不思議活性

運の不思議

 

   『運の不思議』

   はじめに

 運って何なんだろう。運がいいとか悪いとか。「運」とは、めぐりあわせ。さだめ。「めぐりあわせ」とは、偶然の成り行きや物事の結果。「さだめ」とは、定まっていて動かせないこと。 定まった運命。などとありました。

 同じく、運命という言葉について調べてみると、人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。めぐり合わせ。転じて単に、将来。人間の意志を超えて、幸福や不幸、喜びや悲しみをもたらす超越的な力。 また、その善悪吉凶の現象。 巡り合わせ。とありました。

 そのように考えると、「運」について、何か言おうとすることは恐れ多いことかもしれません。そんなわけで、これから私が述べようとすることは、他愛もない独り言として受け取っていただければいいのかなと・・・・。

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 さて。運命って何?ですが、先ず、この世に父母のもとに生まれて来たことは、前世から決まっている運命(この世に生まれてくるという運命)なのでしょう。宿命ともいうようですが。
 それから、最大の関心事は、人が死ぬ時期は予め運命として決まっているのだろうかということです。たとえば、暗殺された人、自殺になった人、交通事故や戦争で亡くなった人。病気で亡くなった人。寿命を全うして亡くなる人。すべての人に、死ぬ時期は、運命として決まっているのでしょうか。
 私は思います。人間に死という運命が待っていたとしても、いつか訪れる死までの運命に挑戦して生きて行くということが人間としての生き方ではないのでしょうか。

 それにしても、世の中の事象全てが「運」という言葉によって動かされているのだとしたら、生まれてからの一生「運」に試されているとも言えるのでしょう。
 でも、もし、その「運」ですが、自分の「思う力」によって、いろいろと変えることが出来るのも、この世ではないのかとも思えるのであります。たとえば、親が子を思い、子が親を思う家族の愛の力。こまったとき、心底心配してくれる身内がいれば、おおいに助かるでしょう。
 人は、この世に「運」とともに生まれてくるのであり、その運が「不運」に変わったら病気になったり不幸になったりするということなのでしょうか。それとも、病気になったから「不運」不幸になったというのでしょうか。
 
 古来、運を良くする、良い運をつかむため、いろいろと探求されてきたのは、前もって、やってくる「運」を予測するというものではないでしょうか。やってくる未来が予測できるということは、未来がある程度このようになるのではという「運」の流れがあるということなのか。
 地球は太陽のまわりを365日でまわるという周期を考えれば、日本では、寒い冬のあとに暖かな春がきて、次に暑い夏がやってくるというように予測できるように、人の「運」の流れにも、寒い冬のような時期があれば穏やかな春が来るというように、目にはみえないが、「運」という周期性の流れがあるのだろうか。
 また、人は生まれたときに、皆それぞれに「運」という宿題を与えられて、その宿題を解いて行くのが人生だとしたら、その宿題を与えた神様がいるということでしょうか。

 たとえば、自殺ですが、精神的に追い詰められる状況になり耐えきれなくなり「運」がつきたのだろうと思ったりもします。「運」という言葉の不思議でもあります。

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 ここで見方を変えて、自殺ですが自らそのように決断するということは、今ある「運」を自分の力で閉じたということで、ある意味、今ある「運」に勝ったとも言えるのか。「勝つ」とは、心に働く(欲望・誘惑)強い力をおさえる。おのれに勝つなどとあります。
 死んでしまいたいという思いが生きているんだという思いに勝ったのであり、生きている「運」が死ということによって消えてしまったので、死は運に勝ったとも思えるのですが、死は運の中断であり、再び輪廻転生してこの世に生まれてくると、再び、「運」とともにその人の生活が再開されるのでは・・・・。その魂が悟って、この世に生まれてくることがなかったときには、「運」という言葉もなくなるのでしょう。運が良いとか悪いとかのお話は、輪廻転生するカルマ内のこの世でのお話ではあるのでは。

<「カルマ」とは、インド哲学や宗教において、個人の行為や意識が生み出す善悪の実体であり、それが次の生に影響を与えるとされる概念であり、仏典などの日本語での解釈では「業」という意味合いで使われ、サンスクリット語では「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳される。
 カルマは「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。」という因果応報の法則のこと。>

 と言うことで、「運」は「カルマ」とおおいに関係あるように思えますが、死んでしまったのでは、「運」もお手上げなのだということで、運に関して思うことは、やはり、この世に生きるという思いと、この世に生きていることのしあわせを感じることではないでしょうか。

 改めて、調べてみると、しあわせとは、めぐりあわせ。天運。運がよいこと。幸運。とあるのです。
 先ずは、あなた自身がしあわせで、家族がしあわせで、みんながしあわせな日々でありますように・・・・。

 また、私ごとですが、『運の不思議』に思いを巡らすとき、私より早く逝ってしまった妹のことを思い浮べます。人はみな、輪廻転生して、この世に誕生して来るのだとすると、次に生まれてくるときには、誰もが、しあわせな日々であれと願う私です・・・・。



・『運の不思議』についてちょっと書いてみましたが、しあわせな運を呼び込むには・・・・。

 安東民著『幸せの発想』より。

 ・自分自身を愛する人間になれ。
 ・人間とは自分自身の思う通りの人間になるものである。
 ・幸せになりたければ幸せになれる法則を実践に移すこと。
 ・幸せは伝染するものである。
 ・欲望は結果として他人を傷つけない限り悪ではない。
 ・欲望なければこの世の発展はないものである。
 ・最善をつくさなければなるようにもならないものである。
 ・他人との壁をなくすことによって人々はより幸せになるものである。

                 <不思議館


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