goo blog サービス終了のお知らせ 

金持ち母さんへの道 in Sydney

ブログのタイトルを変更しました。引き続き、よろしくお願いします。

お知らせ

2006-07-30 | その他
以前から、写真を更新してもうまく更新できなかったり、ブログの記事を更新しても、ちゃんと反映されなかったりと問題があったため、このGOOのブログから引越しをすることを決めました。

新しいブログは、前々から使いやすいという評判を聞いていたエキサイトのブログにお世話になることになります。

新しいブログは、こちら

最近は、更新回数もめっきり減ってしまいましたが、気分新たにして、引き続きこのブログを続けたいと思います。

皆様、お時間があるときには、新しいブログに訪問して頂ければ、幸いです。

引き続きよろしくお願い申し上げます。


リンクを貼らせて頂いている方、大変恐縮ですが、お時間のあるときに、リンクを修正して頂けませんでしょうか?よろしくお願いします。

ブログの引越し

2006-07-21 | その他
不具合なんでしょうか、ブログを更新してもそれが表示されません。20日付にブログを更新し、記事一覧のところにもちゃんと公開されているにもかかわらず、記事が反映されていない。でも、カレンダーには、20日のところがちゃんと太文字になっているのに、記事が見つからないのはどうしてなんでしょう?日付をクリックしても、空白ですし、、、、

ここ最近は、画像付けて記事を更新しても全く反映されなくて、画像を載せるのはあきらていたのですけど、文字だけなのに、、、、

もう、いっそうのこと他のブログに引越しをしようかなと思いつつも、もう1年半以上続けているし、、、

Gooをお使いの皆様、私のような不具合はありませんか?この記事もちゃんと更新されるんだろうか???

お知らせ

2006-04-07 | その他
突然ですが、ブログのタイトルをIMPOSSIBLE IS NOTHINGから、金持ち母さんへの道 in Sydneyに変更致しました。

このブログを始めた当初、2004年11月頃(同年、12月にこのGOOのブログに引越してきました)は、今の主人と結婚してこちらにオーストラリアに移住することが本当に自分の人生にとって正しいことだろうかとウジウジと数ヶ月も悩んだ結果、とりあえずそうしようと決心し、移住のためのビザの準備等と始めたときでした。

いざ、決めたものも、本当にいいんだろうか、向こうでの生活はうまくやっていけるのだろうかと心配で心配でたまらなくて、今の主人のことも色々あって、そんな気持ちを書くことで整理できたらいいかもと言う軽い気持ちでブログを始めました。

ブログのタイトルも、結婚、移住と自分に人生にとって大きな決断をした自分を励ましてくれる言葉、

IMPOSSIBLE IS NOTHING (不可能なんてありえない)

をアディダスの宣伝から借りてきました。


それから、1年半、その時々に自分が感じたこと、起こったこと等々、綴ってきました。

1年半前は、ほんと、オーストラリアに移住することがおっかなびっくりで、心配&不安ばかりだった自分でしたが、今では、ちゃんとした仕事も見つかり、こちらの生活もだいぶ慣れ、こちらに来てから約1年が過ぎようとする今、ここでの生活を楽しもうという余裕もできた今日この頃です。

今までは、日常の出来事を感じたことを適当に書いてきましたが、今度は、以下のテーマを持って、ブログを書けたらいいなと思ってます。


オーストラリアの投資事情
オーストラリアの不動産事情
オーストラリアでのファイナンシャルプランニング
オーストラリアで経済的自立を得る方法
オーストラリアのちょっとしたお得な情報

以上は、現在、自分が興味を持っていること、勉強をしたいと思っていることです

そして、今までどおり、

日常の出来事
自分が思ったこと、感じたこと、

要は、今までの個人的な日常のつぶやきに加えて、オーストラリアで金持ちになれる方法を試行錯誤している女の日記を書いていければ、そして、今の主人と離婚でもしない限り一生のお付き合いになりそうなオーストラリアのことを皆さんに知ってもらえればと思ってます。

