シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

青い飛沫(18)

2017-04-27 10:31:09 | Weblog
「後のことは子供たちに任せて、僕たちは天国で楽しくやりましょうか」
「それがいい。そう考えていたら万事うまくいくよ。これは、僕の持論だ」
「その持論とやらを聞いておきたいけれど、話してくださいな、治兄さん」

「僕はね、死んでも死にはしないと思っているのさ。
 だってそうでしょう。地球に命が誕生して40億年もたつじゃないですか。
 その間、ひと時も命の空間はなかった。
 僕らの先祖は延々と命を繋いできた。そして今の僕らがある。
 あのな、これはただ事の事ではないと思うぞ。
 奇蹟を生み出す途方もないお化けみたいな力があるからだと、僕は思っている。
 第一、地球の誕生自体が奇跡と思わないかね。
 もっと凄いことに宇宙の誕生こそが奇蹟中のきせきなんだ。
 謎は全部そこに端を発している。
 謎を創りだした張本人がきっとどこかにいると思うんだ。
 ひょっとしたら宇宙の空間の、其処にいるかもしれない。
 或は宇宙の隣側にいるかもしれない。
 そこだよきっと、張本人は絶対に居る。
 僕はね、死んだら平等に、みんな其処へ行けると思っているのさ。
 死んでもそれはこの世とおさらばするだけの事。
 命を与えた張本人も、命を貰った本人も実際には一緒に其処に居るんだ。
 だからね、実際には死んでも死にはしないのさ。
 この世とそこのあの世は壁一枚で隔てられているけれど、
 この世の先の、その壁を突き破ったら即あの世だ。
 この世とさよならだ、それだけの事よ。
 どんな厄介な事でも、この世のことはこの世で始末できる。
 どんなに苦しくても辛くてもあの世へ一歩足を踏み入れたら、
 生まれたての赤ん坊ののように純粋無垢で、平和で平等な世界に入れる。
 しかしね、
 残念ながら、逝ったら最後、絶対に此処へは帰ってこれない。
 だからさ、今際の際までとことん生きて行かなきゃと思っているんだ。
 だってさ、勿体ないもの」 
 

青い飛沫(18)

2017-04-27 10:31:09 | Weblog
「後のことは子供たちに任せて、僕たちは天国で楽しくやりましょうか」
「それがいい。そう考えていたら万事うまくいくよ。これは、僕の持論だ」
「その持論とやらを聞いておきたいけれど、話してくださいな、治兄さん」

「僕はね、死んでも死にはしないと思っているのさ。
 だってそうでしょう。地球に命が誕生して40億年もたつじゃないですか。
 その間、ひと時も命の空間はなかった。
 僕らの先祖は延々と命を繋いできた。そして今の僕らがある。
 あのな、これはただ事の事ではないと思うぞ。
 奇蹟を生み出す途方もないお化けみたいな力があるからだと、僕は思っている。
 第一、地球の誕生自体が奇跡と思わないかね。
 もっと凄いことに宇宙の誕生こそが奇蹟中のきせきなんだ。
 謎は全部そこに端を発している。
 謎を創りだした張本人がきっとどこかにいると思うんだ。
 ひょっとしたら宇宙の空間の、其処にいるかもしれない。
 或は宇宙の隣側にいるかもしれない。
 そこだよきっと、張本人は絶対に居る。
 僕はね、死んだら平等に、みんな其処へ行けると思っているのさ。
 死んでもそれはこの世とおさらばするだけの事。
 命を与えた張本人も、命を貰った本人も実際には一緒に其処に居るんだ。
 だからね、実際には死んでも死にはしないのさ。
 この世とそこのあの世は壁一枚で隔てられているけれど、
 この世の先の、その壁を突き破ったら即あの世だ。
 この世とさよならだ、それだけの事よ。
 どんな厄介な事でも、この世のことはこの世で始末できる。
 どんなに苦しくても辛くてもあの世へ一歩足を踏み入れたら、
 生まれたての赤ん坊ののように純粋無垢で、平和で平等な世界に入れる。
 しかしね、
 残念ながら、逝ったら最後、絶対に此処へは帰ってこれない。
 だからさ、今際の際までとことん生きて行かなきゃと思っているんだ。
 だってさ、勿体ないもの」 
 

青い飛沫(17)

