シャボン玉の詩

前へ前へと進んできたつもりでしたが、
今では過去の思い出に浸る時間も大切にしなければ、
と思っています。

(9N)霧の彼方(2003小品集より)

2018-04-11 13:21:24 | Weblog
最初に問いかけた隊員が携帯電話を取り出し話し始めた。
「とに角全体がおかしいようです。脈が相当速く、恐らく200を超えているでしょう。
それから発声が難しくなっているように思われます。認識は出来ます」
「某医科大学病院ですね、分りました。すぐに出発します」

担架が用意され、車中に収められる。
その間に佳子は新しい毛布を掛け直し玄関の錠を掛け、続いて車に乗り込む。
まさに着のみ着のままだ。
車は再びサイレンの音を発しながら猛スピードで走る。
「こちら、今出発しました。午後6時55分、以上です」

車の中では佳子が当時の様子について説明している。
一方雅夫は不思議な空間の中で闇の恐怖に出くわせていた。
―――これはひょっとしたらこれでお陀仏ということになるかもしれないな。
何とも言いようのない恐怖が脳の何処かに棲みつき始めている。
死とはこのように突然の事態に遭遇して、それから
あれよあれよという間に死の淵に入って行くものであろうか。
生から死への道中とはこんなものなのかな。
―――困ったな、想定よりちと早すぎるぞ。
これじゃ佳子が可哀想すぎる。
―――それにしても何という静けさだ。外は騒がしいだろうに。

脳の中はこの時点で既に斑になっている。
―――僕という人間、生きてきた値打ちはあったであろうか。
少しは人の為、世の為になり得たであろうか。
存在価値はどうであったろう。

此処で彼の思考能力は殆ど停止した。
同時にサイレンの音が止まった。
病院に着いたのである。

身体が持ち上げられて別の担架に乗せ換えられたのをうっすら自覚した。

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