The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

身勝手

2007-01-30 01:55:00 | 生き方
本当に。それは、身勝手なのだろうか?

現在、私は by ninotika from ニ ノ チ カ

数年来に渡る異国生活から、日本に戻られたにのちかさん。
まずは、元気に帰国されたようで、なによりだ^^

さて。

そのにのちかさんが、ワークとワーク以外のバランス取りで悩まれている。
この悩みは、専門性の色が濃い職業に就いた人ならば、誰でも一度は悩むことではないだろうか。
悩んだことがない方は、本当に幸せだとGALANT's Cafeは思う。

どんな専門家といえど、人。
どんな専門家といえど、1日24時間。
どんな専門家といえど、人生は一度しかない。

先日、異国の地で久々に会ったGALANT's Cafeの幼馴染が言った「人生は短い。自分がしたいことをやり遂げたい。」の言葉どおり、人生は短く、そして一度しかなく、やり直しは効かない。


はっきり言おう。
自らが生きたい様に、生きるべきだ。


GALANT's Cafeは、昔から、いつも思ってきた。
死ぬ時は、自らの人生を悔いることなく、ポテッと死にたい。

おっと、間違えないで欲しい。
別に、死に急ぎたい訳じゃない。

そう。
あの時、ああしておけばよかった... と、後から思いたくは無い。
たとえ自らの期待通りの結果が得られなかったとしても、しなかったことに後悔するぐらいならば、行った結果が失敗であった方が良い、そう思うだけだ。

但し。
これには条件があって。

・失敗から得た教訓を、次に行かすことが出来る失敗であること
・周囲の者へ与える負の影響を、最小時間かつ最小限に留めること
・周囲の者へ与える正の影響を、最大時間かつ最大限にすること

確かに。
そんな簡単に実現できることではないのだけど。


同じような境遇で、同じ時代を同じ時間生きてきた二人の人間。
一方の人間は充実していたと言い。
もう一方の人間は充実していなかったと言う。
そんなシーンに直面することがある。


この違いはなぜだろう?


その違いは、自らの充足感の違い

前者は、自らの中に自らの価値観を置き。そして、その価値観に基づき、自らの人生を歩み切る。
後者は、自らの中に他者の価値観を置き。そして、その価値観に支配され、振り回され、そしてくたびれ果ててしまう。


何を見て、何を感じ、何を考えるか、そしてどのように生きるか。
他者の価値観に囚われるな。自らの価値観を自らの中に築きたまえ。


ワークに重きを置いて。
そのワークによって自らが満たされ、そして人の役に立てるならば。
そのワークに没頭したまえ。

しかしながら。

ワークに重きを置いて。
人の役に立ったとしても、そのワークによって自らが荒廃するならば。
そのワークに没頭するべきではない。

ワークも、自分を満たす手段の一つにすぎない。

ワーク以外に重きをおいて。
そのワーク以外の経験によって、自らのワークに厚みが出るならば。
積極的に、重きを置くべきだと思うよ^^



...でも、あんたは置きすぎっ!>じぶん^^ゞ


(注)GALANT's Cafe個人的意見としては、仕事に没頭する時期があっても良いと思います。
が、その仕事のことしか知らない というのも、いかがなものか?と思います。
どんな仕事も、その人に人生経験的な厚みがあってこそ、栄えるものだと思います。
特に、人を相手にされる仕事に従事される方は、ね。

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2 コメント

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う~む (にのちか)
2007-02-01 18:10:50
ワークに没頭することも大事、たしかに。でもどんな経験でも自分の厚みになるわけだからどんな経験でもするべきで、そこにチャンスがあるならば。ただそういった一見して「ワーク以外の経験」というものがどうしても「和を乱す」ことになりがちだと考えているうちの古い考えの親たちが、どうも社会を表しているように思えるのです
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個と組織 (GALANT's Cafe)
2007-02-03 21:33:04
●にのちかさま
個の尊重、組織の尊重、これらへのウェイトの置き方が、各々違いそうです。

過去、組織の尊重を重視したために、にのちかさんは疲れ切ってしまった経験がおありなのだろうと、推測します。
あまりにも組織偏重になると、単なる組織の歯車になってしまいますね。

確かに。
日本の組織は、個への犠牲を無(場合によっては有)意識に求める傾向が強いと思います。
短期的ならば、個への犠牲を求めることも止むを得ずか?と思いますが、長期的ともなると、由々しき問題になります。

精神的に余裕がある社会であれば、このようなことが生じる可能性が少ないと思うのですが。
精神的な余裕を無くし常になんとなく不安に怯える日本社会、いやそれどころか、開き直って自己解決を試みようともせずに平然と相手に無理難題な要求だけをするようになってしまった日本社会に多数発生している由々しき問題だと思います。

どうすればいいんだろう?
転換する術は、本当にないのか?

いつも、考えさせられることです...
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