『シャガールと私』
私がマルク・シャガール(1887~1985)の絵を初めて知ったのは、中学生(1966~1968)のときの教科書に載っていた一枚の絵に出会ったことだと思います。記憶は定かではないが、下の「私と村」の絵だったように思います。

「私と村」1911年
それから、シャガールのことは忘れていたのですが、私自身、絵を描くということから遠ざかりつつあった頃でした。2008年(平成20年)に、今はないのですが隣町にあったメルシャン軽井沢美術館で、シャガール「花束の伝説」展に出会いました。

シャガールといえば、シャガール35歳頃までの輪郭のはっきりした「私と村」「誕生日」などの絵が強烈な印象としてありました。

「誕生日」1915年
それが、シャガール40歳頃からか、立体派的な空間構成や幾何学的な平面処理は次第に姿を消してゆき、空間は自然になりタッチも柔らかく優しくなっていったのですね。

「花束の上の恋人達」1975―1978年
今では、シャガールといえば、花束と恋人たちのようなイメージが一般的でしょうか。画風は違いますが、若かりし頃の「誕生日」の絵のなかのベラ・ローゼンフェルトも花束を抱えています。(1915年、28歳のとき、シャガールはベラと結婚します。)
シャガール「花束の伝説」展より。
「ベラに出会ってからのシャガールは、肖像画に花束を描き始めます。それ以後、花あるいは花束は、晩年まで欠かせないテーマのひとつとなりました。1944年、シャガール57歳の時、最愛の妻ベラが急死します。一時はそのショックから筆も握れないほどでしたが、その悲しみを癒す新しい恋人ヴァージニア、そしてヴァヴァがシャガールを支えます。そして、花束を描いた絵画はますます多くなっていきました。シャガールの妻への愛、さらに女性への愛が普遍化し、花束と恋人たちをモチーフにした作品がよく描かれるようになるのです。」
私はシャガールがベラと結婚した頃の作品が好きです。

「七本指の自画像」1912~13年

でも、晩年まで創作し続けたシャガールの作品はどれも優しさと愛に溢れています。

「愛の夜を祝福する幻想的空間」1949年
シャガールについての岡田隆彦氏の言葉より。
「パリに出て明るい色彩に目覚めてからのシャガールは、次第に独自な作風を展開してゆくが、望郷の念にかられながら、現実にあるものと心のなかに生きているものとを一つに描いて、そこに抒情的な幻想世界をうちたてる。」

「セーヌの橋」1954年
・『シャガールと私』いかがでしたか。思えば、私が描いた若き日の一枚の油絵、『明日へ』ですが、シャガールの絵よりインスピレーションを得て描いたのでした。
私も、幾つになっても、シャガールのような優しさと愛を忘れないでいけたらなと思うのです・・・・。