ということで、ブログのタイトルも、これまたベタなタイトル、

金持ち母さんへの道 in Sydney

に変更しました。相互リンクをさせて頂いている皆様、大変申し訳ありませんが、もし、よろしかったらタイトルを変更して頂けると大変、有難いです。

そして、いつも、この稚拙なブログを読んで頂いてる皆さん、コメントを頂いている皆さん、今後もよろしくお願いします。

やはり、皆さんの存在やコメントこそ、ブログを続ける励みです。

今後も、よろしくお願いします。



ブログランキングに参加しました。あなたのクリックに感謝です!! m(._.)m 

新年会

2006-01-07 | その他
お知らせです。

新年会を開催できたらいいなと思ってます。

参加者予定の皆様 (現時点)
Matsudoさん、ふうさん 

大勢の方が楽しいということで、もし、よろしかったら皆さんも参加されませんか?

日時 1月21,22の週末、もしくは、28,29日の週末。

趣旨:日頃の日常の鬱憤を晴らす!!というわけではありませんが、皆さんとお会いして、お食事をしながら、お酒を飲みながら、楽しい一時を過ごせたらと思ってます。現時点では、特に決めておりませんが、皆さんとどこかお食事に行くのもいいですし、何か持ち込んでどこかで集まるというのでもいいですね(よろしかったら、ほんと狭いアパートですが私の自宅を使って頂いても構いません)。パートナー同伴でも構いませんし、日本語で話せるということでお一人でも構いません。

特に何も決まっていませんが、また、皆さんとお会いできる機会ができたらと思いました。

参加されたい、日時はいつがいい、こんなことしたい等々ご希望がありましたら、是非、コメントもしくは、fooey@mail.goo.ne.jpまでご一報頂けたら、幸いです。

皆さんの参加お待ちしてます!!

相方の日本語

2005-11-04 | その他

相方との関係でよく聞かれるのが、

「彼、日本語、話すの?」、

うちだけに限らず、日本語を母国語としないパートナーがいるカップルって、ほとんどは、相手の言語で会話されてる方が多いのでは?と勝手に思っています。もちろん、日本語を流暢に話す方だっていると思うんですが、個人的な経験から言って、日本語を流暢に話す外国人の方よりも、英語(もちろん、英語に限らず、相手の言語)を流暢に話す日本人の方が多いような気がして。相手が日本人だから、ちょっと話せるのかなと思っても全然駄目な人の方が多いと思いますし、、、

そして、そのパートナーも二通りに分かれて、日本語を習得したいもしくは興味があるという方とそうでない方。日本に住んでいて、日本語を学べる絶好のチャンスなのに、断固として日本語を拒否されている方って、結構多いような気がします。まぁ、日本に住んでいても環境によっては日本語を全く話さなくたって生きてはいけるんですけどね。相方がまさにその典型的な例だったし。

幸いにも、相方は、後者じゃなくて、前者のタイプだったので、相方なりに日本にいるときから独学で日本語を勉強していました。私としては、やっぱ、自分の言語に興味を持ってくれるって、うれしいですし、やっぱ、相方の日本語の勉強を助けなくては!!と思っていたので、最初の頃は、彼の日本語の勉強にも「これ、日本語でなんていうの?」という質問には結構自分でも丁寧に答えていたんですけど、


テレビを見ていて、笑っていると、「何が面白いの?説明して!!」


「これとこれの意味は何が違うの?」 (助詞、例えば、私が、と私は、の「が」と「は」で意味がどう違うの?等々、普段何気なく使っている言葉ですが、私、恥ずかしいことにうまく説明ができません)

