シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

(13N)霧の彼方(2003小品集より)

2018-05-30 15:08:01 | Weblog
どのように科学が進歩して行ってもこうはなるまい。
過去の足跡を探し当てる事が出来ても、未来を予測し得たとしてもそこには限界があろう。
悲しみの真っ只中に身を置く人の心の内はその人自身にしか分り得ない。
今佳子はそれらの全てを見守っている偉大なる神の下に居る。
つまり宇宙を創造した遥かなる神の手に魂を委ねているのである。

雅夫との会話は続く。
「あなた、いさかいもありましたね。それは夫婦ですもの、多少のことは誰だってあります。
お互いに自分を主張しすぎて感情的になったけれど大したことではなかったわね。
でもあの時のあなたの言ったこと、今でもはっきり覚えていますよ」
あの時あなたの意外な面をみて驚いたのでしょうか。
いさかいの後しばらくしてあなたはこう言いました。
「僕はあの時初めて君のずんと構えた主婦としての逞しさを感じて仰天しました。
僕はまだ幼かったのです。
50歳になってもまだ学生気分を引きずっていたのです。
ほのかな恋心をいつも君に感じながら、そして甘えていたのですね。
まるで子供、お笑いですよ。君の立派な姿勢に圧倒されてようやく目が覚めました。
男性はロマンチスト、女性は現実的とかの話を聞いておりましたが、そうか、と思いました。
その後脱皮の努力を重ねてきましたがなかなか難しいものです。
でも必ずや立派な男になって見せますから。待ってて御覧」
その言葉を聞いて私はハッとしたことを覚えています。
あなたにはこんなにも純粋な面があることを知って、私の方こそ暢気な主婦だったのです。
「私の方こそ単純でお馬鹿さんだったのですね。ごめんなさいね」
「……、……」

突然ドアが音もなく開いた。
空気の流れでそれを敏感に感じ取った佳子は反射的に振り向く。
2人が仁王のように立っている。
「父さんは?」
「大丈夫よ、意識は残っている」
「そっか……間に合ってよかった。
「そっと手を握り、耳元で声を掛けてごらん」


(12N)霧の彼方(2003小品集)

2018-05-23 09:31:32 | Weblog
胃痛が厳しくなってきて脱線してしまった。
閑話休題。

「ところで先生、治療の方は?このままですか}
「取り敢えず点滴を続けましょう。担当の看護師さんが時々様子を見に来ます」
―――大きな手術などの治療は済んだのであろうか。
それともあくまで応急の処置な段階で終えたのであろうか。
或は最早これ以上手の施しようがなのであろうか。
佳子は詳しい説明を聞きたかったのであるが、
それをはっきりさせるのが怖くて押し黙った。
―――しばらくの間じっと様子を見てみよう。その内修一や龍夫も来るだろう。

佳子は何となく雅夫に話し続けている。
雅夫が喋らなくてもこうしていると会話になっているような気がするのである。
何もかも忘れ去っているのだ。
静かな2人だけのひと時、それは時空を超えた祈りの館であった。
「若かりしときのことを思い出しますね。お金がなかったから川へよく行きましたね。
親子4人で。修一が5歳、龍夫が3歳位の時、夏の日曜日はいつもあの川でしたね。
未だ借り家だったけれど近かったものね。あの川は水が澄んですごく綺麗だった。
皆水着姿で泳いだり魚取ったり、お昼の食事は私の手製のおにぎり弁当。
蝶やトンボもたくさん飛んでいましたね。龍夫は何度も転んでドロドロ。
修一は捕まえた魚を何度も店に来て鼻ヒクヒクさせて得意顔で行ったり来たり。
本当に楽しかったわ」
話は昔話ばかりである。
こうして佳子はいつの間にか幸せ感に浸っている。
時々現実の世界に戻るのであるが、人生悪い事ばかりではなかったとつくづく思う。
不思議な事に幸せな思い出がそうでない所を押しのけてより鮮明に脳裏に現れてくる。
それを思い出す作業が脳の中で勝手気ままに起きている。
それをごく自然に受け入れている自分がここにいる。
過去と当時の現実が完全に重なっているのだ。

おいらは投了しないよ(4)

