シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

元気をもらう散歩(命輝く より)

2015-10-28 09:02:10 | Weblog

この散歩コース、実は大層楽しみにしていることがある。
時に、園児たちの何かのイベントが見られること。

今日はどうだろうかな、ひょっとしたらの期待を込めながら角を曲がる。
風が真正面から吹き上げて、思わず目を細める。
リハビリ中の私にとってまことに苦しい行になる。
身をかがめ、うつむき加減に風を避けながら一歩一歩踏みしめて歩く。

その風に乗って向うから幼児たちのあの甲高い声が聞こえて来た。
いる、いる、黄色の帽子を被った小さなやんちゃ坊主達。
二十人ぐらいかな、二列でこちらへ向かってくる。
私はそこで立ち止まって彼らを待っ、何だろうな。
子犬のようにじゃれ合いながらひと時もじっとはしていない。
それでもどうにか隊を崩さず先生の誘導についていく。
可愛い。
本当に可愛い。
思わず声立てて笑ってしまう。
「こんにちは」と先生が声を掛けてくる。
「可愛いですね」と答え、「こんにちは」と子供たちに声を掛ける。
一人の子が「こんにちは」と言った。
私は園子の頭にそっと手を触れ、「頑張っているね」と言う。
一瞬その子は私の顔を見た。
目が合った。
何かが通じ合った。
嬉しい、やっぱり可愛い。
やがて列は園内に入っていった。

幸せのひと時。元気を得て再びリハビリに向かう。


ようやく見えてはきたが(命輝く より)

2015-10-25 08:47:15 | Weblog

この歳になってようやく老人の域の何たるかが分って来た。
もう一つ、
同時に又歩んできた、ときの流れが見えて来た。
是非申し上げたいことがあるのです。

青春は、あれは人生最高の時。
希望に溢れ何でもやれるとき。
あのように楽しく、物事に打ち込める時代は二度とこない。
悪しきことが起こってもいつまでも続きはしない。
気力も体も充実しているからだ。
やり直しもきく、恐れることはない。
存分にやればいい。

壮年の時代は、最も充実し重荷を背負い得るとき。
社会的、家庭的においても重要な役割を果たし得るとき。
幸せをひしひしと感じるときでもある。
又それらのことが永遠であるかのような錯覚に陥入り易い時である。
この自信過剰が最も怖い。
さりとて安穏を求めて守りに入ったら即老いる。
難しい時期である。

医学用語でよく「保存療法」という言葉をよく聞く。
人生の終盤、つまり老人はこの保存療法の時代である。
その決め手に脳の活性化を取り入れる。
そう、心配事や辛き事にとらわれず今をどう過ごさせるかがその本質にある。
老人の域は歳には無関係にやってくることを認識することが肝要であろう。

どうやら私は今この時期に入った。
怖いのはどのような形で土壇場を迎えるかである。
老人はここのところを最も警戒している。
さてどうするか。
しかしながらこの答えは出ないものと覚悟すべきであろう。

 


やっと見つけたぞ(命輝く より)

2015-10-22 09:03:14 | Weblog

あっ、見えた。
きっとあれに違いない。
黄金色に輝く巨大な球体。
ようやく見つけたぞ、五十年間探し回った甲斐があった。
それにしても遠いな、しかし勇気百倍彼はまっしぐらに進む。
あれっ、見えなくなったぞ、あの大木が邪魔だな。
とりあえずあの大木のところまで行こう。
あっ、見えたぞ、あっちの方角だ。
大丈夫かな、ずんずん険しくなってくるぞ。
今更どうなるか、前進あるのみだ。
臭いな、ブツブツ音がするぞ、これは沼かよ、かなり深いぞ。
でもあの向うに確かに見える、間違いなく黄金の光だ。
ものともせず彼は首まで泥に浸かりながら進み続ける。
あっ、又見えなくなった。
山だ、あの山に遮られた、畜生。
彼は力を振り絞って登る、這う。
全身傷だらけになって漸く狭苦しい洞窟の前の広場に来た。
力尽き倒れ込むようにうずくまった。
やがて顔をもたげ、薄目を開けて前方を見た。
何だこれは。
脳から血の気が引いた。
全身に凄まじい震えが来た。
そのはるか向こうの空のかなたにその黄金の球はあった。
生涯かけても辿り着けないであろうと確信した。
振り返ってみた。
とても引き返せるような状況ではなかった。
夢を追って来たのか、それとも…
されど最早どうにもならぬ、やるだけのことはやったのだ。
それにしてもこの心地良さ、これ以上何を望もう。
彼の心は巌のごとくに静まり、ここを永遠の居場所と決めた。