2017-04-23 16:17:40 | Weblog
「しかし、あの山って存外高いからね、兄さん達ゆっくり行こうね」
「這いながらでも行くさ。恐らく僕と正義はこれが最後の墓参りになるだろうから。
 この小高坂山の事、一寸話しておこうか。この付近一帯は昔は小高坂村
 と言われていたそうな。小高坂山にも城があったと聞いている。
 それに対して高知城付近一帯は大高坂と言われておったそうな。
 僕らは小高坂村の出と言うわけさ。3人とも小高坂小学校だものね。
 当時の子供の頃の遊び場は高知城、小高坂山、鏡川、久万川、小高坂小学校の校庭だった。
 僕らの菩提樹は小高坂付近の永福寺。浄土真宗東本願寺大谷派だよね。
 幕末の頃、この寺の門前で下士と上士が切合いの大喧嘩したそうな。
 そもそもこの付近は倒幕に係わった下士が多く居たらしい。
 坂本龍馬も此処の永福寺の境内によく遊びに来たそうな。
「よく知っていますね、治兄さん。ところで、ここから高知城まですぐだけれど、
 それでも小高坂村という村の名がつたのは何故でしょうね」
「多分それは、城に近くても北側に位置し、所謂山の方向だったからだと思うよ」
「地理的に見て城下町にはならなかっというわけですね」
「多分そうだろうね。所謂農村地帯ともいえるんじゃないかな」

「ぼくら3人がみんな死んだらどうなる?」
「どうもなりはしないさ。墓に入って、それから天国で暢気に暮らすさ」
「いや、そういう意味ではなくて、今のあの家はどう処分すればいいの」
「お前様には息子二人いるじゃ。良きに計らえと遺言しておけばいい」
「末っ子の僕が頂いていいの」
「末っ子もへちまもあるものか。あれはお前様へのプレゼントよ。
 浦島家の本家と門札が残ってくれればそれが何よりも嬉しい。なあ正義」
「僕も兄さんも都会へ出た。これから関東と関西に根を生やしていくのさ。
 心配無用だよ」

本格的に反撃を開始するか

2017-04-19 13:06:24 | Weblog
色々来るものですねえ、あきれましたよ。
難病一つ抱えただけでこの12年間、えらい目に遭いました。
食事の管理がことのほか厳しくってね。
蛋白質摂取量の制限、カリウム摂取量の制限、エネルギーの確保。
実際無茶な話ですわ。
焼き秋刀魚一匹と茶碗一杯の御飯、卵一個、牛乳200CCで、はいこれでおしまい。
牛肉なら200gと御飯いっぱいで、はいこれで限度です。
それでカロリー1500Kcal取りなさいというものですからね、
油飲んだり、専門の会社からカロリージュースや蛋白0の御飯を取り寄せたり、
味とかの食べる楽しみを捨てて頑張ってきました。
しかし、後期高齢者にもなるとその元気もなくなってくるのです。
特にカリウムの制限にはほとほと参っております。
生野菜がダメだなんて、湯でこぼしの野菜なんてやってられますかいな。
さつま芋が大好きだけれど、あれは大敵、日に30グラムで辛抱です。
これじゃあ出るものも出ません。
干し柿、これが大好きで庭に一本渋柿を植えてありますがね。
これも懸命に干し柿にして食べるのですが、日に20グラムですよ。
腎不全患者には便秘症が多いとか。
こんな恐ろしい生活が生涯続くのです。

その後すぐに肺気腫(COPD)を患いましてね。
息切れというのはね、辛いものです。
ステージ3とか。薬と散歩や深呼吸などのリハビリの併用が生涯必要なのです。

つい最近、閉塞性動脈硬化症を発症し、10分歩いては5分の休みになります。
左足が痛くて歩けないのです。辛い散歩になりました。

これら三つの病のもとをご存知ですか。
煙草ですよ、煙草。
20本を20年以上やれば、こうなる確率が高いのです。
しまった、と思っていますが最早遅いのです。

こうなったら煙草に恨みをぶつけます。今に見ておれや。
禁煙運動を展開します。先ずは欧米並みにしましょう。
何ですか、今の議員さん方、大人たち、すぱっと全面的に禁煙させなさいよ。
私共は反撃ののろしを上げます。



青い飛沫(16)

