茨木市議・山下けいきの今日も元気だ。のぼり5駅アピールラン。

毎週、阪急総持寺駅、JR総持寺駅、阪急茨木市駅、JR茨木、阪急南茨木の5駅をアピールランしている茨木市議です。

4駅アピールラン / 「尖閣諸島・竹島問題」とは何か

2012-10-16 00:43:45 | 5駅のぼりランアピール
反貧困キャラバン 扇町公園

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【今日 の ラン】12㎞
【今月のラン累計】44㎞
【今日 の 体調】良好です。

月間走行キロの記録   ランニング自己記録
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 脱原発のぼり4駅アピールラン。駅では来年一月の市議選立候補予定の方を見かけました。日本国憲法や地方自治、民主主義について基本的な素養を持った方々であってほしいと願っています。学校給食調理員だったMさんやKさん、初選挙以来の支持者Sさん、学校長など多くの方とお会いできました。幾度も赤信号ストップがありタイムは64分8秒でした。走れることに感謝です。

 
 メルマガで高井弘之(えひめ教科書裁判を支える会)さんから 『「尖閣諸島・竹島問題」とは何か』、 愛媛新聞記事と、コメント・新聞社へのメールが配信されてきました。領土問題はほんとに知らないことばかり。「固有の領土」と言い切る単純細胞は野田首相だけではありませんが、井の中の蛙に思えてきます。何よりも求められるのは冷静な対応。皆様の参考になれば幸いです。

以下引用です。

明治政府の認識 争点 <尖閣領有権> 沖縄編入前 書簡解釈めぐり日中対立

 日本はかつて尖閣諸島を「中国領」と認識しつつ沖縄県に編入したのか―。尖閣をめぐる日中対立が、明治政府高官同士が交わした書簡の解釈論争に発展している。

野田政権が1通を引き合いに「尖閣が中国領だった経緯はなく沖縄編入は適切」と訴えれば、中国側は別の1通を引用し「日本は中国領と知って盗んだ」と反発。21世紀の両政府の威信を懸けた争いは19世紀にさかのぼって過熱する一方だ。

 〔略〕

議論の対象になっているのは、明治政府が1895年に尖閣諸島を沖縄県に編入する10年前に、当時の山県有朋内務卿と井上馨外務卿が交わした2通の書簡だ。

日本側が重視するのは、85年10月9日付で、後に首相となった山県が尖閣について井上に「清国所属の証跡は少しも相見え申さず」(外務省提供資料)と述べたくだり。

現地に日本領であることを示す「国標」を建てても問題はないとの見方を示しており、野田政権による「国有化」の正当性を裏付ける「重要な証拠」(政府筋)とする。

外務省はホームページに「(尖閣に)清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で、沖縄県に編入した」との説明文を掲載している。

これに対して中国が取り上げるのは、逆に井上が12日後の21日付で山県に宛てた書簡。後に伊藤内閣で初代外相となる井上は、尖閣に関して「公然国標を建設す」れば「清国の疑惑を招き候」(同資料)と指摘し、清国政府を刺激しないよう提案している 〔後略〕

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※ 上記の井上馨の文書は、次のようなものでした。

〔略〕右島嶼の儀は、清国国境にも接近致し候。〔略〕殊に清国にはその島名も附し、これ有り候については、近時、清国新聞紙等にも、我が政府において台湾近傍清国所属の島嶼を占拠せし等の風説を掲載し、我が国に対して猜疑を抱き、しきりに清政府の注意を促し候ものこれある際につき、この際にわかに公然、国標を建設する等の処置これ有り候ては清国の疑惑を招き候間、さしむき実地を踏査せしめ、港湾の形状ならびに土地物産開拓見込みの有無を詳細報告せしむるのみに止め、国標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲り候方然るべしと存じ候。〔略〕 (『日本外交文書』第18巻「雑件」)

「これらの島は清国国境にも接近していること」

「清国では、これらの島に島名も附していること」

「清国の新聞等には、日本政府が台湾近くの清国所属の島々を占拠したとの風説が掲載され、わが国に対して猜疑を抱き、清国政府の注意を促している。このようなときに、急に、公然と国標を建設したら、清国の疑惑を招く」

ので、国標を建てるのは、「他日の機会」にするべきであると主張しています。

 この記事に対し、私は、以下のようなメールを愛媛新聞社に送りました。

長くなってしまって、申し訳ありませんが、この問題の核心部に、さらに深く入っていくための参考にしていただければと思います。

高井

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愛媛新聞社御中


読者の高井弘之と言います。


本日(10月14日)、貴紙二面に掲載された「尖閣問題」に関する「明治政府の認識 争点」、

このようなものが、ようやく新聞に載り始めたことを、とても嬉しく思いました。

「このようなもの」というのは、このなかで紹介されている井上馨外務卿(当時)の文書のことです。

記事にもありますように、政府・外務省は、「(尖閣に)清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認した上で、沖縄県に編入した」と説明し、

また、マスメディアも、私の知る限り、この「説明」が事実かどうかについての独自の検証を行わぬまま、そのまま、報道して来ているように思います。

今回、独自の検証ではなく、日中の「争点」における中国側の主張の紹介という形ではありますが、

(「尖閣」が)清国の領土である可能性もあることを示唆していた、この、井上馨の文書を、この領土ナショナリズムの跋扈する状況のなかで、他のマスメディアにさきがけて紹介されたことは、とても意味のあることだと思います。

