よく「トイレ掃除を素手で毎日すると運気が上がる」とか「水回りを毎日きれいに磨いたら運気が上がる」とか「毎日鏡とガラス窓をきれいに拭いたら運気が上がる」とかって、言いますよね?
これだけじゃなく、何処かをきれいにすると運気が上がる、という話はよく聞きます。
でも、私はその考え方に対して、少し違う意識を持っています。
本日は、そんな「運気を上げる」ためにすることについての、私の受け止め方などを綴ります。
トイレを素手で洗うのは絶対反対派
まあ、運気が上がると信じている方は、実行していただいても構いませんが、私自身は素手でのトイレ掃除(主に便器の中のことです)は、推奨できないです。
「だから、マシュマロは運気が上がらないんだよ(笑)」
と、言われてもいいです(笑)
素手で便器の中を掃除するのは、本当にやめたほうがいいと思っています。
特に、他の箇所も一生懸命掃除しているのであれば、なおのことやめておいた方がいいと思います。
やめておいた方がいいと思う理由は、便器の中はこちらが思うよりも雑菌の宝庫だからです。
菌はどこにでもいるので、特に便器だけが汚いわけじゃないだろう、という意見もあるかもしれませんが、便器の中の雑菌は、家の中の他の場所とは違う種類の菌があるので、私の中では警戒区域です。
その警戒区域に、素手で掃除に臨むなんて、そんな勇気はサラサラありません(苦笑)
素手で臨めるのは、せいぜい便器の縁までですね。
水を溜めているところは、ゴム手袋なしでは手を入れられません。
毎日きれいにしていれば、雑菌も増殖しないから大丈夫だという人も見かけますが、毎日掃除する以上に、人って一日に何回もトイレを使いますからね。
その都度、便器の中を素手で掃除している人は、私は今まで聞いたことがないので、やはり便器の中は特別な菌がたくさんついていると思います。
他の箇所もきちんと掃除している人は、やめておいた方がいいと思う理由は、掃除をきちんとする人って手荒れが酷い人が多いから。
手荒れが酷い人は、その荒れたりかぶれたりした皮膚の表面に菌が入り込んで、ますますかぶれが広がったり、時には別のアレルギーを引き起こす場合もあるそうです。
そんな人が、運気を上げたいからと言って素手で便器の中を洗うのは、返って危険です。
運気を上げる前に、まずは自分自身の健康を優先しなければ、運もなにもないと思っています。
生きててなんぼだと思っている私は、もしも自分の身体のどこかによろしくない異変が起きたら、まずそれを解決することが先だと思うので、便器の中を洗うときはゴム手袋をすべきだと思っています。
それでも、運気を上げるにはトイレの中を素手て掃除することがいい、とおっしゃる方はとても多い気がします。
要するに毎日掃除しておこうという提案ですよね?
この、〇〇をきれいにしたら、掃除をしたら、それで運気が上がる、という本質の部分は、いつでもきれいな状態を保っておいて、整理整頓をしておけば、いざ何か不測の事態が起きたときに、素早く対応できますよ、ということだと思います。
例えば、机の上がぐちゃぐちゃの人と、きちんと整理整頓している方に、同じ業務内容で同じ仕事量で、同じ成果を求められたとします。
2人の業務を捌く器量が同等の場合は、おそらく机が片付いている人の方が効率よく早く仕事が終わるはずです。
何故なら、もし業務中にトラブルがあり、緊急に何かを探さなければならない事態になったら、どう考えても整理整頓されている、片付いた机の方が素早く探し出せるはずだからです。
たまに、トイレを素手で掃除したら再就職が決まった、とか、素敵な異性に出会って結婚した、とか、折り合いの悪かった同僚や上司と社内人事で別の部署になった、とか、トイレ掃除したことによる効果だと思っている人がいますが、私にとっては、それはあなたがコツコツ努力した結果が実を結んだだけではないかな?と思ってしまうわけです(笑)
だって、もしそういったことが、トイレ掃除のおかげだと思ったら、逆にトイレ掃除をできない日が続いたら、まだしてもいない失敗や、起こってもいない嫌な出来事に遭遇してしまうという思いにビクビクしてしまい、返って失敗や嫌な出来事を引き寄せてしまうような気がします。
掃除は“例え”だと思います
運気が上がる方法が掃除だと言われる方が多いのは、おそらく掃除そのものというよりは、掃除をすべての事柄に置き換えて考えろということではないでしょうか。
毎日同じように、隅から隅まできちんと掃除をすることは、何かに取り組む際の心構えや行動の“例え”のように思えます。
同じことを毎日続けていれば、いずれその積み重ねが形になるということを、掃除を通して教えてくれているのかな、と感じます。
宝くじは?公営ギャンブルは?と思う人もいるかもしれませんが、どちらも誰かが当たるシステムになっていますし、宝くじの中でもロトやナンバーズは、いろいろなデータを集めていたら、当たる率は上がりますよね。
公共ギャンブルも、人が動物や乗り物を操った結果、レースで何位になるか、と当てるゲームですから、人と動物、人と乗り物のデータを詳しく調べておけば、当たる確率はかなり上がるはずです。
また、普通の宝くじでも、買わない人には当たらないわけですから、買う努力をした人の中から誰かしらが当選する、と思えば、自分が当たっても不思議なことではありませんよね?
