The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

感じたら動く

2006-02-05 14:45:00 | 生き方
人生、無闇やたらと動くことは危ういが。しかし、何も考えずにじっとしていることは、もっと危ない。

反省すべきは「待ち組」…首相、猪口少子化相ら造語で from YOMIURI ONLINE

昨今の日本では。
「勝ち組」「負け組」と、二分化することが流行っているが。

長いであろう人生の中で。
勝った負けたと、一瞬一瞬を一喜一憂するのは、どれだけの意味があるというのだろう?


この件について、GALANT's Cafeの冷めた考えを述べると。

人生に、勝ち負けはない。

そう、これにつきる。


資格が必要な職業に就くことが、偉いとか偉くないとか。
収入が多ければ、凄いとか凄くないとか。

量の大小で評価できる事柄は、比較が容易だ。
比較した結果、自らが大の側であると認識できると、人は皆、安心しやすい。

が。

人生って、そんな単純なものか?
...違うだろ?


世の中には、量を測れない事柄が、たくさんあるんだ。
ましてや、ある一時点で把握できた大きさなんて、無意味なことがたくさんあるんだ。

だから。

他者が自分に対して行うその大きさ比べに、疲れ果てる必要なんか、ない。
自者が自分に対して行うその大きさ比べに、疲れ果てる必要なんか、ましてやない。

本当に大切なことは。

自分が何を見て、何を感じ、何を考えるか?
そして、どう生きるか?

本当に疲れたときは、休めばいい。

しかし。

休むってことは、無関心になって、何もしないことじゃない。
休むってことは、再び力強く歩み始める次なる自分への準備なんだ。

だから。

何をやっても無駄だ、などと様子を伺うだけに始終するのは、もう、よそう。

まずは、極限まで自らをからっぽにしてみると いい。
極限までからっぽにすると。
必ず、自らに何かを入れたくなるから。

何かを感じたら。
自ら(能動的に)動くということを、死ぬまで忘れずに、生きていたい。

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2 コメント

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休むということ (ハルちのパパち)
2006-02-05 23:42:08
「休む」ということについては、その定義がどうかでいろいろあるかと思いますが、あえて一言。

(GALANT's Cafeさんの思いと違ったらごめんなさい)



確かに「休む」ということは、無関心になって何もしないことではありません。

おっしゃるように、「再び力強く歩み始める次なる自分への準備」もそうだと思います。でもその前に、これはその準備に含まれるのかもしれませんが、「自分の人生を見つめ直す良い機会がやってきたのだ」ということを知って欲しいと思います。(私の場合はそうでした)

私は諸事情で鬱になり、暫く休業することを余儀なくされました。はじめは完全に無気力な時間を過ごしましたが、いざ復活する心の準備を始められるようになったときには、いろいろ、自分の人生について考えることができたのです。これは本当に貴重な経験をしたな、と思っています。

なので、「休む」ということは必ずしも悪い面ばかりではないのです。
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似て似なるもの (GALANT's Cafe)
2006-02-06 00:08:35
●ハルちのパパちさま

このようなコメントを、お待ちしておりました!(ハルちのパパちさまがこのコメントを下さることを期待していたのではないのですが)。



>「自分の人生を見つめ直す良い機会がやってきたのだ」



これは、あるところまで頑張った、もしくは頑張り続けた方が思えることだと思うのです。

「何をしても意味が無い、無駄だ」と最初から思い(信じて疑わず)、何もしない方ではなくて(この違い、分かっていただけますか?)。



必死になって生きてみたことで、見えるなにか(それが良かれ悪かれ)があると思うのです。



ハルちのパパちさまが経験されたことは、本文中の「本当に疲れたとき」だと思います。

#だから、この時はしっかり休まねばなりません!

#でも、それではいけないと、本人は無理に無理を重ね、余計、悪化させてしまう場合がありますね。

#休む勇気も、重要だと思うのです。

#それが、極限までからっぽにするということ。



これを混同して議論している人が、なんと多いことか!



ここでは、“休む”ということを積極的に用いて、力強く生きてゆくことを述べたかったのです。
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