不思議活性

老子道徳経  5

 

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    第五章 虚用(空虚を用いること)

天地は不仁なり、万物を以て芻狗(すうく)と為す。
聖人は不仁なり、百姓を以て芻狗と為す。
天地の間は其れ猶槖籥(たくやく)のごときか。
虚にして屈せず、動きて愈いよ出ず。
言うこと多きは数(しば)しば窮す。中を守るに如かず。

 芻狗(すうく)とは、藁を結んで作った犬。祭りに用い、祭りが終わると捨てたという。
 天地は万物を生育せしめ、万物を栄えしめているが、それは、自然に行われていることであって、天地には特別の意志があるわけではない。このような状況を観察すると、万物は、天地自然から、芻狗と同じような取り扱いを受けているようにも思われる。聖人が、民百姓に対する在り方も、天地自然が万物に対する在り方と同じように、いつも仁慈が行われているとは見えない。

 槖籥(たくやく)とは、鍛冶屋が火をおこすのに用いるふいごうのこと。
 民百姓は、あたかも芻狗と同じような取り扱いを受けていると、見ることができるように思われるときがある。天地の間のことは、槖籥にたとえることができるものであろうか。槖籥からは、把手を押したり引いたりすると、風が真断なく出て来て止まることがないものである。天地の間のことも、いろいろと変った植物や動物が姿を現わして来たかと思うと、いつの間にか消えて、また新しいものが現われるということが、いつ果てるということもなくつづいているものである。
 また、人間の社会、国家においては、ある国の勢力が盛んとなって、天下に君臨するようになったかと思うと、いつのまにか国力が衰え、他の国が勢力を得て天下に君臨するようになったり、或る学説が盛んに唱えられて天下を支配するようになったかと思うと、いつの間にか、これに代る学説が台頭し、これまで天下を風靡していた情勢に取って代るというような、変幻極まりなきことが、時の流れとともに止まることなくつづいているのである。
 このような政治情勢に対し、また、社会情勢に対しては、いかなる政策を採るべきかというと、それはいかなる政策にもかたよらないように、平衡を保つようにうることが肝要なのである。
 屈は、尽く、終る等の意。中は、中程とか、一方にかたよらないように平衡を保つ、というような意。


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