不思議活性

弘法大師空海について 2

 

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 真言宗の本尊は大日如来であり、曹洞宗の本尊は釈迦牟尼仏ですが、真言宗においては、大日如来は法そのもの、法の当体である自性法身。釈迦如来はこの世に現れた仏陀である変化身(応化身)とされているようです。
 そう、仏教は、諸説あるがだいたい2500年ほど前(紀元前6世紀頃)に、インド北部ガンジス川中流域で、釈迦が提唱し成立したと考えられています。

 空海ですが、奈良県にある久米寺で、密教の経典「大日経」と出会い、「経典を読んだだけでは密教の教えはわからない」と、唐に渡り、恵果大師から密教を伝授されたのです。そして、806年に日本に帰国。その後2年ほどは太宰府にある観世音寺に滞在していたといわれています。809年になると京都の高雄山寺(現在の神護寺)に入り、翌年の810年には嵯峨天皇の書を受けて真言密教の布教を開始し、高野山を修禅の道場として開創したのは、それから6年後の816年のことです。

 ところで、日本における曹洞宗の開祖、鎌倉時代(1185年~1333年)初期の禅僧、道元禅師(1200年1月26日~1253年9月29日)ですが、空海から四百年も後の人なのですね。
 禅宗は、南インド出身で中国に渡った達磨僧を祖とし、坐禅を基本的な修行形態としていますが、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは、中国の唐代(618-907年)末期からであるということ。 
 この二十一世紀の今も、日本の禅(坐禅)は、色あせることなく、日常の悩みから解放されるというか、自分自身に向き合う修行であるのですね。

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 その坐禅という修行から、真言密教の修行に思いをはせると。「密教の修行の基本は、三密の行です。 三密とは、三業のことで、心と口と体の3つの行いのことを、密教では三密といいます。 手に 印契(いんげい )を結び、口に真言を唱え、心を 三摩地(さんまじ)の境地に入らせることです。」とあり、すごいなと思った私です。

 しかし、真言密教も禅宗も元は仏につながるものであり、いずこにも、何にも、誰にも仏は宿っているという世界観は、どの宗派であっても同じではと思う私です。春の四国路を白衣で歩くお遍路さんが、春の日ざしの中に「同行二人」の法悦を感ずるのはこのためなのですね。
 でも、この境地は、何もしないで、何の自己反省もなく到達できるものではもちろんなく、決して、生れたままの人間本能の肯定と同義語ではないのです。
 それは、空海弘法大師が、すべての修行・苦行にその若き日々を過ごしたこと。今日でも、弘法大師の生誕地、四国讃岐の善通寺をはじめ、津々浦々の真言寺にのこる「修行大師」の姿に観ることができ、若き日の大師の著作や、『三教指帰』や、詩花集『性霊集』などの中に生き生きと描き出されているのです。
 空海弘法大師について、調べていけばいくほど、その行動の姿と生きる姿に驚くとともに、日本の密教の歴史において空海に並ぶ人は誰もいないのではと思うのでした・・・・。

・次回に続く・・・・。


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