音速の葦

人間は一本の葦にすぎない。自然のなかでもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である・・・

地球は、泣かない。

2005-11-20 17:26:36 | 人生について
今、キーボードを叩きながら、『愛は地球を救わない』、というフレーズも思いついたが、こっちの記事はなんか色々面倒になりそうなので、後日。

公害なんかを表現するポスターで『地球が泣いている』というテーマがよく使われる。ポスターの構図は、たいてい、地球に顔があって、工場からの排水や、酸性雨、森林の伐採なんかで、泣き顔になっているといったやつだ。どこかで見たことがきっとあるだろう。

小さい頃はこんなテーマが漠然と正しいと思っていた。実際自分もどこかの宿題かなんかでこのテーマを流用した記憶がある。

でも、大人になってから気付いた。そう、決して、地球は泣かない。

泣くのは誰かと言えば、そう、我々人類だ。

多くの動物が人類のために絶滅の一途を辿っている。人類が出現する以前に比べ、種の絶滅する速度は1000倍~10000倍になっているそうだ。ふと、外を見てみればいい。見える道は全てアスファルトで固められている。どうだい?異常だとは思わないかい。

人間が自然を愛し、動物を愛するという言葉自体が真実かどうかはあやしいが、それでも、本当にそう思う人がいるのであれば、『自分達のせいで』好きな生き物や自然が失われていく、それは悲しいことだとは思わないだろうか。

そんな人間に対し、自然も黙っているわけではない。HIVや鳥インフルエンザ、狂牛病は我々に『数を減らせ』と警鐘を鳴らし、環境ホルモンは着実に我々の身体を蝕んでいる。だが、とても『静かな』反撃だ。人間の横暴さには到底及ばない、そんなやり方だ。

自然はずっと色鮮やかであって欲しいと思う。
生命は健やかであって欲しいと思う。
この地球はずっと青くあって欲しいと思う。
人類が絶滅したその後でも。

そんな気持ちを持ちながら、地球を蝕んでいるのが我々、人間だ、という見解はもはや疑う余地はない。だから、みんな死ねばいい?それは前向きな意見では無い。なんとかしなくてはならないというのだけが真実であり、どうしようもないかもしれないというのもまた事実だ。

少なくとも、人口爆発の問題を解消して、人口を今の数分の1にし、地球の半分を動物達に明け渡し、人間の介在できない大陸にすることができれば、自然と人間の美しい共存ができるかもしれない。そんな風にも思うが、未だ『自分達の縄張りを守る』という本能に支配されるしかない、我々動物としての人間は、きっと納得しないことだと思う。西暦3000年頃には少しは我々は賢くなれるのだろうか。

『人間がいなければ自然が美しい』というこの図式は、とても悲しい。1億年前は東京の海も今よりずっと綺麗だったのだろう。容易に想像できることは、とても悲しい。

地球は泣かない。泣くのは、そう、僕だ。