2017-04-16 09:09:18 | Weblog
「ところで、明日は待望の墓参りですね」
「そうなんだ、墓参りも11年ぶり、行くぞ行くぞと言いながら病気したり、
 仕事が入ったりでなかなか難しかった。群馬と高知では距離がありすぎるね」

「僕は5年ぶり。五年前に一寸高知に用事があって寄った」

「僕は地元で、墓守りの役目でありながら年に一回がいいところ。
 女房殿が病気でね。言い訳がましくなって申し訳ないけれど、
 墓の掃除は殆どやっておりません。山の中のあの広さでしょう、手に負えません」
 多分明日行ったら草ぼうぼうで…怒らないでくださいな、兄さん達」

「心配するな、墓なんていうものは昔からの先祖が骨になって居る印のようなもの。
 鬱蒼とした草木の中で、あれ!どこだったかなと探すぐらいがむしろカッコいい。
 都会では供養ができなくなるからと墓のロッカーみたいなものができているというが、
 あんなのまるで馬鹿げていると思う。先祖の人が必死で生きてきた足跡が
 あんな箱の中に収められて誰かに供養を頼んで、それでどうなる。満足かね。
 一寸した目印の墓があればそれで充分。立派なものは必要ないと思うね。
 自然の中でゆるりとしていることの方が霊も喜ぶと思うけれどね。
 お参りもね、気の向いた時にぶらりと訪ればいい。
 遊山気分で家族皆で手を合わせ、一緒にお弁当広げたりしてね。
 それが3年に一度でも5年に一度でも一向にかまやしないさ。
 それができなくなったら家の中の小さな仏壇に向かって
 一緒にお茶でも飲んで居ればそれで心の内は十分満たされると思うよ。
 遠い所をわざわざお参りに来たらそれは嬉しいだろうけれど、
 心配もするだろうからね、おまえさん身体の方は大丈夫ですか、と言われたりしてね。

 宗教の基本は、霊が望むそんな思いやりの精神だと思うがね。
 特に浄土真宗はそうだろうと思うがね」

青い飛沫(15)

2017-04-13 09:33:23 | Weblog
「何だかこの会、最早終わったみたい。皆で会いたい、早く逢ってみたいと待ち構えていたのに
 こうして会ってみると、そうかという感じ。もうすっかり落ち着いちゃった。
 ボツボツ上がって、部屋で飲みながらにしましょうか」
「ああ、いいお湯だったな、そうしよう」

「それにしてもやっぱり17年ぶりだよね。兄さん達もぐんと老け込んだんだ」
「それはそうだよ。あの頃は定年間際とはいえ現役のバリバリだったもの。
 充実はしていたけれどいろいろあったね。本当は還暦祝いどころではなかったけれどね。
 60歳前後といえば人生のターニングポイント。これは本当だったね。
 それぞれ三人とも仕事上でも体力的にも大きく揺れた時代。
 僕は上海で気が狂うほどの辛い体験をしていた。見る見るうちにげっそり痩せて胃潰瘍。癌。
 思い出してもぞっとするね。言葉だよ、言葉。全く話せない自分が情けなくなってね。
 せめて英語でも堪能ならまだしも、漢字で書いて身振り手振りでは漫才やっているようなもの。
 仕事中に漫才をやっちゃいかんのだよ。この馬鹿たれがと葛藤しているうちにとうとうダウン。
 一目散にに日本へ帰って即入院。この時、肺もやられていた。ステージ3の肺気腫。
 17年後の今も治療を続けているがね。まあこれは身から出た錆、結局はアホな男よ。

 正義も大変だったんだよな」
「そうなんだ。僕はね機械設置工事の時関係者が二人大怪我をした。
 その二人は生涯その後遺症を抱えて行かねばならないほどのね、参ったよね。
 僕は以来20年近く気の休まる時がない。未だにその夢にうなされる。
 直接的には僕のミスではないけれど、監督責任は当然ある。僕の責任だと思っている。
 そのせいかどうかわからないが、心臓が変な動きをするようになった。不整脈でね。
 それを根治しようとしてカテーテルアブレーション手術をやったら合併症がでて腎不全。
 食事がままならなくなったら致命傷だね。生きる楽しみの五割は失う。
 
