てのひらの中の偶然

携帯iphone12、そしてOLYMPUS OM-Dが切り撮った日常の風景

白い喪服とタキエさん

2020-12-12 | 人・創造・冴
朝ドラ「おちょやん」は大正時代の大阪が舞台
(舞台を東京に移すと竈門炭治郎が鬼と闘ってますねw)

今週の朝ドラで大正5年、大阪での天海さんの葬式をしてました

そこに参列しているご婦人たちが全身真っ白の着物でした

帯も帯揚げも帯締めも全部白でした

明治生まれの母方の祖母・タキエは10代で両親を亡くし
まだ幼かった弟たちを育てながら女学校を卒業したという頑張り屋さんだけど、
この上なく優しくて大好きなおばーちゃんでした。
美貌にはあまり恵まれなかった祖母でしたが、
自虐的な言葉は口にせず、
その代わり誰を差しても「べっぴんさんやなぁ」と感嘆するので、
その度に、娘たち(わたしの母や伯母・叔母たち)に「えっぇ・・!」と反論されていました。

話が反れましたww
祖母が残していった言葉の中で
「昔は喪服は白かったんやで」が何故か心に残っていて、
白い喪服ってどんなのだろう?ってずっと疑問に思っていたのだけど
今週の「おちょやん」で眼にできたわけです

喪服が白から黒に変わっていった時期も理由もネット上には様々な説がありましたが、
大体明治30年から大正にかけての間に変わっていったようです

また、女性が葬儀に参列時に付けるネックレスも
わたしが若い頃は白の一連パールと決まってましたが、
いつの間にか黒やグレーが主流を占めるようになり

今も地方ではあるらしい葬式のお手伝い時の割烹着(エプロン)も
白→黒に変化しているようです

たぶんこれらは、時流というより
経済を活性させるための理由がありそうなので、
「今は黒」がマナーとか常識とかとはいえないのかもしれません

で、↓写真は「べっぴんさん」ではなかったタキエさんとわたしです♪


計算したら、このタキエさんは50代、しかも前半だと思います
顔のシワも手の感じも、苦労しはったんやなぁ。が現れてますね







コメント    この記事についてブログを書く
« 2020年 皇居 東御苑の紅葉 | トップ | 2020.12.19 なごり銀杏 外... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

人・創造・冴」カテゴリの最新記事