哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

池田晶子「子供を産もうとしたことがない」

2013年11月10日 | 哲学・心の病
私は、子供を産もうとしたことがない。
ところがこれが、世に言う「ノー・キッズ」の思想とは根本的に違うものらしいということにも次第に気づいた。
私には、産む産まないについての選択肢というものが、はじめから、ない。
念頭をかすめたことさえも、ない。
つまり、あれとこれとをハカリにかけて勘案したうえに手にした決意ではなくて、私の思考のストックには、「自分の子供」という観念がそもそも存在していなかったのだ。

産んで産んで、また産んで、と続いてゆく人類の生の連鎖の無自覚さを、どこかで厭わしく思っているのだろう。
産む産まないは自ら意思したつもりでも、自らが存在したことは自ら意思したわけではない。
自ら意思して存在したわけではない生命に「価値」などない。
創生の意図を知ることができるのでなければ!

by 池田晶子「無自覚のまま生きられない私」


子供を産むということに対しては、実は私も池田晶子さんと同じ感覚を持っている。

但し、彼女が言っている『自ら意思して存在したわけではない生命に「価値」などない。創生の意図を知ることができるのでなければ!』には、私は同意できないし、そう言い切っている彼女に怒りさえも感じる。

が、その一方で、彼女がときおり行っている「問題提起」なのかもしれないと私は思っているが、その真意は私にはわからない。


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