3か月に1度の内科に行く。もう何年通うのか、忘れるくらい。最初はまだ志太病院と言っていたころだから、随分と前の話です。甲状腺の検査や、いろいろと検査してからだからな。甲状腺機能亢進症薬を飲み始めた。機能亢進症で一時期何キロも体重が減り、見事ガリガリになった。このままだと目が飛び出る寸前まで。でも薬のおかげで、そこまでいかないで今の現状を維持。
交通事故で、内臓破裂手術、むち打ち症はひどくて、背中に板の戸板を張られたように、腰の辺りまで居たくて眠れず、お茶碗は手からポロリと落ちるし、ツっかけを履いていても脱げたことが分からない。むち打ち症の騒がれ始めたころの話。病院に行っても首をけん引して、腰が痛いと腰もけん引。まあ今思えばひどい治療方法でしたね。そんな時に内臓破裂になる。1年は入退院を繰り返す。
術後は「24時間が」と言われた母親は、付き添いをしてくれた。母は1級の視力障害があり、夜中に何回も私の口元や鼻の辺りを気にして、ベッドから降りてくる。事情を知らない自分は「お母さん、私は大丈夫よ、お母さんこそ怪我すると困るから、苦しかったら頼むから」。と二人で戦った抜糸までの戦い。これで大丈夫と、先生のお墨付きが出て、この間のいきさつを知ることに。二人で泣いた、気が済むまで。若かりし26歳の時の事。一人娘を姑に預けての1年余の事。二人の母が娘の取り合いで、雲行きが怪しい。「これは嫁に貰った家の孫」!思い出すと有難いやら、母親には随分悲しい思いをさせてしまう。そんな母も、そして姑も今はいない。ほろ苦い思い出。歳を取ることの履歴書かな。