The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

アナログ的な認識、ディジタル的な認識

2006-05-17 23:30:00 | 生き方
“認識する”という行為には、2通りあって。

GALANT's Cafeの本業において重要な行為の一つである、技術調査。

この広い世界。
ある技術分野において。
何が根幹となる(なりゆく)技術であり、何が枝葉末節に始終する技術であるのか?
そして。
それらが直面している技術的課題は、何であるのか?
技術調査とは、これらを明らかにすること。

調査という行為は。
GALANT's Cafeの得手な行為の一つであるのだけれど。
#自分で言うのも難だが、真新しい混沌とした世界から切り出された事象達について
#整理し分類を行い、その核論を明確に述べる行為には、定評がある。


“調査”という奴は、ある一種の認識行為であって。
その行為の結果には、識者の認識特性が色濃く出るもの。

ある者は、最初に一本一本の木々を見て話を展開し。
またある者は、最初に森を見て話を展開する。


無論、他の認識方法もあって。

GALANT's Cafeの場合は。
技術調査に限らず、いかなるものであっても。
GALANT's Cafe自身にとって未知なる事象に対して。

空高く舞う鷹のように、
高い視点から未知なる地上を眺める。


空高くから地上を見れば。
その途上には、視界を遮る厚き雲があって。
仮に、その雲が無かったとしても。
地上の細かい事象なんぞ、十二分に識別できるはずもない。


そんなことは、最初から分かっている。
しかし、どんな時も。
最初は、距離を置いて、空高くから地上を眺めるのだ。


たとえどんなに厚き雲があろうとも。
動かない雲は、存在しない。
ましてや。
自らが空高く舞い続けていれば。
必ず、雲の切れ間が見つかり。

そして、その雲の切れ間から、地上が見えてこようというもの。

ところどころ、見え始めた地上には。
山があったり、谷があったり。
川があったり、湖があったり。
最初は個々の点としてしか認識できなかった地上達であったとしても。
いずれは、点が線となり、線が面となり。
最後には、大きな面を持つ一つの地上として認識できる。


そう。
全体が把握できれば。
その中の詳細を把握し、その関連を正確に認識することは、そう難しいことではなくて。


個々の点を追いかけていては認識することが困難な、集合としての変化すら、認識することは容易になる。


このような全体(およびその変化)を認識することと、部分の詳細を認識する行為は。
アナログ的な認識とディジタル的な認識とも言える。



突然出してきたこの写真は。
人間の目では見ることが出来ない電気を見るための“テスター”と呼ばれる計測機器。
#余談になるが、これらもGALANT's Cafeの私物...モノ持ちすぎ!orz

ご覧の通り、テスターには、古くから存在する針で値を指し示すアナログタイプと、最近では主流である数値を表示するディジタルタイプがある。

どちらのタイプにしろ、ある部分にかかる電圧やある部分を流れる電流量を計測する精度を同じ程度にすることは可能。
つまり、同じある一点を計測すれば、アナログにしろディジタルにしろ、ある一瞬の状態を同じようにすることが出来る。

では、どちらか一つで事足りるではないか!?


そうはいかないのだ!


確かに、ある一点におけるある一瞬の状態を把握することについては、どちらも同じ。
いや、単純な数値をとして表示可能なディジタル(本当は、その有効桁に注意を払う必要があるが)の方が、ある状態を切り出すような認識は容易だ。

しかし。


この値は、どのような意味を持つのか?


もし、この値が、時系列によって変化するものであったら。
その変化は、収束・発散するものなのか?
それとも、周期的なものなのか?周期的なものであるならば、その振幅幅はどの程度なのか?

ディジタル表示では。
単純な数値が目まぐるしく変化し続けるしか、表示することはできない。
そのような変化に。
人は、正確に認識することはできない(だろう)。

もし、アナログ表示であったら。
確かに、有効桁を考えた詳細な値を読み取ることは、困難(慣れた人ならば、結構良い精度で認識できるのだが)。
しかしながら、針の揺れ方から、その変化が収束・発散するものなのか、周期的なものなのか、周期的なものであるならばその振幅幅はどの程度なのか、慣れた人間ならばそれなりの精度で認識できる。

つまり、変化を人が容易に認識可能な表示を出来るアナログの方は、変化をそしてその変化の限界を切り出すような認識は『経験を積んだ人間ならば』可能だ。
#経験を積んだ人間ならば、認識可能な点がポイント。


ほら。
全体(およびその変化)を認識することと、部分の詳細を認識する行為は、アナログ的な認識とディジタル的な認識とも言えると思わないかい?


