「ヴィーナスの誕生」という作品は有名で、ご存知の方は少なくないと思います。
こちらも、(改ざん)ヤラレるだろうの予知がありました。
私はこの西洋絵画について、そんなに強い興味で観てはおらず、何から何まで熟知しているというわけではありません。
もし、ちょっとやそっと違うくらいなら見過ごす可能性は十分あります。
でも本日、ある、とても興味深い活動をなさっている私にも恩恵のある音楽専門の方のブログに出てきたものはもう、とんでもなく‼違うレベル😱
業を煮やして、コメントで警告致しましたが…忠告に耳をかすくらいの責任感無く、正しい理解に無頓着決め込まれてるからこそ、すでに何度もヤッてしまうわけでしょうか。。。
ちなみに、音楽というのは比較的、改ざん被害が少ないようだというのは聞かれました。
見識が高くなくとも違いがわかりやすいからだろうと。
でも、楽譜として改ざんがつくであろうことは、私として1985年くらいまでに予期されることが起きていました。
何かと言えば、メトロノームごと・・つまり速度表記です。
このあたりの時代よりのちには、太古からの違いをごまかすべく、時空の意図的操作が入り込んできていたようなことがありました。
そしてついに地球は北極星との結びつきを断たれ、北斗七星を見失っています。
改ざんというのは、価値を強奪するだけでなく、まったく逆になっていく目的で起こる怖しいもの、また、その残虐性から、改ざん発生してしまえば、改ざんだったと示して戻してくれることはありません😭
その不可逆な改ざんが起こるということは、起こっても気付かないような人々が大多数である結果ともいえます😭
"改ざん"が、一個人が一個人のために誤魔化すようなものと区別されるのは、
打撃、被害の大きさと、
後に与える影響の甚大さ、
防ぎようのない特殊手法(原子変容)においてです。
一応、ボッティチェリの絵画「ヴィーナスの誕生」がどんなものであるか、私程度でも覚えている定かなことから簡単に挙げておきます。
・非常に大きな透明感のある乳白色の貝 に立っている 衣服をまとわぬ 豊かな髪(ブロンド的)の 雑念を持たぬような表情の女性(が女神、ヴィーナス)
・ボッティチェリ特有の精巧な筆致の描き方
・何人か(4人以上)の女性は、それぞれポーズや表情が違い、色あざやかで優雅な百花繚乱な衣装
・肩を組んだ天使や、ほかさまざまな(飛んでいる)神々はヴィーナスの方向へ(祝福の?)息を吹きかけている
・やわらかな光が細やかにカラフルに表現されている
・はるかかなたな海から陸地的なことが融合的に描かれている
・人物大として、ヴィーナスが一番大きめで、他を寄せつけてはいない
・人物や天使の配置に奥行きがある
・キャンバスは横位置(横広がりがたっぷり)
あれもあっただろうな、でも万が一違ってたら‥程度は省いています。
なにしろ、描きこまれていた情報量がものすごく多いのはたしかです。
高松塚古墳の壁画もですが、ピカソのゲルニカのような戦争で受けるひどくつらい千差万別の具体的なものことが心血注いで描かれていたような時代の本当を表す世界のほかの名画においても、この圧倒的な情報量がこそげ落とされている 改ざん の顕著な共通性があります。
情報量もですが、作者のもっともいわんとする主旨で、観るものに真に迫って訴えかけてきていた唯一無二の表現は、改ざんで すっかり無くされ、品格も落としまくってきます。
作者や人間の誠心誠意を無惨にされるばかりでなく、
悪の都合の俗な考えに劣化させられている現世で ほんとうの恩を 悪の繰り出しものや自己中とあべこべに見誤り、とんでもなく間違った方向ばかり行きたがるようです。
悪い恣意的な改ざん矜持は まにうけるのに、人によってしか得られない真実は排除しているのでしょう。
さて、二次元物 改ざんの特徴で、そもそも全体の大きさ および縦横の比率が違ってしまっていることが もっとも大きい。
絵画では たいてい壮大な背景の風景のかき込みが無くなっていますし、
人数等情報量や、絵(写真)としての価値が、たいせつな要素、画面構成がガラリと変わることで失われます。
我が国、地元ではなく、現物を目撃証人できてはいないものも少なくありません。
また、目撃証人として期待されているらしいことはわかってはいても、一子供の自分に?とか、まだ悲観にしか思えない目的だとか、美術としての価値くらいしか興味が向いていないといったところで、けして重いものとしてはとらえていませんでした。
それでも、必要はあれば
物がいかなるものかをとらえる能力があったらしいことに対する期待が私個人にかかることについて、しかたないと納得できるもの。
しかしどうやら、ことの本質を軽んじ 自意識だけ高くなるような人には、私だけなにか優遇を受けているのではないかと疑心暗鬼や妬みをかっていったらしい。
これは一部生徒側だけではなかったのです。
そんなけっこうな副作用がかぶさりながら、ものすごい責任集中があったことの暗示だったことを土壇場も過ぎたような今ごろ突きつけられて察するわけ…
ラスコー洞窟や高松塚古墳の壁画などでも言えることですが、絵の顔料は、その時代でも高度な材料。
ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」には、絵画確認の当時にはもう、地球上には存在していない鉱物が使用されていたそうです。
唯一無二の発色の素晴らしさは、そんなことと切っても切り離せませんし、絵画だけではないとんでもない価値が、改ざん受ける前はあったのです。
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