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日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

会社の寮でマージャン

2021年02月19日 | 日記
毎月給料日になると、寮で月に一度だけのマージャンがあった。
当時の給料は現金支給だったので、寮には住んでいない先輩達が自分のフトコロを増やして、帰りに一杯やるためのものだったのだ。
当然全自動マージャン卓などではなく、手積みでやっていたので、私はただでさえ少ない自分の給料を減らしたくないので「積み込み」を覚えるようになった。
それは、手前の「自分が積む山」に千鳥状に特定のパイを仕込み、その順番が来ることを前提にして、手の内をあらかじめ調整していくものだ。うまくいけば高得点が期待できる。
そんな日々が続いていた、ある日、寮に住む先輩が珍しく友人を連れてきて、マージャンをしようという。
私は、いつものクセで積み込みをしてしまった。そうしたら、その人は、私の怪しい手つきから積み込みを見破り、最初の1回目のゲームだけで帰ってしまった。
あれは、今にして思えば、私に不正をやめるように、寮の先輩が仕組んでくれたのだと思う。


人には親切にしたい

2021年02月19日 | 日記
この冬は、特に積雪や路面凍結で困る日が多かった。
見た目がなんともないように見えても、実は凍結路面だったりして、不意を突かれることがある。
以前クルマで通勤していた頃、冬季、脱輪している車を見つけると、積極的に脱出するのを手伝っていた。
そんな事が2~3度あったある日、不覚にも自分がツルツルの路面で脱輪してしまった。当然冬用タイヤで万全のつもりだったが、自分の運転に過信があったのだ。
今のようなスマホや携帯電話などあるはずない。そして周囲は田んぼばかりで、公衆電話も見当たらず、他のクルマも全く通らない。
そんなふうに困り果てていると、そこに1台のクルマがどこからともなく現れ、なんと1台の中から4~5人の男性が降りてきて、あっという間に私のクルマを持ち上げ、道路に戻してくれた。お礼を言う間もなく、そのクルマは、瞬間に立ち去って行った。今考えても不思議でならない。
やはり、日頃から他人に親切にしていると、やがてそれが自分に返ってくるということを実感した。

祭りの記憶(2)

2021年02月18日 | 日記
町内(市町村の「町」)の祭りは、盛大を極め、神社前のメインストリートは、2~300メートルくらいの長さで祭り屋台が並んだ。
その中でも記憶に残っているのが、ホクロがとれるという軟膏を売る店だ。
確か、蛇をもてあそんで客の注意を集め、人が集まったところで、軟膏の宣伝を始める。そのとき観客の一人が呼ばれ、その女性のホクロを見事にとって見せる。
私は、その軟膏を買おうかどうしようか迷って、そのショーが終わってからも、人が誰もいなくなっても、ぼーっと見ていた。
そしたら、さっきのホクロが取れたおばさんがやってきて、お礼のお金を受け取っているではないか。そういうことかと思った。

子供の頃の祭りの日の記憶

2021年02月17日 | 日記
年に一度の町内の祭りの日。近所の八幡神社では、子供心には広い境内だったが、いま改めて見ると狭い境内なのだが、それなりに芝居小屋のようなものが設置され、ワクワクしたものだ。
その小屋は見せ物小屋で、当時「ニワトリを丸呑みする少女」というのがあった。
私は、どうしても見たくなり父にせがんだ。
渋々父は私を連れて入場券を買い、中に入るのだが、そこにはニワトリを片手にもって、ただじっとしている少女がいる。
そして、待てど暮らせど、いっこうにショーは始まらない。
狭い通路に並ぶ客たちは、後ろから後から入る客に押されて、何も見ずに出ていることになる。それを不服に騒ぎになる。
そう思っていると、一瞬のうちに少女の手からニワトリは消え、いつの間にか少女の口の周りが血だらけになる。
そして、この「インチキなショー」は終わりとなった。

子供の頃の思い出

2021年02月16日 | 日記
今思うと、とんでもなく我が家は貧乏で、なおかつ母はアホだったと思う。
なぜなら、夕食時に、幼い私に母が買い物を手伝わせるのだが、持たせるお金は決まっていて、それでインスタントラーメンを買って来いというのだ。
近くの雑貨屋に、いつものように向かうのだが、いつものラーメンはたまに売り切れていることがあり、持っているお金では、これしか買えないというのが決まっている。
吟味に吟味を重ねて選んだのが、家に帰ってから後で気付くと、なんと「焼きそば」だったりした。でもアホな母親は、息子はラーメンを買いに行ったと思い込んでいるので、ラーメンの作り方で、帰って来た父に出した。(袋を見ろ!と言いたいが、中卒の母は読めなかったのか?)それを食べてから父は怒り出した。これは焼きそばだ。・・・・なんて言うのが、私が小学生だった頃、日常茶飯事だった。
私も母もアホだ。でも今は亡き父よ。あなたの稼ぎが少ないから、私たちはそうならざるを得なかったのだ。