The Man

理系男のダンディズム -ロジカルにロジカルに。 考え抜いたとき、それはその人の感性となる-

Thank you.が言えない国。 I'm sorry.が言えない国。

2007-02-04 23:55:00 | 生き方
そうそう。やはり、同じことを思っていた人が居たのだ。

オートメカニック 2007年 02月号 [雑誌]

内外出版社

このアイテムの詳細を見る




道産子アメリカン山ちゃんの「不思議の国NIPPON(USA)」 その11

まぁ、なんとマニアな雑誌なのだろうか^^;
この雑誌は、趣味として自分で車をメンテナンスする人を支援するために存在する雑誌。
例えるならば、“車版 暮らしの手帳”とでも言おうか。

最近のGALANT's Cafeは、滅多に読まなくなってしまった(自動車いじりに必要な基礎知識は、ここから得てしまったので)のだけど。
昔は、本雑誌に記事投稿(いや、ほんと小さな記事!それもたった数回)したこともあったっけかな(遠い目)。


まぁ、そんなことは、どうでもいいw


昨今の日本は。
信じられないような事件・事故が多発し、大騒ぎになる。
いや、それだけでなく。
勝ち組・負け組だの、あれを食すと体に良いとか、こんなトレーニングをすると頭にいいなどと、大の大人が些細な差異に大騒ぎする。

その癖に。

自らの周囲に生じた出来事には無関心で。
自らが原因となった出来事ですら、自らは何も関係がないかのように傍若無人に振舞うのが当たり前になってしまった。


この国(日本)は、どうかしていないか?


政治がおかしい、経済がおかしい。
いや、そんなレベルの話ではなく。
日本国の大人そのものが、どうかしていないか?

無論。
GALANT's Cafeだって。
そんな大それたことを言えるほどの人間ではないのだけれども。

それを差し引いたとしても。

・本来要求できる範疇を超えても、主張すればまかり通ると思っている大人
  →自らは客だ!と、我が物顔で要求をし、店員を困らせている輩 など。

・社会に存在する公共ルールを守れない大人
  →障害者優先駐車エリアに、堂々と高級車を停める健全な輩 など。

・自らの義務を果たさない癖に、自らの(不当な)権利だけを主張する大人
  →昨今問題になっている、支払い能力があるにも関わらず、子供の給食費を支払わない親なども、この類の輩だ。

そして、一番気になるのが。
・自らの子供が、自らの目の前で社会的に不適切な行為をしているにも関わらず、無関心な大人(親)
  →店や電車等の公共の場で、物心ついた子供が騒ぎ暴れていても自分自身のことしか関心なく、叱るどころか放置しているのは、どういうことだ?

こういう輩達に限って、相手に、ほんの些細な非でもあろうものなら、大騒ぎする。


恥を知れ!恥を!


公が行う教育が悪いとかそういう問題じゃない。
大人自身の問題だ。

...そんなことを思うのは、GALANT's Cafeだけだろうか? と、長きに渡って、思っていた。


そんな折。
目にしたのが、本雑誌のライターをされているハリー山崎氏(氏は車好きが高じて、アメリカにて10年近く在住していた経験をお持ちだ)が執筆されていた本記事。

要約すると、こういうことを述べられている。

>アメリカでは、公の場では公のルールを尊守しようとする空気が存在する。
>銀行強盗ですら、障害者優先用の駐車エリアに車は停めない。
>どのスーパに行っても、子供達が騒ぎ暴れているなどということも、滅多にない。
>どんな小さな子供ですら、転がってきたボールを拾ってやれば“Thank you.”と言い、
>自らが悪いことをしたと思えば、“I'm sorry.”と言う。

>飛行機の中でも、フライトアテンダントからサービスを受ければ、
>大概のアメリカ人は“Thank you.”と言う。何も言わないのは、大概が日本人だ。
>これは決して言葉の問題ではない。

>おそらく。アメリカでは、幼い子供の頃から“公のルール尊守”の大切さを
>親から教育されるのだろう。

確かにそうだ。

先日訪れたアメリカも、どんな公共の場(特にスーパなど)であっても子供が騒ぎ暴れているなどということはなかった(いや、母親が相当厳しく叱っていたシーンを見かけたけど)し、どんなに混んだ駐車場でも障害者優先用の駐車場は空いていた(停めれば、非常に厳しく罰せられるということもあるのだろうけど)。
飛行機に乗り、フライトアテンダントからサービスを受ければ、皆、“Thank you.”と言っていたな(GALANT's Cafeも、拙い英語で真似てみたが^^ゞ)。


昨今の日本では、“遠慮”“譲り合い”などという精神はどこかに消えてしまい、“他人からしてもらうのは当たり前”というような社会になってしまったように思う。
そのために、さらに社会はギクシャクし、そのギクシャク感に疲れ切ってしまった人々も多いのではないか。

無論、日本がそんな大人ばかりではないことは分かっている。

しかしながら。

昨今の日本は、急速に周囲に無関心で、傍若無人に振舞う大人が増えてきているようにGALANT's Cafeには思える。

日本人が。
心理的に鎖国し、日本人しかいない世界で過ごしているうちはいい。
しかしながら。
このままでは、“世界の非常識な国民”に成り下がってしまう。

さぁ、他者の価値観を認め、自らの価値観との違いを認めつつ活動し、世界の人々と共存共栄を図ってゆくためには、どうすればよいのだろう?

そんなことを考えながら。

今日も、訪問先の駐車場に空きスペースが無くとも。
平然とした顔で障害者優先駐車エリアに車を停める輩を横目に、「そこには絶対に停めまいぞ」とエンジンを停止して駐車スペースが空くのを待つGALANT's Cafeが居るのです^^;


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんな日本に誰がした! (あかんべい)
2007-02-10 08:22:32
どうも、ごぶさたです。
全く、おっしゃる通りですね。
先日、妻とも話していたのですが、最近の小学校の保護者を見ていても、全く無関心か、過干渉のどっちかで、ほどほどのバランス感覚を持った人はいないのかいと。
考えてみれば、過干渉も、裏を返せば、他の人がどう思うかなんて考えられないということなんでしょうね。
結局、自分のことしか考えられない人が増えているということなんだと思います。
何でこんな日本になっちゃったんでしょうね?
やっぱり、道徳とか倫理といった教育の問題なんでしょうか。
でも、最近は老人もおかしくなってきているようにも思えるし。
困ったもんです。
返信する
無関心な時代 (GALANT's Cafe)
2007-02-11 19:30:08
●あかんべいさま
う~ん、小学校の保護者も、そのような状態ですか^^;

何が原因なのか、GALANT's Cafeには未だ分からずにいますが、“周囲の変化を敏感に気づく人が激減している”ことだけは、間違いないと思います。

そして、この“周囲の変化を敏感に気づく”ことが、由々しき事態を避ける鍵になると思うのですが。

見方を変えれば、そんな周囲の変化を敏感に気がつ”かずに済む日本とは、本当に平和な国なのかもしれません。
返信する

コメントを投稿