中途半端な備忘録ですが、長いので、どうぞ流し読みで。
忘れていたけど、母は専業主婦。
料理も、おおざっぱでいいかげんと口では言いつつ、栄養面はばっちりだし、おいしかったな。
今晩、何がいい?と聞かれたら正直に手間のかかるおかず(コロッケとか)ばかり言ってしまったか、がっかりされていたので、そのうち何でも となんの役にもたたない答えをする私だった。(いわしハンバーグは、めちゃうま)
遡って南国の地では、現地の人しか行かないような市場をまわり、食欲旺盛なこちとらを食べさせるためにチャリで買い付けてきていた。たまに一緒することもあったけど、日本人はまず行かないだけあって、かなりスゴみのある場所。
日本のお米のほうがおいしい は定説だったけど、私は家で食べる当時の現地のお米はかなり好み。毎晩おかわり7杯。
今、少量で済む食料買ってくるにも重いと感じることがあるけど、当時の男大人たちは米俵持って走れる力持ちたちにあって、母は女1人、餅をついてもさまになった。
そういえば、子3人いて、給食ではない(弁当つくらなければならない)ケースが多く、大学以降を除き、3人×約9年の弁当を作っていたので、弁当の乱かっ ちゅーような小言はついに聞かれた。
さらにさかのぼって就職としては、、、
けっきょく母は、大学を出てからも自分の意向に反して、親戚の紹介する会社に就職、東京で暮らしている。よく、「独身時代、・・」とかなり後まで言っていたが、安い給料でもな話。
大学の頃から縁のある親友だった方は、九州一足が速く、ともに急に実業団のバスケにかり出されてコンビで得点をあげていたらしい。
私が高校の頃、母は学校関係者の友人に頼まれて大阪の八尾に講師で車で通ったことあり。
やんちゃが多い高校(当時は珍しくもなかったのかな)で、けっきょく何でも頼られやらされ、殆ど稼ぎが残らない超安い給料。でも
黒板に楷書で書かないちょっと困った先生ながら・・人気があったようで楽しい経験ではあったのか。
その八尾には夏の陣な頃ご先祖ゆかりなのかもしれず、私も仕事で訪れていたりで・・。
なんか・・・
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