「この日本語何だった?」「漢字の書き方なんだけど、これ、どういう書き方?」

等々の質問攻めで、

こんなこと思ったらいけないと、わかっちゃいるけど、だんだん、そのうち、ウザクなってきました。突っ込んだ質問になると、答えられなくなってきますし、、、

でも、これって、私が普段日常で相方に聞いていること。ただ、日本語が英語に変わっているだけなんですけど、本当は、私が気長に彼の質問に答えて、日本語を教えた方が経済的にも助かるけど、でも、辛抱ができない&短気な私には、こういうこと向いてません。相方もそれがわかってきて、あまり聞いてこなくなりました。

ということで、私たちの場合、相方が日本語を習う際には、私ではなく、その道のプロにお願いしています。

そして、ただ今、相方に日本語を教えてくれる方を探しています。日本語教師の方、その卵の方、週1、2回、約1時間、Cityで相方に日本語を教えてやってくれませんか? もし、心当たりあると言う方、情報頂けるとめっちゃうれしいです。

相方、日本語の勉強頑張れ!!私は教えてあげられないけれど


突然の別れ

2005-08-26 | その他
私たちが飼っている猫Iggyが亡くなりました。

1ヶ月前に、Iggyを引き取ったシェルターから、彼女を引き取った際にある種の病気が流行っていたようで、彼女にもその病気の症状があったら連絡をして下さいという趣旨の電話が相方にあったそうです。病名はよくわかりませんが、ウィルスの一種でそれにかかってしまうと、激痛でもう助かる見込みはなく、安楽死させた方がいいということでした。そして、その症状とは、食欲がない、元気がない、下痢気味、お腹が膨らむ等々で、彼女は、Maggyほど元気に遊ぶこともなく、寝ていることが多かったのですが、病気のようにみえず、食事も食べていたので、きっと、それが彼女の性格だろうと思い、相方と大丈夫だろうと言っていました。

が、しかし、この数週間で、彼女のお腹だけが異様に大きくなったようで、念のためということで、そのシェルターに連絡をしたところ、翌日にそのシェルターから担当者がうちに来てIggyとMaggyを診察のために獣医に連れて行くということになっていました。相方と、きっと彼女は寝てばっかりいるから運動不足でただの太りすぎだろうと言っていました。

それが、ちょうど、ハワイに出発する日で、相方に、もしものことがあっても、絶対に私がハワイから戻るまでは、Iggyが死になんてことないようにねと言いましたが、本当にそんなことになるなんて、思ってもいなかったです。

そして、翌日、私がハワイに到着したころ、彼女を獣医に連れて行く車の中で様態が急変し、獣医の所に着いたときは、彼女はほとんど息をしていなかったそうです。獣医さんが30分以上、彼女に酸素を与え続けたそうですが、彼女自身で呼吸をすることはなかったそうです。

人も動物も、生きている全ての生物がいつかは死にます。でも、こんな風に彼女と分かれるなんて、夢にも思いませんでした。

玄関のドアを開けると、いつも眠そうにしながらも、向かいに来てくれた彼女
名前を呼ぶとどこからともなく来てくれた彼女
お昼寝のときも私の胸の上で一緒に寝た彼女
CPAの勉強でストレスを感じていた時も彼女を膝の上に乗せていると、とても癒してくれた彼女

こんな風に別れが訪れるのであれば、空港に行く前にもっと抱いとけば良かったと後悔してます。それに何よりも、もっと早く気づいてあげればよかったと後悔しています。いつも眠ていたのは、本当は病気で痛みを抱えていたかもしれないのに、猫なんて寝るのが仕事なんて思っていた自分を後悔しています。

そして、彼女の存在の意味は、何だったんだろうと思いました。地球上に生きている生物全てにそれぞれの生きている意味があると自分は思います。(極端に言えば、子孫を残すためかもしれませんが)捨てられて、シェルターに拾われて、そして私たちに引き取られて彼女。私たちの所にきて、2ヵ月半、そして、たった6ヶ月間で彼女の一生が終わりました。本当に彼女の生きてきた意味って、何だろう?、、、、

これを書いている今も涙が止まりません、、、

相方のメールには、少なくとも彼女は痛みから解放されたとありますが、私は、まだ彼女が亡くなったことが信じられません。

これは、彼女が亡くなる前日に撮った写真です。これが、最後の写真になるなんて、、、

29歳の誕生日

2005-08-09 | その他
今日で29歳になりました。

25歳以降、誕生日が毎年、来るのが早いような気がします。

素敵な30代を迎えるために、一日、一日を大切にしたいと思います。

とりあえず、目下の目標、CPAを終わらせることと、ちゃんとした職を見つけること

これを達成するために、がんばらなくちゃ!!


