余暇Hike気分

「起きチョッた~?」退職後の生活を楽しんでる私は娘からの電話に応えます。「起きチョるよ~!」

NHK山口局テレビ放送開始50周年らしい

2009-07-03 | 美術館
  今年は、NHK山口放送局が、34年6月15日に防府の大平山にテレビ放送を開始して以来、50年という節目の年だそうです。
  それを記念して 「放送のあゆみ」展 をやってるというので、yoshi と行ってみました。  NHK山口放送局は山口市の中央公園のところに、情報技術センターと並んであります。
  テレビ6時ダイの「ゆうゆうワイド」で時々放映される、公園の横を車が流れているお別れの画面は、この塔から撮ってるのにチガイナイ。 ⇒
(奥に見える塔はNTT)


エントランス

入ってすぐの左側に開局当時のカメラやポスターが展示してありました。

防府放送局開局ポスター
開局20周年ポスター
東京オリンピックポスター
放送開始当初は、山口市ではなく防府市の大平山だったんですねぇ。
 山口放送局沿革 

当初のカメラ  RCAテレビカメラ 

アメリカ・RCA社製 1951(昭和26年)
  1953年2月の国内テレビ放送開始にそなえて、アメリカから輸入された高感度カメラだそうで、NHK放送技術研究所で研究が積み重ねられ国産カメラのモデルとなったんだそうです。
  

カラーテレビカメラ (210-1型カラーカメラ)

東京オリンピック開会式カラー放送に活躍したカメラだそうですよ。

エントランスの右奥に進むと左手に見えてきた
 6面マルチ画面 

高画質なハイビジョン映像と音声が楽しめます。
マルチ画面の左に見えているのが「放送のあゆみ展」の入口です。



「放送のあゆみ展」



当時のテレビ (左:昭和40年当時  右:昭和34年当時)


「のど自慢素人演芸会」台本

最後に(拍手)まで入れてあるよ(^^)

  「テレビ放送のはじまり」コーナーの次には 「テレビの未来を体験しよう」コーナーがあり、 NHK放送技術研究所で開発中の新しい技術を、体験することができるようになっていました。

~トリミングテレビ~ と ~バーチャルパペット~


  ~トリミングテレビ~は、リモコンを上下・左右に振ることでチャンネルを変えたり、好きな場面でズームイン(トリミング)したりすることができます。
  指の不自由な人たちにも楽しんでもらえるように、 研究開発が進められているんだそうです。

  ~バーチャルパペット~では、「?」マークが書いてあるカードを持ってモニターの前に立つと、 3次元キャラクターの 「どーもくん」 や 「ななみちゃん」 がカードから飛び出してきて、 動きながら口々にしゃべる、というものでした。



このほかには、
~音声認識装置~、~話速変換装置~、~ヘッドホンで聴くサラウンド~
などがありました。



  「放送のあゆみ展」を出て、先ほどの6面マルチ画面の奥にあるのが 「公開スタジオ」、 お昼前のローカル番組 「とくもり情報ランチ」 のスタジオだそうです。
  その右に並んであるのが 「放送体験スタジオ」 で、ニュースキャスターを体験することが出来るようでした。  いえいえ私は近寄りませんでしたよ^^。


公開スタジオ


放送体験スタジオ



  このほかには、「番組公開ライブラリー(NHKアーカイブス)」というのがあり、
これまでにNHKが制作した、約6000本の番組と、山口放送局が制作した番組を視聴することができるようです。
  「秋吉台の四季」というのがあったので、試しに見て、放送局を後にしました。

  帰る途中、「ねむ」という軽食喫茶で、半熟卵のハヤシ味ソースオムライス(だったかな?)というのを食べました。 美味しかった!けれども量が多くて・・・ もうナニもイランになりました^^。





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懐かしくなって何を思い出したかと言うと、その昔、
たしか四つ切か六つ切りに伸ばした白黒写真があったなぁ・・・と

探し出してスキャンしてみました・・・^^あはは
昭和50年以前の写真ですねぇ
自分たちで作った写真クラブらしきものに入ってた頃のもの
これ以後はずうっと空白で
伸ばしたりするような写真は撮っていませんですねぇ



(1) 何を見ているのか・・・分りませんよね^^



(2) 貨車1


石炭産業によって、村から一気に市に躍進している宇部市
宇部港の近くには石炭がうず高く山にされていて
こんな貨車が活躍していました

(3) 貨車2
 
軍港へ貨車の影ゆく犬ふぐり    秋元不死男
ブログ友達の記事の中にこの句を見た時には
見たことあるようなそんな情景を容易に思い浮かべることが出来ました



(4) 知らないお姉ちゃんに抱かれて(平尾台バス旅行で)


