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Fly to the BLUE

2006.7.13 更新終了

会津若松の歴史

2005-12-25 | 
そういえば、今日の宿を予約していなかった。
塩川にある会津の里ユースホステルに電話。
「今日誰も宿泊者いないんで大丈夫ですけど」
ですけど!
「雪深いので、普通の靴では無理ですけど、よろしいですか?」
大丈夫です!
と予約できたものの、ちょっと不安になる。
僕のブーツは普通の靴じゃないよな…。
僕しか宿泊者がいないのも気になるところ。

鶴ヶ城に到着。
鶴ヶ城は決して雪だるまにはなっていなかった。
城の勇ましさに、雪が乗っかって、風情があった。
いとをかしって感じだ。

戊辰戦争では一ヵ月の籠城戦の舞台となったのが、この鶴ヶ城だ。
この城の中に五千人が一ヵ月立て籠もって戦ったというのだからすごい。

領内には、千利久の息子をかくまうための茶室「麟閣」や雪をかぶった桜の木が植わっている庭園などがあり、城の美しさとあいまっている。

時間を使いすぎてしまった。
飯盛山も歩きたかったが、時間が足りないようだ。
バスを使えば飯盛山の前を通りつつ、若松駅に行ける。
予定を変更して、電車の時間を繰り上げることにした。

観光用のバス「ハイカラさん」は会津若松の見所を一周する。
1回200円と割安。
しかも、少し郊外に出ると、雪が完全に除雪されてないので、バスは大揺れ。
ちょっと横滑りしたりして、遊園地のしょぼいアトラクションより、よっぽどスリルがある。

バスは飯盛山の下を通った。
飯盛山は白虎隊の悲劇でよく知られる。
よく知られるって言ってるけど、僕自身昨日初めて知った。
歴史全然知らんから。
白虎隊は16、7の少年の部隊。
戊辰戦争で飯盛山に逃れた白虎隊は、城の方が燃えているのを見た。
それで、城が墜ちてしまったと錯覚して、皆自刃したという。
奇跡的に一人だけ蘇生され、証言によってその事実が明らかになったんだって。

会津若松は何とも、歴史のある町であった。

16:36 会津若松発 磐越西線 新津行き
17:01 喜多方着

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