自由と正義のための選択肢

今後の日本の進むべき道を考える政治ブログ

K国人は何と戦っているのか

2020-02-23 12:20:54 | K崩壊日誌

「日本軍は主観的に戦っていた」とは戦後米軍幹部が語った感想
"主観的に"とは状況を都合よく解釈した作戦を意味しているようだ。
なぜそうなった?日本の上層部は日本の劣勢を知っていたからだ。
国力の差は歴然。主観的にならなければ戦争なんかできない。

何としても日米戦争は避けるべきなのにドイツと同盟を結んだ。
戦争終結の構想は無かった。「徹底的に叩けば折れてくる」程度
あるいはドイツの勝利に乗じて講和。他力本願かつ希望的観測
裏に狂信的愛国主義の蔓延とコミンテルンの謀略もあった。

正に現在のK国。反日愛国蔓延。独=ℂ国 コミンテルン=NK
日米とK国の経済力の差は歴然。だが、それを認めたくない。
主権国家として傲慢に振舞いたいが、実態は日米に依存した状態
主観的にならざるをえまい。病的反日運動がそれを端的に示す。

反日の素地はあった。既得権を剥奪された両班階級の怨念
それを国家意思として固定化すべく反日教育を始めた金泳三
歴代政権は日本依存の隠蔽や政敵攻撃に反日を繰り返し利用
寄生虫が宿主を攻撃?いったいK国人は何と戦っているのか?

答えは簡単。自らの怨念とそれから生じた妄想と戦っているのだ。
頑迷固陋。ブレないのが正義。死んでも戦い続けるのが誇りらしい
本気か?そう信じたいだけでは?感情を抑制できないだけでは?
国ぐるみカルト教団。"新天地"教団が未来を暗示しているようだ。