想定外を生きる(命輝く より)

2015-10-18 08:46:37 | Weblog

七十歳を軽く超えて生きているなんて全く想定外のこと。
あんな無茶をやって、遂に天罰食らって病気、病気、病気、病気。
それでも何とかやっていけてるなんて不思議も不思議。
友の誰もがそう思っているに違いない。
何れは大きな奴を発症するとは思っていた。
一度目は運よくクリアできたが今度ばかりは致命的であろう。

先生に「煙草をやりすぎたね、肺がぐちゃぐちゃだ」と嫌味たっぷりに言われた。
言うのは勝手だがあまりに高圧的だったから一瞬むっと来た。
高度成長時代のあの頃は大変だったんだ。
煙草ガンガン吸って酒がぶがぶ飲んで、そうでもしなきゃ神経が持たなかった。
あの頃のこれからの高齢者、肺がんは激増すると予言しておく。

今日もいつもの時間にいつもの公園を歩きます。
待ちかねた秋、あちこちで色が付き始めました。

青い空に白い雲が浮いて
その下では白い羽付けた蝶がひらひら飛ぶ、ひらひら舞う。
おっ、僕の傍に来てくれた。
嬉しいね、一緒に遊んでくれるの。
よかった、僕の言うこと分るんだね。
もう一寸ゆっくりだよ、そうその調子。
僕は走れないんだ、ねえ、頼むよ。
あっ、でも又戻ってきてくれた。
分るんだね、友達だってことが。
あれ、もうさよならですか
じゃあ元気でね、バイバイ。

歌でも歌いたくなるようなすがすがしい気分。
美味しい空気。
今日は又とても体調が良く、気持ち悪いほど冷静なのです。


僕のたった一つの取り柄(命輝く より)

2015-10-15 09:53:55 | Weblog

何事に於いてもピンからキリまである。
それが人のそれぞれの個性でもある。
だから気に病むことなどないぞ。

分ったような面してそんなこと今更言われんでも分っておる。

だけどさ、僕は桁外れのどうしようもない奴なんだ。
何をやらせても「キリ」ばかり、「ピン」に属するものは何もない」
ぶきっちょ、忘れ坊主、注意散漫、方向音痴、…
子供のころから随分叱られました。
普通に歩いていて三度も川へ落ちるなんて、
どだい話にならんね、当時は頭抱えて真剣に考えました。
大人になったら少しは、と思っていたが、ダメだね。
新婚早々間違えて隣の家へ入ったことが二度ある。
隣の奥さんびっくりしてね、あれは生涯忘れない。
そんなこと話したらきりがない。

そして今
あれがない、これがないと朝から大騒ぎ。
あれを忘れこれを忘れ、貴重な時間を物探しに費やしている。
こんな男が親父になり爺になったとは本当かよ。
人は見かけによらぬというが、びっくりするぜ。
ちゃんと一人前の社会人になっている。

何を隠そうたった一つ「ピン」に属するものがあった。
真面目。
これだよ、これ、これこそが僕のたった一つの取り柄。
これが僕を生き延びさせた。


じたばたしたって意味ないよ(命輝く より)

2015-10-11 09:12:31 | Weblog

去年の暮れから今年にかけて友人が次々とあの世へと旅立つ。
私が先頭集団の最前列に居たはずなのに、
まさかである。
さらに一人、二人と逝き始めたらどうしよう。
こんな病持ちだらけで後尾に残ったら悲劇だ。
気は焦るが、こればかりは時の運。
困ったことに大層用心深い性質ときている。
それが災いするぞ、なかなか逝けんぞ、と友人たちはからかう。
それでも尚ケアを続け、苦心惨憺今日の今を生きる。
毎日がぎりぎりの、命懸け、とは少し傲慢な言い草か。
しかし、悩みや苦しみを相対的に論ずるは難しい。
ましてやそれを量る道具などありはしない。


それよりも、気付いたことがある。
ひょっとしたら、
これで結構「生」への執着心が強いのではないか。
深手を負いながら結構やっているのではないか。
強い自分であることをうっかりしてやしないか。
難しく考えずこのままスイと行けばいいのではないか。

そうかもしれんぞ。
峠を越えてそのうち、ふくよかな顔つきになってくるかもしれないぞ。
我流の宗派、宗祖を志すも立派であろうよ。
土壇場まで追い詰められ、絶望の果て来たりしとき、
時こそ違え、やがて命あるものは誕生の時のように同じ土俵に降り立つ。
それが定めというもの。
そうよ、今からじたばたしたって何の意味もないぞ。


行先はあの世じゃないぞ(命輝く より)

