こんにちは
阿蘇山は、活火山を含む大きな山々を取り囲む、世界一
巨大な(カルデラ)構造。
その広大で険しい、噴火の危険で立ち入りが制限される場所も多かった 阿蘇山は、昔は誰もが立ち入りできる場所ではありませんでした。
S.50年に熊本県出身の若い先生も、阿蘇は憧れの場所でいつかはお母様をお連れしたいと話されていました。残念ながら早々にかないませんでしたが😢
申し訳ないことに その5年後、中学校の修学旅行は阿蘇がメインでした。公立でしたが当時の修学旅行の行き先としては後で聞けば際立っていたようです。
観光の白眉は、草千里。
緑の草地が どこまでも、どこまでも・・・
からついた名称でしょう。
我々が行ったときは浅い湖のようなものができていましたが、大人たちのささやきからすると、その昔は無かったようでした。雨水がそこそこ長い時を経てできたものだろうと言われました。
視界をさえぎらないなかにある清い水をたたえた湖面に、心の中で感嘆の声をあげていました。
再現不能ですが、先日PC画描きましたのが草千里の一部分でコチラ➊
ゴルフ場のグリーンホールじゃありませんよ!眺めている場所は35度くらいの斜面を登った場所です。湖の向こうにわずかに見える人影は、生徒の中で唯一まるまる一周した私ということで。(けっこうな距離があったので)
そして顔の向きを左にすると、うろ覚えになりつくしましたがコチラ➋
これらの山々の名称を覚えておくように誰かに言われましたが、ざんねん、いつしかほとんど忘れてしまいました😭絵の中に記していますように、根子岳があり、その他 覚えておくべき~岳があと3つのうち、2つ以上は父や母の文字が入っていたような気がします。
➊と➋の間は遠く遠くずーっと同じ草地がつづく草千里でつながっています。
この帰りのバスルートの車窓から広大な山間部に広がる牧場が目に入ります。牧場といってもほぼ野生の馬が3頭くらい草をはんでいるだけで、まだまだ自然そのものでした。
さて、社会人になってから末の妹1人と父母で草千里に行ってます。これもやはり目撃ごとの1つであったようです。残念ながら、このあたりから母など親から、目撃役を担ってる私と 生身の私とを乖離して認識するのが激しくなります💦 いくら実態とあっていなくても生身の私への頑とした否定は強くなるばかり。末の妹とはき違えを起こしたり、どこの誰にもならなくても私ではないという、つら奇妙なことになっていきます😭
この時期はまだ有るからいいようなものだったのかもしれませんが、山は1個半くらい姿を消しているし、観光地化していて、まあまあ狭くなった草地に乗馬サービスやってるもんだから、けっこう草地がほげちゃって私はガッカリ顔をとりつくろってました。車で場所を離れるときに ちがってるわ と少しつぶやく私を両親は猛攻撃で何もかも否定。終始、楽しい気分を削がないように私が随分気をつかってたにもかかわらず、親は、私(ぐふ)のせいだけど自分らが我慢してやるなことを言う始末😰
まあでも、そのときの草千里では、お馬さんに乗せてもらったんです。(場面設定してくださった方からでした)足の太い丈夫そうな馬1頭に、妹と2人。私を前にしてくれました。ほとんど鞍がないんじゃないかってくらい、お馬さんの背骨の大きな動きを感じました。もう私のお尻の骨って随分形悪くなってて、お馬さんのほうが痛いんじゃないかなって思いましたがお馬さんは気にしないふりをしてくれました😅
少しスピードも上げてもらったりして。
父が写真を撮ってくれて、そのころには珍しくなってた写真の後確認ができましたが、妹も私も、最高に良い笑顔で、残存無いものの人生でのベストショットでした。
写真も家族の記憶も消え失せましたが、今ここで書けて幸せです、とりあえず😊
それにしても、再現力無さ過ぎの絵で 申し訳ありません。
本当は‥子どもの当時 視力もあったので、はるか遠くではあっても 活火山の鬼気迫ってあまりある壮大な存在感が、手にとるようにわかったものです。
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