最近ヤングケアラーと、いう言葉をよく聞く。なあにこれは、自分の子供の頃にも。言葉は違うけど、自分のこどもの頃も、時代は違っているけど、終戦後の混乱期が落ち着いてきたころかな。皆が必死に生きていた時代。
我が家の話です。内職をいろいろやっていた母親は、戦争中からの働き過ぎか、眼を悪くしていた。父が戦争に行っている間は、自分の着物を食料に変えるため、地方に出かけて、お米などに変えて、帰る途中で「検察」にあい、取りあげられて、泣いて帰ることも。お腹に巻き付けて、大きなお腹に見せかけたりして、苦労をして私たちに食べさせてくれました。
この頃は、母の実家に居候です。妹と母の帰りをよく待ちました。その妹が電車にはねられて、意識不明になり、近所の工場の方が、機械を動かすのに使っていた、氷を提供をしてくれて、病院にも行かずに元気になることが出来ました。お陰様です。
父が復員をしてきたのは、自分が小学校に、初めての夏休み頃、転校をして父母と妹と父の家に帰りましたが、戦争で焼け出されて、バラック建ての家に代わりました。これからが、自分の今でいう、ヤングケアラーの生活が始まった。