標識には 宍戸氏の館跡は 殿山と海老山の間に在ったと記されています
前方に見える小さな山が ‘ 殿山 ’です
宍戸氏の館は、下に見える公園から北に向って在ったと推測されます
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真下の公園の先が旧国道2号線(宮島街道・・車が見える行きあたりの道路)~広電線路~JR線路~殿山と続きます
前方に見える小さな山が ‘ 殿山 ’です
宍戸氏の館は、下に見える公園から北に向って在ったと推測されます
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真下の公園の先が旧国道2号線(宮島街道・・車が見える行きあたりの道路)~広電線路~JR線路~殿山と続きます
詳しくは、こちらをお読みください
標識には 宍戸孫六が記載されております
安芸宍戸一族について
戦国時代の武将・毛利氏の家臣 毛利元就の長女を妻として迎え、吉川元春・小早川隆景らと軍事行動を共にし
忠節をつくし、江戸時代以降も一門筆頭として在した
公園北側に 三十人の墓
海老山城跡
海老山公園の造成により遺構の殆どが破壊されました
かって中世の山城が築城されていました・・二つの郭と三つの小郭からなっていました
広島湾西岸に浮かぶ小島に城が築かれたものと思われます
参考書類:広島県教育委員会中世城館遺跡総合調査報告書
写真:山頂付近の北側に残っている 主郭跡の石積みです
海老山公園の造成により遺構の殆どが破壊されました
かって中世の山城が築城されていました・・二つの郭と三つの小郭からなっていました
広島湾西岸に浮かぶ小島に城が築かれたものと思われます
参考書類:広島県教育委員会中世城館遺跡総合調査報告書
写真:山頂付近の北側に残っている 主郭跡の石積みです
戦没将兵を祀る五日市招魂社と八幡川の守護神 貴船神社と合祀され・・原爆学徒犠牲者を合祀し
五日市護国神社として現在に至る・・・読んでいて疲れる標識です
公園の中央近くに在ります
8月25日(木) 天気: PM 海老山散策 続編
海老山は南北に伸びており、エビのような形をしております
海老山中腹に海老山公園が在り・・有事の際、避難場所に指定されており
この公園、北に位置し、桜の木が植えられ・・シーズンには花見客で賑わいます
海老山は南北に伸びており、エビのような形をしております
海老山中腹に海老山公園が在り・・有事の際、避難場所に指定されており
この公園、北に位置し、桜の木が植えられ・・シーズンには花見客で賑わいます