シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

凄いんだから、宇宙って (夕焼け日記より)

2013-06-30 07:59:48 | Weblog

作品291(夕焼け日記より)

目に見えない、不思議な幸せがある。
これは本物の幸せ。
ふわっと掴みどころなく滲み出てくるもの。
まるで大きな風船の中で夢見ているようなもの。
そして、それは突然姿を現す。
ほんとはネ、
その中にすっぽりと入っていることに気付くときなんだよ。
そして、それは突然消える。
ほんとはネ、
その中にいることを忘れてしまったときなんだよ。

こうして幸せは出たり入ったりする。
喜びや悲しみがそれを繰り返すように。
でも、びくびくすることないよ。
風船の中はとても大きく、絶対に壊れたりしないから。
あなたを置き去りになどするものですか。
若しものときでも、丸ごと見守っていてくれるさ。
輝ける命を満載して、みんなその中にいる。
ほんとはネ、
無限に神秘な懐の中に抱かれているのさ。
凄いんだから、宇宙って。


老人の悲鳴 (夕焼け日記より)

2013-06-23 06:29:14 | Weblog

作品290(夕焼け日記より)

弱り方のスピードがずんと上がってきました
それはそうでしょう。
八十歳が寿命とすればあと五年余。
加速していかないとつじつまが合いません。
日、一日を見るよりも半年単位で見るとよく分かります。
客観的に大局を見よ、というではありませんか。
絶対に訪れる「死」、目を背けてはならないのです。
対処しておかなければならないことが沢山あります。
尚且つ、
苦痛や不安を見事にかわす術を身につけなくてはなりません。
病気と加齢を受け入れるということは大変なことなのです。
三浦さんのような鉄人を見習いなさいと言われても、
それは雲を掴むような話なのです。
弱った老人はもっと現実的に、この世で必死に生きるのです。
必要最小限のことを、歯を食いしばって。
そのうちにどのような終末が自分に最もふさわしいかを見つけることでしょう。

決して悲しい話ではありません。
高齢者の、弱った人々の悲鳴なのです。
そんな人たちが溢れてくるのです。
今は若い人達だっていずれ年を取ります。
歳をとれば病気もするでしょう。
必ず順に巡ってくるのです。
そのときの社会の姿をあらゆる角度からシミュレーションしておくべきです。
あの南海トラフの大地震のように。


 


一人前になった爺さん (夕焼け日記より)

2013-06-16 08:51:55 | Weblog

作品289(夕焼け日記より)

この爺さん、七十をとっくに超えた。
この歳になってやっと自分の妻が女性であることに気がついた。
世にも珍しい暢気な爺さんだ。

一緒に出かけるとき、いらいらしなくなった。
身支度を整え、こまごまと準備している様子をよく理解している。
やがて彼女はお気に入りの手さげを左の肘に掛け、玄関に現われる。
外でじっと待っていた爺さん、
ポケットからキーを取り出し、施錠する。
日傘は?と問いかけたりする。
信じられない光景だ。
最近はお手伝いもできるようになっている。
戸締り、留守電のセット、電気、ガスの確認。
ようやく家事の何たることかが分かり始めた今日この頃、
やっと一人前の男になってきたようだ。
しかし、残念ながら最早残りの時間が少ない。
病は確実に進行しているのだ。
折角妻の女の子らしい可愛さが分かってきたというに。
折角幸せの気分を理解でき始めたというに。
ほろりと涙するときがある。

爺さんはこのところ俄然真剣に余生と取り組み始めた。


マンモスの赤ちゃん (夕焼け日記より)

2013-06-10 14:54:40 | Weblog

作品288(夕焼け日記より)

数年前、
マンモスの赤ちゃんが見つかった。
無傷で、永久凍土の中から。
思わず声をかけたくなるような映像であった。
まるでついさっきまでポコポコ歩いていたかのようだ。
一人寂しく、切なく命を落とした彼女の最後の瞬間。
思いは広がり、めぐる。
時間とは一体何者、と問いたい。
一瞬のうちに数万年を逆戻りした。
が、赤ちゃんはこのことを知らない。
つい先ほどまでルンルンと歩いていたのに、
あれっと思ったらこの世界が消えた。
その最後の余韻を未だ残している。
不思議。
生と死、その境。

が、この赤ちゃんはかけがえのないものを残してくれた。
雄大な歴史のひとこま、私達の先祖の世界。
折角の贈り物、学問的な意義も多かろうが、
命の足跡、命の凄み、そしてはかなさ。
そんな、じんとくるものを頂いた。
マンモスの赤ちゃん、ありがとう。


何よりも連携プレーだ(夕焼け日記より)

2013-06-09 07:38:04 | Weblog

作品287(夕焼け日記より)

おいおい、何だかおかしいぞ、送受信がうまくいかない。
そちらはどうだ、ちゃんと送信できているか。
こっちには全くキャッチできないぞ。
あ、きた、いや,,,又途切れた、どうなっているんだ。
一時的な故障か、それとも,,,
多分親父殿はこのことを未だ自覚していないと思う。
それはともかく、このままじゃ大変なことになるぞ。
脳内全部門に緊急発令せよ。
総点検だ。
点検の結果とデータは逐一ここへ送れ。
終わり次第各部門の担当責任者はここへ集合だ。
全員揃ったら緊急会議を始める。
先ずは現状を詳細に把握、要点を項目別に列挙せよ。
それから要因を分析する。
存分に意見を述べられよ。
時間をかけて原因を一つ一つ絞り込んでいく。
それから対策だ。
よいか、すぐに実施可能なものは即作業にかかるよう指示せよ。
あとは重要度の高いものから検討し、実施だ。

そうか、この脳は全体が弱ってきているな。
ひととおりの修復が終わってもまだマダラ模様だ。
今に記憶喪失等の初期症状が出始める。
しかしこのシステムはまだまだ使える、諦めてはならんぞ。
脳以外の各部署にもこのことを伝えよ。
連携を強化し、総力を結集するのだ。
親父が倒れたら我々もそれまで。
あとは親父殿が一刻もことの重大性を気付き、
生活習慣を変える努力と治療の成果を祈ろう。
なに、この親父のことだ、きっとやる。

その後親父こと、その老人、精密検査を終えリハビリに懸命である。
我等の働きの甲斐あって八十歳を超えても元気一杯だ。

 


人生の礼儀 (夕焼け日記より)

2013-06-02 08:27:57 | Weblog

作品286(夕焼け日記より)

来る日も来る日も病気との闘いですからね。
退屈しないからいいじゃ、などと冗談言われるけれど、
そうはいかん。
まるで刑務所暮らししているみたいなものだろう。
何と言ったって行動範囲がぐんと狭くなってきたのが痛い。
我が家を中心に半径三キロ圏をうろうろしている。
身体的には仕方のないところではある。
ところが脳の活動も鈍ってき始めた。
脳だけは無限に働くと思っていたが、そうでもない。
脳の活動は明らかに身体の活動に比例している。
ビデオよりライブだ、当然だろう。

愚痴はもうよそう。
さて、ここらで局面全体を見てみよう。
かなり追い込まれてはいるが、未だ死に体ではない。
この形、なかなかしぶといぞ。
ここのところさえ凌げば未だやれる。
もしも名手あれば一気に面白くなり得る。
気を取り直そう。
ここは歯を食いしばって我慢のしどころ。
投了を考えるなど失礼だぞ。
それが人生を生きる礼儀というものだろう。