これらの写真が私の写真の始まりと言えます
風景を撮るのは難しいけど、人間生活の断片なら
センスの無さを人の表情でカバーしてもらえると思っていました^^ゞ

でもだんだん人にカメラを向けにくくなり
いきおい無難な記念撮影となって今に到ってるというわけですネェ

オマケ(5) 十種ヶ峰スキー場で (by fujipa)


カメラはオリンパスとかペンSとか、そんなんだったでしょうか
その頃のビデオはネジを巻いては写すダブルの時代
子供たちの幼い間はこのダブルビデオが多いに活躍したものです

最近新しいカメラを手にすることになったこともあって
昔を、初心を、懐かしく思い出してみました。


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最後は最新の・・・でもないかぁ^^; ビデオカメラで
ダンスの舞台を撮った時の写真で終わります



左側のあのひとと                  右側のこの人と
 
中央の私の3人が組んで撮りました

中央から撮るのが一番簡単なんです
扱いはどれも同じようなものとはいえ始めてのビデオカメラ
特に暗闇での手探り操作はいつも・キンチョウ・です。


事前にざっと取り扱いを教えてもらい
当日はセッティングもしてもらって至れり尽くせり (^^ゞ
fujipaの仲間に負んぶしてもらっての撮影でした
「よう撮れチョッタよ」の電話に
とりあえずは写ってたんだー、あんどあんど・・・





8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
イヨッ!舞姫Puさん! (fujim)
2009-07-06 22:04:54
Puさん、おめでとう! 無事済んだねー!
最高の舞で最高の舞台、 サイコーですねぇよかったねー !
 朝から何度か覗いてはみたけど、まあまあ今日は、ゆっくり休んで・・・と思って黙って帰ってきたよ^^。
草むしりで、気持ちを鎮める、いいことですねぇ。
特に、最高の気分の時には疲れも半減するね。
でも、これで終りじゃないから、無理して疲れを溜め込まないようにしないとね。

メールはもうたくさんかぁ、、あはは
そう思ってるのは、Puさんだけじゃなさそうー!^^
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Vサインのつもりが・J ・PU (アチャー)
2009-07-06 18:50:08
Vサインのつもりが何故かメールに??
メールはもうたくさんじゃ!
返信する
最高の舞 (舞姫)
2009-07-06 18:47:26
fuさんありがとう。
最高の舞で最高の舞台でした。
最後にちょっヘマしちゃったけど、それはご愛嬌のうち・・・・えへへ
又、出直します。
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のらさん、どーもくんです^^ (fujim)
2009-07-05 20:50:44
いやぁ~、どうもどうも! ありがとうございます。
のど自慢は、鐘を叩く人もチャンと紹介してるんですね、 そこまで気をつけて聴いていませんでしたよ。

チャンネルマンのfujipa 任せで、何曜日にナニがあるかほとんど覚えていないんですけど、月曜日は「鶴瓶の家族に乾杯」、これは知ってますよ。  イツだったか気がついたら、後から見ようと思ってたんでしょう、山ほどの「鶴瓶の家族に乾杯」と「クールジャパン」(BS?)が録画をし続けていたと言う、泣ける?泣けない?話もあります><。
「今夜も生でさだまさし」は一度、お正月に見てるとコメントされてたときに見ました。 真夜中ですよね? 私は真夜中は寝ています^^。

こんな大昔の写真を見せるのははずかしいですねぇ^^、
勢いで出してしまいましたよ。
のらさんと違ってfujipaは写真屋さんとグル^^になって遊んでましたので、この時代は引伸しも写真やさん任せです。
自分で始めたのはこの20年ぐらいでしょうか。
のらさんはそんなに前からされてたんですね、もったいなかったですね、 青春を注いだ「我家の国宝級」作品が水の泡、水浸しとは・・・ どんな写真だったのか見せて欲しかったですよ、、 濡れたらダメですよねぇ。

宇部が海底炭鉱都市として一躍市制をしいたのは大正10年のことですが、昭和30年代からは御多分に洩れず石炭産業は衰退の一途を辿っています。  今ではボタ山は姿を消し、
ときわ公園に石炭記念館が・・・^^。

(4)番は、人見知りで涙をうるうると溜めながら、口をへの字にして声を出すのをガマンしていた子だったのが、やっとこのくらいにガマン出来るようになったコロです。
体を硬直させて、私から目が離せずに瞬きもしないで見ていたのを思い出します。  抱っこしてくれてるお姉さんの顔がとても優しげでいいなぁと思ってお気に入りです。