GALANT's Cafeがそんなことを考えていた矢先。
水井パセリさんがまごつかれていることは。

戦後の日本。
大人達は、故意に闇の感情を隠し去った。
さらにその状態で、追いつけ追い越せという「何故、そうしなければならないのか?」と十二分に自ら考えることもしないまま、利便性を向上させる一方で社会を高度複雑化した。

それ故に。
その環境で育ってきた子供達(無論、GALANT's Cafeも含まれるわけだが)は、その高度複雑化した社会に追従しきれないまま大人になり、「今、この一時が良ければそれで良い」という安直な姿勢で生きるようになったのではないか?

そう。
ディジタル的な認識で、その場の一瞬の値を容易に認識し、安心することに始終し。

生きるとはどういうことなのか?
死ぬとはどういうことなのか?
何を見て、何を感じ、何を考えるか? そして、自らはどう生きるのか?
経験を積まなければ十二分に認識することはできない変化とその幅を知覚するアナログ的な認識を忘れて。


だから。
軽薄な生き方に感じられるのかも、しれない。

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5 コメント

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アナログがスキ ()
2006-05-18 00:32:27
単純明快-簡単なのが好まれるようだ。

難しいこと、面倒なことは、倦厭される傾向にある。

一つ一つを不思議なことに思って真面目に対処していると

変わった(ヘンな)人にされてしまう。

なんとなく住みにくい世の中だなと感じる。

融通がきかないってことかな
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お腹空いた~と叫ぶ。 (パセリ)
2006-05-18 11:57:05
GALANT'sCafeさま、TBありがとうございます。



あの文字化け、気に入りました。だって「闇の帝王」からのメッセージみたくって!ふふっ。



アナログ思考とデジタル思考の差、Cafeさまの究明にて明確になりました。雲間から見えてきた山脈の連なり・・山の頂上地点や高さがデジタルだと画素数によっては、たか~く上昇するととんじゃいます!

でもアナログ眼でみれば、上昇しても明らかなり~

だけど、今度は取り出し困難。

やはりアナログ、デジタル双方の計器は必需品。

でも飛び回ってて、お腹が空いちゃったぁ。これはデジタル思考?それともアナログ?どっちでもいいけど・お腹すいたぁ



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ディジタルも悪くないよ^^ (GALANT's Cafe)
2006-05-19 00:13:33
●柊さま

アナログは、融通が利くと言えば聞こえはいいのですが、伝承する(コピーする)とその融通がアダとなって劣化していく特性があります。

ディジタルは、多少劣化しても、0か1か分かればOKだから、情報を正確に読み取ることには差支えがない。



適材適所で、使い分ければいいんだと思いますよ(・3・)~♪





●パセリさま

徐々にお腹すく感じならば、アナログとちゃいます?



ちなみにGALANT's Cafeの場合、お腹空いたことにすらなかなか気がつかずに作業をぶっ続け、終了後にいきなりへたばるディジタル的な空き方をします^^;
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生きてるという感覚 (ひる行灯)
2006-05-20 11:32:56
 こんにちは。

 パセリさんちから、こちらにやってきました。生きると言う感覚をいつもボケーッと無意識に過ごしている私ですが、皆さんのを読ませていただくうちに、生死の重みと言うことを考えさせられました。

 何か足らないと一般に感じられるのは、闇の世界をたまに苦悩しつつ語り合う場が今の日本には少ないですね。

 でもアナログとデジタルのお話は、Cafeさまらしくて楽しく読みました。
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無意識の幸せ (GALANT's Cafe)
2006-05-20 22:40:42
●ひる行灯さま

GALANT's Cafeには、「気がつかずに無意識で居られる」幸せというのもあるように思います。

気がついてしまったが故に、深みにはまるというか...



でも、どちらがよかったんだろう?

いつも悩むのですよね。



でもGALANT's Cafeには、「深みにはまったとしても、気がついて(知ることが出来て)よかった」と思うのです。
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