2015-10-08 09:53:00 | Weblog

先日あの世とやらを覗いてきたけれど、
あそこはいかん、滅多なことでは行ってはならぬぞ。
入り口でさ、
お待ちしておりました。お気軽にどうぞお入りください。
いいところですよ、もう苦しむようなことはありませんから。
住家の心配も食事の気遣いも不要です。
気楽にのんびりとお過ごしください。
だなんて言うものだから、
かなり弱っていた私はつい一歩を踏み込み覗いてみた。

たまげたよ、どこを見ても一面灰色一色だもの。
のんびりと言われたって、することなど何もありはしないぞ。
美しい景色を期待していたけれど、だらしない墨絵の中にいるようでさっぱりだ。
幽霊のようにうごめくものが沢山いたけれど、
とても一緒にお話ししたり遊んだりできる相手ではなかった。
食欲など感じないから腹は減らない。
空間をゆらゆらしているだけのことだから住家など関係ありはしない。
要するに何もなしの空っぽの世界。
騙されてはいかんぞ、あそこは恐ろしいところだ。

私は底なし沼から這い上がるように必死で引き返した。
夢かうつつか分からないけれど、はっきり見えたぞ。
どんな目に遭ったって二度とあそこへは行きたくない。
この世ならどんなに汚くても辛くても優しい光がある。
第一この目に映るもの。
それから、僅かながらでも感じる食と水の味。
やはりここは一番のところ、どんな拷問を受けても手を離してはならぬぞ。

あそこへ行く時期は、いざここぞという時、
宇宙の自然の摂理がスパッと決めてくれるさ。
行先はあの世じゃないぞ、天国だぞ。

 

 

 

 


瀕死の白鳥(命輝く より)

2015-10-04 08:53:01 | Weblog

険しい鬱蒼とした迷路のようなジャングルをずんずん歩きます。
数日も歩いて、突然目を疑うような平原に辿り着きます。
そのずっと向うの方に大きな森が見えてきます。
そこの森に入ってさらにずんずん歩きます。
漸くあの湖に辿り着きます。
恐らく誰もそこへは入っていないと思います。
謎の湖。
周りの木々や花々、天空を映し出している鏡のような湖面。
そう、無色透明の空間がゆらゆらと地下深く広がっているのです。
此処へあの白鳥達が舞い降りてくるのです。
一休みしているのではありません。
傷ついた子供たちの心をいっぱい抱き、
天女が白鳥に姿を変え、
ほら、真白の羽を精一杯広げ、今湖面に降りようとしています。
白鳥はここで彼等の心の傷をいやすのです。
水面をスーと音もなく滑るこの白鳥達。
まるで神様の化身、やはり天女の姿が重なって見えます。

当たりはしんと静まり返り、
全ての生き物がその白鳥を見守っています。
白鳥は時々苦痛に身を震わせますが声一つ立てず、
子供たちの負った心の傷を懸命に癒しています。
何も食べずに一週間、
やがてその白鳥達は飛び立ち、
天女に姿を戻し大空の彼方へと消えていきました。
固唾をのんで見守っていた生き物たちもホッとしたのでしょう。
いつもの活気溢れる騒がしい森にかえります。
きっと遠くの方で子供たちの歓声が上がっていることでしょう。

サンサーンスの瀕死の白鳥、
何故か凄く心が癒される不滅のメロディなのです。


偉大なる母(命輝く より)

2015-10-01 08:49:19 | Weblog

我々は今宇宙の黄金期に生存しているそうな。
真に幸運な生命体である。
宇宙はまるで宝石をちりばめたように美しく輝き、
謎を満載しながら点滅し続ける。
果てしなくどこまでも永遠であるが如く。

が、数百億年後には殆どの恒星は死滅し、
宇宙はその寿命を全うするという。
当然のことながら生命体はもはや存在している筈もない。
ともかくも我々はそんな宇宙の最盛期の中で誕生した。

地球外の星屑の中に命の痕源があるという。
それが地球に降り、数十億年を経て命の姿を現したという。
限りなくゼロに近い確率であっただろう。
今や宇宙こそが我々の先祖であることを疑いものは居ない。
古代の人々は太陽や月、キラキラ光る星空を崇め、
命の消えるを慄き命の誕生を感謝し、祈りを捧げた。
思えばそれは宇宙の神秘を敬う本能的で当然の行為であった。

悲しみに打ちひしがれたとき。苦痛に顔歪めるとき、
夜空をじっと眺める。
怒りや苦悩は吸い込まれるように消えていく。
心癒される不思議な力。
彼等はそれを知っていた。
宇宙こそが偉大な母であった。