哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

児童虐待とは?

2013年10月06日 | 哲学・心の病
報道番組で時々、児童虐待のニュースを耳にするが、池田晶子さんは児童虐待について次のようなことを書いている。

『あれら虐待する親たちを指して、「人間ではない」と人は言うが、これは逆なのである。
人間だからこそ、あのような所行が可能なのである。
もしも人間が完全に自然的な存在であり、その自然にまかせて子供を作ったのなら、やはりその自然にまかせて子供を育てるはずなのである。
けれども、人間は半端に自然を脱した存在だから、自然ではあり得ない勝手なことを、意志と称してあれこれ仕出かす。
しかし、自分が何をしているのかを理性により自覚しないそのような人間は、だからなるほど未だ人間ではない。
しかし動物でもない。
何かそのような異種動物的人間が存在するから、人間社会は責任という人為的概念を必要とするのである。』
(「虐待するなら子供を作るな、親」より)

このあとの文章で池田晶子さんは、親である資格がないというなら性交する資格をこそ問うべきであろう、と書いている。

実は私も、池田晶子さんと同じ意見で、親となる資格のない人は、子供を作るべきではないと思っている。
そして、もし子供を作るとするなら、いかなる子供であっても一生、責任をもって育てる覚悟がなければならない、と私は思っている。

また、私は、動物が自分の子供を虐待するということを、聞いたこともなければ見たこともない。
自分の子供を虐待する人に、「この親は人間じゃない」という人がいるが、人間じゃない動物は虐待することはないから、本来ならば、自分の子供を虐待する人には、「この親は人間だ」と言うべきだ、と私は思う。


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