ただ、欲を言えば、この記事では、日本側が依拠する山形有朋の書簡と、中国側が依拠する井上馨の書簡を、並列・対等な形で紹介していますが、この意見の相違が、どういう形に落ち着いたか、決着したか、ということには触れていません。

この意見の相違については、このあと、山形が、井上馨の意見に従い、「尖閣」に(日本領土であることを示す)国標を立てないことで、決着しています。

このとき、山形は、井上馨の意見を受けて、次のような報告を、三条実美太政大臣に行いました。

「国標建設の儀は清国に交渉し かれこれ都合もこれ有り候に付き、目下見合わせ候方然るべきと相考え候間、外務卿と協議の上、その旨同県へ指令致し候」(注)

つまり、山形は、「尖閣」編入の件は、清国と交渉する必要がある案件なので、国標建設を見合わせるべきだと考え、井上外務卿と協議して、その旨を、沖縄県に指令した、と報告しているのです。

このように、この二つの意見は並列的に存在していたのではなく、そのあと、上記のように、井上馨の方の意見に依拠する形で「決着」した問題なのですから、やはり、この件を紹介される以上は、その「結末」も含めて、紹介されるべきかと考えます。

今回の記事を、冒頭述べましたように、画期的であると評価し、とても嬉しく思う一方で、以上のような意見も持ちました。配信記事で、そのまま掲載されたものかもわかりませんが・・。

ちなみに、この記事にある1885年当時、清国領の可能性もあり、清国と交渉する必要があるとまで考えていた「尖閣」を、明治政府が、その10年後の1895年に編入することになるのは、ご存知のとおりです。

それは、日清戦争における日本の圧倒的勝利状況で優位に立ち、清国のことを気にする必要がなくなった状況を見て、

「その当時と今日とは事情も相異候につき」(野村靖内務大臣、当時)として編入したものでした。

(注)公文別録・内務省・明治十五年~明治十八年・第四巻・明治十八年「沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在スル無人島ヘ国標建設ノ件」(国立公文書館所蔵)

 沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在スル無人島ヘ国標建設ノ件」は国立公文書館に所蔵されています。以下はたどり着くまでの階層説明です。

*国立公文書館
国立公文書館は、内閣総理大臣が国の機関から移管を受けた歴史資料として重要な公文書等の適切な保存及び利用を図ることを目的とし、昭和46年(1971)に当時の総理府の付属機関として設置されました。
 明治以来の歴史的に重要な価値のある国の公文書約57万冊、明治政府が江戸幕府から引き継いだ日本や中国の図書類、明治政府が集めた国内外の出版物等約49万冊を所蔵しています。平成13年(2001)4月1日に内閣府が所管する独立行政法人となりました

*内閣
現在アジア歴史資料として公開している明治初期から終戦時までの公文書等の大半は、昭和46年の国立公文書館設立後に内閣から移管されたので、出所は「内閣」となります。

*公文別録
「公文別録」(こうぶんべつろく)は「公文録」(こうぶんろく)や「公文類聚」(こうぶんるいしゅう)などには採録されなかった明治元年(1686)~昭和22年(1947)の文書が、268冊の簿冊にまとめられています。重要な事件、閣議決定などの極秘文書が多数含まれています。

*公文別録「公文別録」サブシリーズは、明治元年(1686)~昭和20年(1945)の内閣の公文書を収録しています。明治13年(1880)の条約改正や、同24年(1891)の大津事件、昭和期の総動員計画に関する極秘書類などが含まれています。

*公文別録・内務省・明治十五年~明治十八年・第四巻・明治十八年

引用ここまで>

【当面の動き】
「再稼動反対、全ての原発をゼロに」茨木金曜日行動(毎週金曜日午後6時から1時間、阪急茨木市駅東口)

「内部被ばくを生き抜く」連続上映 茨木キャラバン

原発を考える市民の集い 中嶌哲演(なかじま・てつえん)講演会
・中嶌哲演さんは福井県小浜市明通寺住職で長年原発問題に取り組んでこられました。
・日時:10月26日(金)18:00~
・茨木市民会館 大ホール

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今日までののぼりやゼッケンを使ってのアピール
今日までののぼりやゼッケンを使ってのアピール
・4駅自転車 7回(2011年6月2日~ 4駅でスポット演説、ビラ配布。移動は自転車にのぼりをつけています)
・4駅ラン  88回(2010年2月3日~ 阪急総持寺駅→阪急茨木市駅→JR茨木駅→阪急南茨木駅で12㎞)
・中心部ラン 21回(2009年12月1日~ 市役所→阪急茨木市駅→市役所→JR茨木駅→市役所 4㎞)
・ロングラン 10回(2010年10月13日~ 天六ラン18㎞、茨木市内ロングラン 15㎞以上のもの)
・国会ラン  7回(2009年11月10日~ 国会周回コース 42㎞)
・それ以外 10回(安威川、大分市、桜通り、篠山マラソン、茨木~高槻、反核平和の火リレー、反核平和マラソン、御堂筋ラン、京都9の日ラン)
・サイクル宣伝11回(2011年8月14日~ 自転車にのぼりをつけてアピール「お元気ですか」などビラ配布、配達)


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