(相方が用意してくれたバースデーケーキ。律儀にこんな小さなケーキに29本のローソクを立ててくれました。こんなところだけ、律儀にならなくても、、、)

世界が変わる?  ロンドン同時多発テロ

2005-07-07 | その他
REG 1h  総勉強時間 49h  試験まであと48日   七夕 私のお願いは、もちろんUSCPA合格
AUD  2.5h  総勉強時間 14.5h 




バイトから帰ってきたら、相方がロンドンでテロがあったみたいだよ、と言ったので、慌ててテレビを見に行った。


BREAKING NEWS LONDON BLASTS

の文字が飛び込んできた。


爆発で2階部分が完全に吹き飛んでいる2階建のバス、顔や手に怪我をしている人、爆発のために煙を吸って鼻の辺りが黒くなりながらも、インタビューに答えている女性、間一髪で助かった人々のインタビュー等々が次から次へと流れてきた。数時間後には、ブレア首相の声明が出され、テロにはどんなことがあっても屈しないという趣旨が発表された。


先日、2012年のオリンピック開催地決定、G8の開催とロンドンはまさに格好のテロの場所だと思う。



ワールドトレードセンターのビルに飛行機が突っ込んでいく映像を思い出した。


9・11


あれから、アフガニスタンで戦争が始まり、イラクでも戦争が始まった。イラクでは、戦争終結宣言が出されているにもかかわらず、毎日のようにテロが起こり、無実な一般市民が亡くなっている。パレスチナでも日常茶飯事のようにテロや銃撃戦が行われている。

あれから、世界は変わったと思う。良い方向じゃなくて、悪い方向に、、、

イギリスもWar against terror の名の下に新たに戦争を始めて、世界が変わってしまうのだろうか???

20:40発 カンガルー便

2005-05-07 | その他
現在、19:38 

ただ今、成田空港のYahoo! Cafeで20:40発のカンガルー便を待っているところで、これを書いている。

この1週間、東京に来て、友人たちと会ったり、最後の買い物をしたりとなかなかブログの更新ができなかった。



あ~~~~~~~、あと1時間で日本を発つと思うと、ほんと、淋しい思いと不安でいっぱいになってしまう。



でも、皆さんのコメントのように、ダメだったら、また帰ってくればいい。
死にわけじゃないから、まだ、チャンスはある。


だから、悲しまず、ネガティブにならず、気楽にやっていこう。


明日の朝7時にシドニーにつき、私の新しい生活が始まる。

よぉーーーーし、気合入れて、やっていくぞ!!!!!  

男女の友情は成り立たないのか?

2005-05-01 | その他
(とても、長い文となってしまいました)


今日、実家に不審な電話がかかってきた。

実家なので「はい、○○寺です(実は、実家は田舎の小さな寺です)」と答えたところ、名乗りもせずに、「あなた、誰ですか?」と聞かれ、再度「○○寺です」と答えると沈黙、気味が悪いので切ってしまった。

おかしいと思いつつも、もしかしてと思った。実は、声になんとなく聞き覚えがあったからだ。

以前、私の携帯先に見知らぬ電話番号が表示されていたが、警戒心をあからさまに「もし、もし」と答えると、急に「あなた○○(元彼の名前)と付き合っているのですか?」と名乗らずに聞いてくる。見知らぬ人から名前も名乗らず、急にプライベートなことを聞いてくるので、私も腹が立ってしまい、「あなたこそだれ」と強い口調で聞き返してしまった。