「邦夫は腰痛と痔、か」
「腰痛は脊柱管狭窄症と腰椎すべり症が重なって、痛み出したらほとんど歩けないんだ。
 丁度退職と同時に発症しちゃった。いざこれから人生を堪能しようと思った矢先にね。
 痔はいぼ痔が飛び出す程度でたちまち命には係わらないから気にしてはいないけれどね」

「みんな大変だったんだなあ。しかし一番のターニングポイントは70歳だという。
 曲りなりにクリアしているから先ずは上等とするか。欲出せば切ないものな」

青い飛沫(14)

2017-04-09 09:03:17 | Weblog
案内されて部屋に入ると正義と邦夫が談笑しながら待ち受けていた。
「ごめん、ごめん、一寸飛行機が遅れてな」
「おっ、正義も邦夫も元気そうだな」
「治兄さんん、お疲れ様です」
「取り敢えず皆でお風呂を頂きましょうか」邦夫が立ち上がり、先導する。
17年ぶりにあったというに特別の挨拶はない。やっぱり兄弟である。
そんな他人行儀な挨拶など無用の事、お互いがお互いの顔を見れば全て納得である。
歩く姿をちらちらと観察しながら「随分老け込んできたな」と3人それぞれが思っている。
頭の白くなった御仁、禿頭になった御仁、杖ついてよたよた歩く御仁。
77歳、75歳、73歳の老人たちである。我等を他人が見たらどう映るであろうかと思う。
それなりに評価するであろうと思うとやはり寂しい。

「三翠園は懐かしいね、何といったって皆さんここで式を挙げ、披露宴をやったものね」
「そうだよね兄弟三人ともが同じ場所というのは珍しいのではないだろうかね」
「邦夫には随分お世話になった。いや、奥さんの方かな」
「そうだよな、邦夫の奥さんのお世話がなかったらまだ独身で鼻水垂らしてよろよろしているかもしれんわ」
「まさにそうだよ。邦夫の奥様には幸福を送っていただいた。奥様の肝いりで僕も正義も同郷の女性をお嫁さんにすることができたものね。これは良かった。仕事から帰っても同郷の妻がいるからね。平気で高知弁でやれるだろう。気楽も気楽。なに、子供なんて頭柔らかいからすぐに両方の言葉を覚える。何も気にしないね。邦夫、有難う」
「僕は何もしていないよ。女房が世話好きなものだから…それに、兄さん達なら安心だと思い込んでいたみたい。そうでなきゃあんなに一所懸命にならなかったと思う」
「ここは邦夫の人徳ということにしておこう。ねえ治兄さん」
「やっぱり夫婦で集まった方がよかったかな。でもなあ、我々3人には特別の思い出や苦労話もあるしなあ。それにこんな会食、これが最後になるかもしれないものなあ」

青い飛沫(13)

2017-04-02 09:43:08 | Weblog
後日の話になるが、まさか邦夫がこの家に住み着くことになろうとは誰も考えていなかった。
土壇場になって急遽治が就職先を静岡「のち群馬へ転勤」の某機械の製作所に換えたからである。
元々都会志向であった治は母の死によってそれを決断した。
勿論治には早晩邦夫は結婚し、奥様共々学校の先生になるであろうという予測があった。
数年後にこれが実現し、この家の主になった。
思えば最善の道であった。

いよいよあの約束の日が近づいている。
兄弟3人の17年ぶりの故郷での再会である。
この体ではいささか心配ではあるが、これが最後になると思っている。
這ってでも行くつもりである。
「あなた、本当に行くつもりなの、その体では無理じゃない?」
女房の奏子は心細げに「私、付いて行こうかしら」などと言い出す始末である。
勿論夫婦同伴でという話もあった。しかしこれには弟二人が反対した。
父さんと母さんを早くから亡くし、治兄さんを中心に我々三人が結束して歩んできた道がある。
余人を入れず、心の底から笑い、涙し、人生最後のひと時を過ごしたいと言う。
最早治は77歳、正義は75歳、邦夫は73歳、いつ何が起こってもおかしくない年齢ではある。

「奏子、心配は要らんよ、大丈夫だ、この行事は予定どうりだからな」
治は心臓を右手で撫でなが有無を言わせなかった。

遂にその日が来た。高知空港に到着である。
いつの間にか高知竜馬空港という看板に変わっている。
此処はなんでも「竜馬」を付けるらしい。
懐かしいというよりは「変わったな」と思う。
三翠園へはタクシーで直行である。