不思議活性

賢治童話と私  種山ヶ原 4



   4

 達二は、眼を開きました。みんな夢でした。冷たい霧や雫が頬に落ちました。空は霧で一杯で、なんにも見えません。にわかに明るくなったり暗くなったりします。一本のつりがねそうが、身体を屈めて、達二をいたわりました。
 
 そして達二はまたうとうとしました。そこで霧が生温い湯のようになったのです。可愛らしい女の子が達二を呼びました。
「おいでなさい。いいものをあげましょう。そら。干した苹果ですよ。」
「ありがど、あなたはどなた。」
「わたし誰でもないわ。一緒に向うへ行って遊びましょう。あなた驢馬をもっていて。」
「驢馬はもってません。只の仔馬ならあります。」
「只の仔馬は大きくて駄目だわ。」
「そんなら、あなたは小鳥は嫌いですか。」
「小鳥。わたし大好きよ。」
「あげましょう。私はひわを有っています。ひわを一疋あげましょうか。」
「ええ。ほしいわ。」
「あげましょう。私今持って来ます。」
「ええ、早くよ。」
 達二は、一生懸命、うちへ走りました。うつくしい緑色の野原や、小さな流れを、一心に走りました。野原は何だかもくもくして、ゴムのようでした。
 達二のうちは、いつか野原のまん中に建っています。急いで籠を開けて、小鳥を、そっとつかみました。そして引っ返そうとしましたら、
「達二、どこさ行く。」と達二のおっかさんが云いました。
「すぐ来るがら。」と云いながら達二は鳥を見ましたら、鳥はいつか、萌黄色の生菓子に変っていました。やっぱり夢でした。
 風が吹き、空が暗くて銀色です。
「伊佐戸の町の電気工夫のむすこぁ、ふら、ふら、ふら、ふら、ふら、」とどこかで云っています。
 それからしばらく空がミインミインと鳴りました。達二はまたうとうとしました。
 山男が楢の木のうしろからまっ赤かな顔を一寸ちょっと出しました。
(なに怖いことがあるもんか。)
「こりゃ、山男。出はって来こ。切ってしまうぞ。」達二は脇差しを抜いて身構えしました。
 山男がすっかり怖がって、草の上を四つん這いになってやって来ます。髪が風にさらさら鳴ります。
「どうか御免御免。何じょなことでも為んす。」
「うん。そんだら許してやる。蟹を百疋捕って来。」
「ふう。蟹を百疋。それ丈でようがすかな。」
「それがら兎を百疋捕って来。」
「ふう。殺ころしてきてもようがすか。」
「うんにゃ。わがんなぃ。生ぎだのだ。」
「ふうふう。かしこまた。」
 油断をしているうちに、達二はいきなり山男に足を捉まされて倒されました。山男は達二を組み敷いて、刀を取り上げてしまいました。
「小僧。さあ、来。これから、俺の家来だ。来う。この刀はいい刀だな。実に焼きをよぐかげである。」
「ばが。奴の家来になど、ならなぃ。殺さば殺せ。」
「仲々づ太ぃやづだ。こったら来ぅ。」
「行がない。」
「ようし、そんだらさらって行ぐ。」
 山男は達二を小脇にかかえました。達二は、素早く刀を取り返して、山男の横腹らをズブリと刺しました。山男はばたばた跳ね廻って、白い泡を沢山吐いて、死しんでしまいました。
 急にまっ暗になって、雷が烈しく鳴り出しました。
 
 そして達二はまた眼を開きました。
 灰色の霧が速く速く飛んでいます。そして、牛が、すぐ眼の前に、のっそりと立っていたのです。その眼は達二を怖れて、横の方を向いていました。達二は叫びました。
「あ、居だが。馬鹿だな。うなは。さ、歩べ。」
 雷と風の音との中から、微かに兄さんの声が聞えました。
「おおい、達二。居るが。達二。達二。」
 達二はよろこんでとびあがりました。
「おおい。居る、居る。兄なぁ。おおい。」
 達二は、牛の手綱をその首から解いて、引きはじめました。
 黒い路がまたひょっくり草の中にあらわれました。そして達二の兄さんが、とつぜん、眼の前に立ちました。達二はしがみ付つきました。
「探さがしたぞ。こんたな処まで来て。何て黙ってあそごにいなぃがった。おじいさんうんと心配してるぞ。さ、早く歩べ。」
「牛ぁ逃にげだだも。」
「牛ぁ逃げだ。はあ、そうが。何にびっくりしたたがな。すっかりぬれだな。さあ、俺のけら着ろ。」
「いっこう寒むぐなぃ。兄なのは大きくて引きずるがらわがんなぃ。」
「そうが。よしよし。まず歩べ。おじいさん、火たいて待ってるがらな。」
 ゆるい傾斜を、二つ程ほど昇り降りしました。それから、黒い大きな路について、暫く歩きました。
 稲光が二度ばかり、かすかに白くひらめきました。草を焼く匂いがして、霧の中を煙がほっと流れています。
 達二の兄さんが叫びました。
「おじいさん、居だ、居だ。達二ぁ居だ。」
 おじいさんは霧の中に立っていて、
「ああそうが。心配した、心配した。ああえがった。おお達二。寒がべぁ、さあ入れ。」と云いました。
 半分に焼けた大きな栗の木の根もとに、草で作った小さな囲いがあって、チョロチョロ赤い火が燃えていました。
 兄さんは牛を楢の木につなぎました。
 馬もひひんと鳴いています。
「おおむぞやな。な。何ぼが泣ないだがな。さあさあ団子食べろ。な。今こっちを焼ぐがらな。全体何処まで行ってだった。」
「笹長根の下り口だ。」と兄が答えました。
「危いがった。危ぃがった。向さ降りだらそれっ切りだったぞ。さあ達二。団子喰たべろ。ふん。まるっきり馬こみだぃに食ってる。さあさあ、こいづも食べろ。」
「おじいさん。今のうぢに草片附げで来るべが。」と達二の兄さんが云いました。
「うんにゃ。も少しまで。またすぐ晴れる。おらも弁当食うべ。ああ心配した。俺も虎こ山の下まで行って見で来た。はあ、まんつ好がった。雨も晴れる。」
「今朝ほんとに天気好がったのにな。」
「うん。また好ぐなるさ。あ、雨漏ってきた。草少し屋根さかぶせろ。」
 兄さんが出て行きました。天井がガサガサガサガサ云いいます。おじいさんが、笑いながらそれを見上げました。
 兄さんがまたはいって来ました。
「おじいさん。明るぐなった。雨あはれだ。」
「うんうん。そうが。さあ弁当食ってで草片附げべ。達二。弁当食べろ。」
 霧がふっと切れました。陽の光がさっと流れて入りました。その太陽は、少し西の方に寄ってかかり、幾片かの蝋のような霧が、逃げおくれて仕方なしに光りました。
 草からは雫がきらきら落ち、総ての葉も茎花も、今年の終りの陽の光を吸っています。
 はるかの北上の碧い野原は、今泣きやんだようにまぶしく笑い、向うの栗の木は、青い後光を放ちました。

・この「種山ヶ原」は、最初「霧穂ヶ原」という題名のときもあったようで、霧に覆われた舞台は、時に怖く時に幻想的で、「風の又三郎」にも通じるところがあります。でも逃げたのが馬でなく牛であるため、ちょっとのどかな感じに親しみが持てます・・・・。私はそんな田舎の自然と共に生きる達二たちの世界っていいなあと思うのです。

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