よく聞くと、元彼の今の彼女で彼の携帯番号に私の番号があったので彼が留守のときに電話してきたということだった。そこで、私は今の相方のこと、そして元彼は友達であり、何も怪しいことはしていないと言うと今度は私と相方のことについてどんどんと質問をしてくる。

元彼から彼女のことを何度か聞いたことはあるが、私はお会いしたこともなく面識も全くないのに私のプライベートを根掘り葉掘り聞いてくるので、「あなたには関係がないことなので」と切り返すと、彼女側もだんだんヒステリックになって、最後には「○○(元彼)ともう絶対会わないで」と叫び始めたので、電話を切ってしまった。

その後、私の相方が日本に来たとき、一度パーティーをして、元彼とその彼女、そして私と今の相方と顔を合わしてこともあり、ちゃんとあの時はごめんなさいと誤っていたので、このことは一件落着と思っていた矢先のことだった。


先日、コンピューターのトラブルがあり、そのことについてITのエンジニアである元彼に電話を実家からして、色々と質問をしていたので、元彼の携帯の履歴に残っていたのだろう。

という経緯で、また、もしかしてと思ってしまった。(着信記録に残っている記録を確認すると、やはり、彼女の電話番号ということだった。)


私は、関係が終わった後でも、元彼たちといい友達として今でも連絡を取っている。これは今の相方も知っていることだ。もちろん、男女の関係も全くないし、2,3ヶ月に一度、食事をしたり、時々、メールで今の彼女とか仕事のこととかを相談したりしている。私はひとりっこなので、何ともいえないが、兄妹みたいな関係だ。

私の場合、別れたといえ、短い人生のうちに星の数ほどいる人たちから出会って特定の期間、付き合ったという人は少ないと思うので、できればその後もそういう人たちとの付き合いは、大事にしていきたいと思う。別れた時には、泣いたし色々あったけど、でも、それらを乗り越えて、今はほんといい友情ができてうれしい。だから、私は、男女間の友情を信じる。

でも、これは私だけの考えであって、元彼の彼女からしてみれば、私みたいな存在が面白くないということだろうと思う。

じゃぁ、逆に、私がこの彼女のように、今の相方が元彼女と連絡を取っていたらと私はどうするだろうか?

私ならまずその人とどんな関係かということを聞く。で、相方がちゃんと元彼女でいい友達だと説明したら、それ以上は詮索しない。そう言った相方を信じる。私は、付き合おうが、結婚しようが、相手の付き合い(特に女友達)に関して口出しをするべきではないと思っている。だから、元彼女と連絡を一切取ったらダメとか、他の女性と一切食事にいったらダメとかそういうことは言わない努力をする。相方は人間であって、私の私有物ではないし、彼の付き合いに口をだすことは自分のわがままだと思っている。それに今後彼の残りの一生、お話ができる女性が私一人などとなったら、面白みが全然ないし、彼の人間的成長だったそれで制限されてしまうと思う。そりゃぁ、心中は穏やかじゃないかもしれないが、逆に疑って、あーだこうだというのは、相方を信頼していないことにもなりかねない。私たちの間には、そういう信頼関係がちゃんとできていると思うし、そういう努力はしてきた。

なので、彼の携帯を勝手にチェックしてそこにみかけない着信履歴を見つけて電話して、「これから、絶対彼と会わないで」と叫んだ彼女の言動には、納得できないが、

が、

が、



しかし、これは私の持論であり、それを彼女に押し付ける権利はどこにもないし、彼女のとった行動にもある程度、理解できる。でも、元彼を信頼していたら、そんなに問題はないと思うが、、、でもな、

やはり、今の彼女からとって元の彼女はうざい存在だろう、私だって、私が原因で関係が悪化してしまうことは私が望んでいることではない。だからって、元彼と絶対連絡を取るなといわれても、、、できれば、友人として認めてもらいたいのだが、これも虫が良すぎる話だろうか。