年代は、あまりシビアに書くと年齢が分っちゃイカンと(私のではありませんよ^^)、  ブチ大まかですので5年10年違っても、、、 あはは。
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計算マチガイ (どーもくん)
2009-07-05 10:43:18
昭和50年は1970年じゃなかったですぅ。
1975年でしたねー。^_^;

のら
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ななみちゃん (どーもくん)
2009-07-05 10:32:21
おはよう ななみちゃん!どーもくんです!
いや どーもどーも

NHKの番組は一見ぶっつけ本番に見えるようでもけっこうシナリオがあったり前もって調整したりしているんだと聞きました。

「のど自慢素人演芸会」台本を見るとなるほどなーという感じです。
最後に(拍手)まで入れてあるのも当日の出演者や観客に「ここでこうして、最後は拍手・・」なんて打ち合わせするんでしょうね。
古い台本ですけど今もあまり変わりないんじゃないですか。

「鶴瓶の家族に乾杯」とか「今夜も生でさだまさし」なんかもそうなんですかねー?「鶴瓶の・・」の場合はライブじゃないので後からいくらでも編集可能ですけどね。
あ!こんな番組知ってました?のらの好きな番組です。

モノクロの写真、なつかしくて何度も何度も見ましたよ。
のらも同じように自分でDPEしていました。四つ切なんかに伸ばした写真をパネルにして部屋に飾ったり友人にプレゼントしたりしていましたね。
今思うと「ようあんな辛気臭いことやってたなー」というくらい1枚の写真に時間かけてました。
パネルも材木とベニヤ板から切り出して作っていたんですからね。

昭和50年といえばあの大阪万博(Expo'70)ですよね。手足の指を折って全部数えても足らない39年前ですよ。
それまで宇部は「村」だったんですか?石炭産業が村を大きくして「市」になったというわけですね。
そんな歴史が詰まったこの貨車の写真は貴重だと思います。モノクロであることが逆に重みを感じさせますね。

それから「(4)の知らないお姉さんに抱かれて」がいいですねー。
これは「我が家の国宝」級の写真じゃないですか?
なんか胸に迫るものがありますよー。

実は、この家に越してきたばかりのときに段ボール箱にいくつもそれまで撮った写真とネガを入れて、一時的に地下のガレージに置いていたのです。
あろうことか、間もなく降った集中豪雨で全部水に浸かってしまったんです。新しい住みかがこんな雨に弱い場所だとはつゆ知りませんでしたねー。プリントは全滅、ネガは修復を試みましたけど殆どが使い物にならなくなってしまいました。

そんなわけで、モノクロ時代の我が家の国宝級の写真の多くはは記憶の中にしかありません。

だいたい大阪という土地は古来上町台地以外は海か湖だったんですから湿地帯の上に成長した町なんですね。そんなところが雨に弱いのは当然でしたね。
下水工事が充実してきたので最近は少々の雨には浸からなくなりましたけど・・・。

ダンスのビデオ撮影、「よう撮れちょってよがったです!!」
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照れまんさん こんにちはー (fujim)
2009-07-04 08:33:48
テレビが家庭にやってきた頃のことを思い出しました。 テレビのことが書いてある少女雑誌を読んで、ラジオに白い布を掛けて、それに映画のようなものが写るって、イッタイどんな感じなんだろうと、懸命に想像したのを思い出しますよ^^。
おおー、観音開きの戸! あったですねぇ、高価なちょいと贅沢な家具!

かわいい赤ちゃんですねー って、赤ちゃんはどの子も可愛いってば^^。 両方とも下の子。 上の子の私の傑作?もあったんですが、ダメーと蹴られました、私と同じシャイ?ですからね、アハハ。ちょうど歯が抜ける頃だったんですよ^^。

形だけはプロ並みでしょ><;;タラタラ
いつもありがとうございます(^-^)。
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半世紀 (照れまん)
2009-07-03 20:12:42
 Fujim さん こんにちはー
これが 今 NHK で 宣伝している、山口放送のあゆみ展 ですね。
昔のテレビって、家具でしたよね。
我が家のテレビは観音開きの戸が付いていました。

赤ちゃんが写っていますが、これはもしかして、お嬢様?
Fujipa さんの撮った写真は 間違いなく お嬢様でしょう。
ダンスの撮影は プロ並ですね。すごい!
とりあえず、これで、また来ます。
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