このブログでは、
この国が日本国であることと同義の 日本国憲法を復活させるべく書いてきております。
日本国憲法の主旨が消えるときは、国だけでなく人間の良さがすっかり消えるときです。
こんなにも大事な最高法規がなぜ国民に行き渡らせることができなかったか
悪影響で脳や物に多種多様な異変が起きてきたからでした ;
すべての道は ローマならぬ日本国憲法に通ず にしてあるのに、
ほとほと日本国憲法という言葉は教育現場で出されていなかった⋯
私がこのブログで日本国憲法ということばを出す頃までも、つくづく自分でも口にしてこなかった言葉だなで、
公私にわたるさまざまな苦痛や異変の元凶が、一個人都合や一企業によるものではなかったということが、今ひとつよめておりませんでした。
教育勅語の普及(実験)の失敗から、先人達は日本国憲法という言葉すら出し控えて、さまざまな試みをもって暗示の種をまいていました。
もうすでに告げられていたことや経験則で明確になってきていたことも、激しいめにあって私もパンチドランカー状態だったのか、記憶の底 深い眠りについてしまっていたのでしょう。
しかーし、この眠りの森のふぬけは、王子様やお姫様に優しく起こされることなーどではなく、ど突き起こされ、七転八倒ばかりでした。
冗談はさておき、私の年齢は ねじ切られ世代近くに位置しますが、教わった内容は、学問が頂点を極めていた頃の人知を結集した年上の方々からの伝承であり、この筆者の媒体をもって確認したことから申しあげていることです。
悪いことは ばんばん通るのに、肝腎なことはまず通らない、普及を焦っても
憲法を正しく守ろう といえば、改正などと、ドま逆に変換されてしまうのだろうし。
私もあたってくだけろ方式が関の山。
こんな苦労をもって警告しても、
悪の盗み編成で成る虎の威 を、わがものの既得権とし、みんなもやってるし⁈
ってだけで、(伝承者を攻撃する快感でもあるかのような)謙虚さのかけらもない悪辣が大胆姑息に続く‥
自分のことでは苦労が水の泡になることばかりだったけど、そんな巨大悪の片棒を見てとれる状況は いっそう、無念です。
物 に頼れば、いかにも整った詳細が並べられるけど、それはよくても 必ず真実、本質から遠ざけられることや印象付けが主流になっています。(これを実際に出している者がいたとして引責するならば極刑ものです。)
かたや(物事を教える)先生 というのは人間。
たいていの場合 教える側が年上になりますが、
先生 の語源は "先にこの世に生まれた人" (だけ)ではないと教わりました。
その一つには、
先に発生したことを知る人から(正しく解釈することによって)預かった人
というのが、確実にあります。
本来の伝承を持っている体現者が 先生 なのです。
ちなみに遅くとも1986年(S.61)までに、弁護士など 法の資格者は、補足で必ず物(書籍)を頼るようにしています。
これは、改ざん物が出回らないよう、名画など歴史資料がネット上など世に出ないように封鎖してしまったことと似た わりきり方策だと思われます。
いくら法が多くなって覚えきれない人が出てくるといっても、難関といわれる司法試験に通るような方が網羅できないということは考えられません。網羅できないのは、逐一改ざんが起こっていて、もとはどうであったかが判別しがたくなるから。
結果、法体系の理解をかなぐり捨てている資格者が大勢います。
資格者が本来の法から離れることを言うようになれば、改竄がそれだけ進んでいる指標になりますので、推して知るべし。
日本国憲法では、基本的に "争い" を禁じています。
法廷で争う という言い方をします。
このようなことは極力避け、相互の良識を高めておくべきことが優先されるということです。
日本国憲法のもと昭和では 万が一、法廷ごとになったとて、真実による妥当性が守られていました。
しかし、現在は日本でも正しい裁判結果となることはもうないとみております。
ただでさえ、争うことには無駄や無意味が多い!
現在はなおさら法廷持ち込みは最高法規のもと、禁じてもよいくらいです。
当然、 弁護士は、人間の真実を擁護するための職業であり、次から次に変わっている偽もの持ち出して争う人のことではありません。
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