男女の友情ってややこしい。

ちょっと真面目に熱く語る

2005-04-25 | その他
写真を整理していると、アフガンに行ったときの写真が出てきた。

アフガンに行ったのは、もちろん、旅行というわけではない。インターンシップ&卒論の取材に行った。私は、国連とかNGOに将来就職したくて、そのためにイギリスの院で戦後復興論(戦争で破壊された社会をどうやったらうまく復興していくか)というのを勉強し、その卒業条件としてインターンシップをすることが義務付けられていた。

私の卒論のテーマは、地雷の被害者、地雷の被害者がどうやったら、社会に復帰できるのかという感じのことを書くために、そのフィールドスタディとして、アフガンに行った。(世界で最も地雷に汚染されている国は、アフガニスタン、カンボディア、アンゴラ、モザンビーク、そのうちアフガニスタンの地雷撤去活動はうまく行っていると言われている)

私が、行ったのは、9.11の前でまだタリバンがいることの、2001,3月と4月だった。

あれから、4年が過ぎようとしている。

多分、アフガンの人々の現状はあまり変わっていないと思う。

まだ、あの過酷な状況で、人々は生活が強いられていると思う。アメリカが開戦に踏み切った際には、よくテレビで放送されていた。それも、アメリカがイラクで戦争し始めて以来、テレビでアフガンのことを聞くのは減った。(今では、イラクのことさえ、あまり耳にしなくなってきたけど)

あれから、アフガニスタンはどうなっただろう?

アフガンの人々は、多分、相変わらず過酷な状況の生活を強いられているのだろうかと思うと、心が痛んだ。

だからって、自分がこれらの人々に何ができるんだろうと言えば、実は何もできない。

現地での難民キャンプを一緒に視察させて頂く時に、無数に広がるビニール袋の粗末なテントと何か援助をしてくれるのではないかと期待して集まってくる大勢の人々を目の前にして、自分の無力さが痛いほど身にしみた。

自分は、あの人たちに暖かな住居と十分な食料、そして仕事や補償を与えることなんてできない、でも、

安っぽい、ヒューマ二ズムかもしれないけど、自分ができることは、その現状を少しでも多くの人に伝えることだと思う。

自分たちは何もできないし、豊かな生活環境に恵まれている。日本にいれば、アフガンのひとのことだって、イラクのことだって、そんな全然関係ない。そんなの知らなくたって、生きていけるし、なんら生活に支障はきたさない。

でも、現実には、世界には、そうでない人たちがたくさんいて、そういう人たちの存在をしっかり心に留めておく。どんなにそれが残酷で酷くても、目を背きたくなるようなことでも、ちゃんとそれを真正面からしっかり受け止める。それが、私のように恵まれている先進国に住んでいる人の義務のだと思う。

なので、いつか、わからないけどHPを立ち上げて、アフガンの実情を知ってもらいたい。絶対、有言不実行に終わらないようにしなくちゃ

注)写真は、私が訪れたアフガニスタンとパキスタンの国境近くの難民キャンプで撮った写真

自分の顔に責任を持つ

2005-04-24 | その他
この数日、写真の整理をしている。最近購入したHPのスキャナーを使って、赤ん坊のころからの写真を少しづつ、スキャンしている。

赤ん坊の頃 ほんと男の子にしか見えない
幼少の頃 天真爛漫で純粋だった
小学の頃 表情が暗い、この頃、家庭事情が色々あって、しんどかった時期
中学の頃 顔が暗い、醜い。何もできない、自分が一番嫌いだった時期。
高校の頃 また、これも暗い。垢抜けない。自信のなさが一目瞭然。
大学の頃 暗い顔から、だんだん、表情が明るくなっているような気がする。一人暮らしを始めてから、活発化、自由化。海外にも出かけるようになる。
留学の頃 だんだん肝が据わるようになっている。表情も良くなっている。

