シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

お化けになった野原 (夕焼日記より)

2013-08-25 08:25:01 | Weblog

作品301 夕焼日記より

何だろうと思ったら、
高速道路を作っているのであった。
広大な田んぼの真ん中に、
見事に支柱が並んでいる。
まるでじゅうたんの上に積み木を並べたようだ。
だが、いかにも不恰好。
白骨化した骸骨が並んでいるようで気味が悪い。
折角の田地がお化け野原に変わっていく。
今に田園の美しい景観が消えてしまうだろう。
こうして地球が少しずつ壊れていくのかと思う。
こうまでしなければならないのかと思う。

一方ではトンネルや橋、埋められたガス配管等の
設備が老朽化して最早限界に来ているという。
津波や地震災害の対策も急がれる。
分かっていながらなかなか進まない。


安心でぬくもりに溢れた社会、
誰もがそれを望んでいると思うけれど、
人という生き物、本当に難しい。
進化の果てが怖くもなる。




言わしてください (夕焼日記より)

2013-08-18 09:28:20 | Weblog

作品300(夕焼日記より)

一体君は自分を何様と思っているのかね。
その傲慢な態度と言い草、あきれます。
どうやら君は何も分かっちゃいないようだ。
人にはそれぞれ人格ってものがあるんだぜ。
このことにおいて上も下もあるもんか、みんな同じよ。
人を見下すような、あの態度は許せん。
能力の範囲を尽くしている人って美しいものだ。
分かっていますか、このこと。

ところで課長殿。
皆さんが君をどう見ているか言ってやろうか。
言えば腰を抜かすだろうよ。
やっぱり言うのはよそう。
あまりに酷いことになるから。
自分で考えることだね、課長さん。
人を評価する前に自分を評価してみたら?

ところで、ちょいと尋ねますが、
我が身を責めたことってありますか。

ひと言だけ言う。
いずればれるよ、そんな君を会社が見逃すものですか。
分かる?
課長さん。


反省の上に立ってこそ (夕焼日記より)

2013-08-16 16:06:43 | Weblog

作品299(夕焼日記より)

自ら招いた失敗や不幸の因を他の何かに押し付ける思考は、
恍惚症という恐ろしき病に罹っていると考えた方がよい。
生意気な奴、無礼者と言われても仕方あるまい。
自らに敢然と刃を向け、猛省することの出来る強靭さ。
ここのところを逃げることなく正面から鍛えておく必要がある。
冷静な判断力、そして、
優しさや愛の深さはこのことに大きく係わってくるからである。
自身が大きな傷を負ってからでは遅きに失することもある。
早めの治療をせねばなるまい。
自らを責める訓練に長けたつわものは、非常時に滅法強い。
相手の心の傷を知り、癒す力をも備え得るからである。

先日、「戦争とは何か」を考えることが重要であると誰かが言った。
そうではあるまい。
「何故戦争が起こったか」、「戦争の発端は何だったか」であろう。
自らに刃を向ける度量がありや否や。
反省の上に立ってこその平和への道ではなかったか。
この、「ことの真実」を追求することの風化が怖い。

戦没者追悼式。
一切触れなかった戦争の反省、そして罪。
このことに触れずして何が追悼か、尊崇の思いか。
英霊はその一言を待ち侘びているに違いない。
何を考えているのだろうね。
大戦中も、今も、これからも、国民を愚弄し続けるのかね。
メディアも政治家もしっかりして下され。
私どもも。


洗脳とは恐ろしきこと (夕焼日記より)

2013-08-11 08:48:21 | Weblog

作品298(夕焼日記より)

一合も飲むのでしたら毎日はダメですよ。
先生は目を丸くしてそう言った。
この先生は外来を始めたばかりの、
小太りの若い女性の先生である。
驚いたのはこっちの方である。
一合の酒なんて一口で舐める程度のもの。
全然分かっていない先生、
恐らくお酒の味を知らないか、すぐに赤くなるのだろう。
でも、その真剣な態度が愛らしく見えた。

男性の別の先生はこう言う。
お酒は止められませんか。
とにかくどうか諦めてください。
拝むような顔つきで隣にいる妻の方を見る。
酒なしで、そんな夕食なんて考えられません。
粘ってはみたが、先生は最後まで抵抗した。
何だか恐怖に怯えているかのようだった。
その後、あの手この手を尽くしてみたが。
先生は頑として譲らなかった。

そして三年後、
一合の酒が当時の一升に見える。
この歳になってやられた。
最早もう飲もうという気がしなくなっていた。
洗脳とは世にも恐ろしいこと。
用心、用心。


ピンとこないね (夕焼日記より)

2013-08-04 09:44:24 | Weblog

作品297(夕焼日記より)

息子達があんなに立派になるんだものね。
いつまでも子供じゃなかったんだ。
僕は根っからの方向音痴だが、
過去と現在が今でも混在している。
どこかの蝶番が外れているようだ。

七十歳台とは、そもどのような位置付けになっているのか、
どうもよく分かっていないんだ。
孫が大きくなっていくさまを見て、
爺さんと呼ばれて妙にくすぐったいとは何事ぞ。
鼻水たらして、動作は緩慢、分かっているのかね。
不思議な御仁だ。

そう言えば結婚したときもずっと亭主という自覚はなかった。
父親になったときも同じような感覚であった。

脳の成熟が遅れているのか、まだ学生気分が漂っている。
馬鹿につける薬はないというが、
死ぬまでこんな調子でいくのだろうか。
もうボツボツ旅立ちの準備をしなければならぬ歳なのに、
土壇場にならないとピンと来ないらしい。
期末試験じゃあるまいし、前日では間に合わないぞ。