2018-05-19 12:57:33 | Weblog
食の欲と痛みに追い詰められ焦りもあって半年もかかったが、漸く冷静になれた。
リセットし直す気力がまだ残っている。
筋力が弱って他の臓器が発狂する前にせめて胃潰瘍だけは退治すべきと思った。
酷い痛みを取り除けば何とかなる筈である。
勿論これまでの病の中で最強者であることは充分承知している。
これまでに培ってきたやり方にこだわっていては駄目である。
リセットとは白紙に戻って沈着冷静に策を立てることである。

食べる「物」の選定は簡単である。
問題は「食べ過ぎ」をどうコントロールするかである。
それが今後の方針の根幹になる。
腹7分目とはいうが腹空いて来た時のそれはかなり難しい。
一歩間違えると激痛に襲われ、次の食を、さらに次の食を止めたりする事になる。
こんな事を繰り返していたら胃潰瘍は振り出しに戻り体重は激減してくるだろう。

油系のものや甘みのものを断ち続けて、さあ勝負である。
今お世話になっている消化器内科、腎臓内科、循環器内科、呼吸器内科、内分泌科等の
先生方にご相談したところで今度の奴は手に負える代物ではないのだ。

この半年間闘病の記録やデータを整理してやっと冷静さを取り戻し、答えを得た。
これまで狂ったようにこだわってきた目標値を低く設定することにした。
蛋白を25~30、カロリーを1100~1150。
これが今のおいらの胃の能力のきわどい範囲であると確信したのである。
尚且つ腎臓を考慮して運動量を30分の散歩と15分の体操に限定する。
この範囲を超えるとほぼ間違いなく胃痛が始まる。手元のデータがそれを示している。
以下だと多分体がもつまい。
未だ先生方には一切言っていないが信じてやるしかないと思っている。
これで多臓器不全になってもそれは仕方がないと思っている。
おいらは年貢の納め時の歳なのだ。

然し、挑戦は刀折れ矢尽きるまでやるつもりだ。
面白いじゃないか、あの世への道。

おいらは投了しないよ(3)

2018-05-17 08:50:39 | Weblog
再検査をお願いした。6カ月経過している、どうなっているかだ。
エコーと内視鏡の画像を観ながら「潰瘍は間違いなく少し良化しています」
と先生は言う。
「しかし、触ったら即血が噴き出そうです」と付け加える。
更に続けて
「とに角慢性胃炎ですな、以前煙草やお酒はやっていましたか」と言う。
おいらは素直に答えた。

確かに凄い量をやったが16年前には煙草を、13年前にはお酒も断っている。
尚且つ12年前には手術の合併症で急性膵炎と急性腎不全を患った。
1ヶ月の入院、絶食で膵炎は寛解したが腎臓は慢性腎不全と宣告された。
以来保存療法を続けている。
蛋白33g、カロリー1400Kcalカリウム量等いろいろな制限の中でやってきた。
3年前の内視鏡検査では「胃が荒れています」程度のものであったのにと思う。
然しながらそんな愚痴めいたことを先生に言ったところで無意味の様子であった。
特効薬などのあろう筈はなかった。

いよいよ自身の日常生活、食生活の練り直し以外に方法は無いのであった。
闘病心をリセットしあらん限りの手を試み、手を尽くすのである。

料理は女房殿にお任せし、大雑把な献立はおいらの仕事と決めた。
おいらの胃はおいらにしか分らないからである。
厄介であることはよく分った。
慢性腎不全に慢性胃炎、その上に胃潰瘍がデンと居座った。
冷静に考えてみると大変な難敵である。

腎臓だけならバラ肉やケーキなどを組み合わせ、蛋白を確保しながらそこそこやれる。
尚不足するカロリーは腎臓専門飲み物を購入して500Kcal分補充すれば行けた。
胃潰瘍&慢性胃炎では甘いもの、油ものをやれば激痛に襲われる。
更に胃弱のおいらにはコメの御飯は決定的に向かない。
せいぜい1日100Kcal程度のお粥が精一杯の処だからこのような献立になった。
ところが今度その手でやれば即胃痛に襲われ、潰瘍は進行する。
さて、離乳食のような献立で名手はあるだろうか。

おいらは投了しないよ(2)