今、振り返ると、やっぱ、小学の高学年頃から、ちょっと家庭の事情もいろいろあって、だんだん暗くなっていったと思う。中高時代とか面白くなかったし、自分でも生き生きしてきたのは、大学時代からだと思う。それから、留学とかいろんな所に行った経験が今の自分の基礎をなしているように思える。

写真は、嘘をつかない。本人は、そんなつもりはなくても、そのときの心理状況や気持ちを表していると思う。

いつか、自分の顔に責任を持てと聞いた。

多分、人の顔って、親から引き継ぐものも多いけど、その人の性格とか、何かをしてきたかにもよっても人の表情って変わっていくと思う。やっぱ、いろんなことをやって、人生を楽しんでいる人は、その顔も美しい。逆に、毎日、愚痴とか、退屈とか、嫌な気持ちを抱えている人の顔は、両親から受け継いだ顔がどんなに美しくても、やっぱ、どこか何か違うなと思う。

自分は、もっと色々なことに挑戦して、色んな人と出会って、人間的にもっと成長したいし、そういう意味で美しい顔になれたらと思う。

そうなるためには、努力が必要だな。


現実を直視するということ

2005-04-08 | その他
彼と広島の原爆ドーム、平和資料館にいく。

平和資料館には、原爆の被害を受けた直後の人たちをモデルとした人形が展示されている。原爆の被害を受けたため、火傷で皮膚がただれ落ち、髪もめちゃくちゃになり、目もうつろで、助けを求める親子の像で、それがとてもリアルで、小学生時代に始めってここを来たときほんとにこれが怖くて、怖くて、たまらなくて、実はあまり行きたくない所だ。

他にも原爆によって、全身に火傷を負った男性に写真や、変形したつめ、火傷のため、ただれ落ちた指まで展示している。本当に目を背けたくなる展示品もあり、平和資料館に行くのは、私にとってほんとに気が滅入ることだった。

でも、約50年前に起こったことは事実であって、一瞬にして何十万という命や広島の中心地が吹っ飛んでしまったことも、事実である。目を背きたくなることをもあるが、事実は事実であり、そこから目を背けてしまうことは、ここでなくなった人たちに対して本当に失礼なことだと思う。

人は(自分も含めて)、現実がつらすぎるとそこから何とか逃げようとする。時には、逃げることが正しい選択肢になるかもしれないので、逃げること事態が悪いとは思わない。でも、どんなにつらくても現実を直視し、逃げずに、忘れてはいけないことが世の中にはあると思う。広島の原爆は、その中のひとつだと思った。

資料館を出ると、平和記念公園沿いの川には桜が満開に咲いていて、花見をする人でいっぱいだった。とても、50年前ここが原爆を投下され、廃墟となったなんて本と信じられないほどのんびりとおだやかな午後だった。

10年後

2005-04-07 | その他
父と、彼とで宮島を訪れる。昨年の台風でだいぶやられたとニュースで聞いていたので心配だったが、台風で流された&壊れたところは修復された。宮島に来るのも数年ぶりだが、やっぱ、ほんときれいだ。

夜は、中学、高校の同級生と結婚の報告ついでに食事した。お花、ケーキやプレゼント、カード等色々頂いて、久しぶりに会えて話せるだけでうれしかったのに、こんなに色々と気を使ってもらって、本当うれしい&恐縮だった。

高校を卒業してからなので今年で10年が過ぎる。

Eちゃんは保母さんを、Fちゃんは医療事務を、Nちゃんは3人のお母さん、Tさんはアクセサリー関係の仕事を地元でやっている。他の共通の友人で○○君と○○さんが結婚したんだよと、○○君/さんは今何をやっているんだよとお互いの近況を報告する。

へぇ~とか、そうなんだとうなずきながらも、10年前のころは、想像していなかったそれぞれの道に皆が進んでいる。


でも、皆、10年経っても基本的なところは変わっていないので安心した。