち『金』や『対価となるもの』、上司の言うことは聞かないといけないというルール、後は誰が言い始めたのかわからない『社会人としての常識』等が必ず必要となる。

誰も『報酬も得られず、言うことを聞かねばならぬというルールも無い世界』で甘んじて、『誰かに使われる』ことは無い。

だが、ここで考えて欲しい。この関係は金の関係である。それならば、使われる側の力の発揮の責任は『金の続く限り』しかない。また、『社会人のルール』とかそういったもので間接的になりたっている関係は、希薄な関係であり、そんな世界で100%以上の力など、発揮できるはずもない。

すなわち、これは『限界のある世界』でしかなく、『妥協で成り立っている世界』であり、こんな世界で時間を過ごすというのは、私が思う『本当に生きている時間』とは呼べない。そんな風に思っている。

他でも書いたかもしれないが、人生と言うのは有限である。我々は明日本当に死ぬかもしれない。だから、借り物の時間、妥協の人生を歩んでいる暇など本当は無いのだ。

だから、ホンモノの人生を今すぐに見つけ歩む必要がある。そのためにはこの『使う-使われる』といった利益関係のみで成り立つ関係を、何とか打破しなければならないだろう。

そのためにはどうするか。

それは(言葉で言うのは)簡単で、『人を使う』と思うのではなく、『協力する』と考えれば良い。『自分の人生のため、自分の夢のために、あなたの力を貸してください』、そうお願いすればいい。

『使われる』側も『あなたの心意気が気に入った。私はあなたに力を貸す。(だから少しばかし生きるための金をください)』、そんな風に思えればいい。

私は前回の文章で、プロジェクトマネジメントなんてワンピースを読めばいいと言った。それは我々は、プロジェクトという小さな船に乗ったちっぽけな船乗りであり、この荒波の中、遥か遠い目的地に到達するするためには、ケンカなどしている場合でもなく、金で雇った船員がそこそこの仕事をしているだけでもいけない。

お互いが個々人の能力を尊重し、信頼し、そこでキャプテンとなるものは、船員全ての幸せを望み、そこで船員となるものはキャプテンの目的の達成のために力を尽くす。そこは決して『使う-使われる』の関係ではない。『信頼し、それに応える』の関係である。

それは即ち、われわれ人間の、『本当の価値観』というやつだ。

理想だとなんだと言われようと、私はいつか、ここに立ちたい。一生付き合っていきたいと思える仲間達と力を合わせることができるのならば。

私はきっと次の段階まで進める。私はそう信じているのである。