2018-05-13 13:08:37 | Weblog
あれから半年、必死の闘病を試みてきたが少々堪忍袋の緒が切れかけている。
食欲もなければ食べることの楽しみもなくなりかけている。
離乳食が如き食事ばかりではさすがに怒る。
もう良かろうと思ってサーモンの刺身を50g食べたら特有の痛みがぶり返す。
1食抜いて再び離乳食が如き食事に戻るが2,3日間は極端にその量が減る。
2週間ほど経ってこれならOKだろうと思ってショートケーキを食べて又やられる。
その繰り返しである。
その間決して固いごはんや肉や油気の魚など一切口にしていないのに、無念である。
痛む時はかなりのものだが、極力ストロカインは飲まないようにしている。
20年前お酒で胃を麻痺させながら飲み食いして胃潰瘍をやったではないか。
痛みを抑えるくすりなんて似たようなものだ。
胃薬は当然だが、何とか食事療法でと頑張ってみる。

ところが急激に身体がガタガタになっていくことを自覚して愕然となった。
それは予感していた。
このカロリーと蛋白量ではいけないことは掴んでいた。
だから焦ったのである。

体重があっという間もなく5kg減った。
それに比例して身体の力がガタガタになってきている。
水の入ったペットボトルの蓋が開けられない。
片づけようと石油ストーブを持ち上げてなんどへ運んだら、
あくる日腕や肩の筋肉が凝ってひどい目に遭う。
膝を組んで座ることが出来なくなっている。
まさかここまでとは、仰天だ。
男性失格。
力仕事は女房殿に頼むよりほかになくなった。
このままではだめだ、大変なことになるぞと思った。

4日前、闘病の仕切り直しを決意した。



おいらは投了しないよ(1)

2018-05-10 17:01:39 | Weblog
閑話休題。

いよいよ追い詰められてきたのかな、と思う。
おいらの寿命は70歳位が関の山だと心得ていたのに。
残念な気持ちもある。。
その間諸々の病が雨あられのごとくに襲ってきた。
その数たるや想像を超えている。
考えてみれば当然の展開だ。
あれほどの煙草とお酒をやって来たのだから。
この経歴では誰だって長くは持たない。
おいらと似た経歴を持つ友人、同僚の多くの同士が壮絶な闘病の末逝った。
「こんな事していたら70歳が良いところだね」と語り合っていた。
それは当たっていた。
然しおいらは取り残された。
寂しい。
何故おいらが?
15年前タバコを止め、10年前にお酒を止めたから?

止めたときの気合は褒められるが、時効にはならなかった。
未だに天罰は続く。
恐れ入りました。
先生にその事を話したら、さもあらんというという顔でにやりと笑う。

まさかの「慢性胃炎&胃潰瘍」の診断である。
胃潰瘍は2度目。
想像以上の難敵である。

(11N)霧の彼方(2003 小品集より)

2018-05-06 14:27:56 | Weblog
何故彼なのですか。
ああ神様、もっと物事の真相を見てご判断下さいまし。
最早彼には生きる資格がないとでもいうのですか。
ああ神様、いえ、もうこのような恨み言は言いません。
ただ、ただひたすらにお願いします。
どうか。どうか彼の命をお守り下さい。
もしも息を吹き返すのでしたら私の命の半分を差し上げます。
だからどうか……

佳子は祈りながら彼の手を思わず強く握った。
と、彼がわずかに残った力で微かに握り返してきたように感じた。
あれっと思ってもう一度、今度は彼の手を包むようにして握ってみた。
反応があった。
―――生きたいる。間違いなく生きている。蘇ったのかしら。
佳子は必死になって彼の手を握り続け、そして擦る。
彼の目は未だ開く様子を見せないが、時々唇がかすかに動くような気配がある。
何かを言いたそうだ。
佳子は彼の耳元で優しく語り掛ける。
「あなた、意識を取り戻しているのですね。もう大丈夫ですよ。私がずっとここについています。
絶対に傍を離れませんからね。安心して下さい」
雅夫は何度も手を握り返している。
その度に佳子は話しかけたり手を握り返したりする。
言葉が通じているのかしらと佳子は思う。
「あなた、頑張っているのですね。嬉しい。良い先生に出会ったからもう安心ですよ。必ず良くなります。私も力を振り絞ってお手伝いします」

そんなやり取りの最中にあの時の先生が入って来た。
どうやら最早朝の回診の時間になったらしい。未だ8時前である。
一番に駆けつけてくれたようである。
「如何ですか、意識はありますか。何かお話されましたか」
「いえ、会話にはなりません。ですが、私の話は少しは理解できているように思います」
「そうですか、一応安定ですね。然し予断は出来ません。
何か変わったことが起こればすぐにコールして下さい」