ただ、倍率が大変な数字になってはいますけれどね(苦笑)
そうやって考えていくと、運気を上げるって、結局上がった後に「あれが良かったんだ」と思える「何か」があった方が、自分の中で納得しやすいと言うだけなのかもしれません。
私は、運気が上がるということ=努力と行動が結果に繋がったこと、だと思っています。
もし、その関連性がなさそうに見えても、実は深いところで繋がっていることは、結構あることです。
運といえば
運気が上がる方法に関しては、少し斜めから見ている私ですが、運があったから起きたのではないか?と言われそうなことがあります。
それは、懸賞や景品の当選です。
実は、一時期とんでもなく何でも当たっている時期がありました。
それは、前厄から後厄までの3年間。
通常は、厄年はいろいろと気を付けないといけない、と言われている期間ですが、私はこの時期になぜか懸賞やらネットでのプレゼントに結構片っ端から応募していて、成果は5割以上はあったような気がします。
しかし、この時期、実はなんとなく自分の中で懸賞ブームが起きていて、懸賞応募が楽しかったのですね。
そうなると、当選確率の高低に関わらず応募してしまうので、実は当たる確率が上がっていたのです。
途中から、どうしたら懸賞に当たるかを真剣に考えていた時期もあるので、景品の知名度や人気度を調べて、応募数が少なさそうな懸賞を選ぶようになっていました(笑)
何が言いたいかというと、私が懸賞に当たりやすくなっていたのは、数を熟して懸賞内容を調べる努力をしたからであって、運気が上がったわけではないし、ましてや厄年に悪いことが起きるという先人の教えなどは、全く持って私には影響がなかったということ。
「運」というものは、結局は自分が納得できる材料が少ないか、小さいから、大きな力によって何かが実ったとか、成果が上がったといったことにしておきたいだけなのだと思います。
ちなみに、当たったモノは今となっては全て処分されてしまい、1つも残っていません(笑)
最終的に、不要品を無駄に増やしてしまったことになってしまったので、長い年月をかけて、懸賞が当たったことと、運がいいこととは関係がなかった、と理解することになりました(苦笑)
掃除していない人にもいいことが起こる
掃除をしたら、いいことがあった、という人は、掃除をするモチベーションも上がるので、なんだか一石二鳥ですが、もともと、呼吸をするように掃除を完璧にこなすような人は、自分の運気が上がっている(もしくは上がったまま下がらない)などと考えながら、掃除をしていないと思うのです。
また掃除が苦手で、部屋が散らかりっぱなしだという人の運が特別悪いかというと、案外そうでもないと思います。
汚い部屋に住んでいても、暮らしを楽しんでいる方はいますからね。
他者から見たら、不幸に見えたり貧困に見えたりするのかもしれませんが、本人が幸せだと思えているのであれば、それが「運気」のMAXと考えてもいいのではないでしょうか?
吉本興行の芸人で、Ms.オクレさんという方がいますが、彼はお金も要らないし、贅沢な暮らしもしたくないそうで、小さな部屋で質素に地味に暮らすのが幸せだと言っています。
お金をたくさん持っていないので、常に誰かにごちそうして貰ったりするそうですが、周囲の人も「オクレさんだから、しょうがない」と思っているらしいです。
もしも、私の周りにそんな人がいたら、私はごちそうしてあげるだろうか、と考えてしまいますが、オクレさんはごちそうしてくれる人たちに囲まれているし、何ならそうなるように、オクレさんが人生そのものをコントロールしてきたのだと思うので、彼の人生設計は、ほぼ成功していると思います(笑)
普通、成功者とか勝ち組って、一代で財を成したり、何かの才能やビジネスで頂点に立ったりした人のことを言いますが、理想の貧乏生活を過ごしている人も、自由に思い通りに生きるという点では、成功者だし勝ち組なのでしょうね。
結局「運気」は、掃除しても上がらないけれど、掃除をすることを成功したいことや成果を出したいことの努力に置き換えて考えろ、ってことなのですよ、多分。
「運気」を今回の内容にしたのは、掃除と運気には関連があるという記事や動画に出くわすことが増えたからです。
こういったスピリチュアルに関係する行動や行為は、定期的に人の目に触れますよね。
きっと、成果が得られず成功者にもなかなか成れることができない人が、定期的にWEB検索をしているのでしょうね。
でもね、運を上げる方法を考える前に、なりたい自分がいて、心地よくて、暮らしやすくて、仕事も家事も遊びも、楽しくできる環境を真剣に考えた方が、きっと早くに幸せになれますよ。
少なくとも、私個人はそう思います。
これだけじゃなく、何処かをきれいにすると運気が上がる、という話はよく聞きます。
でも、私はその考え方に対して、少し違う意識を持っています。
本日は、そんな「運気を上げる」ためにすることについての、私の受け止め方などを綴ります。
トイレを素手で洗うのは絶対反対派
まあ、運気が上がると信じている方は、実行していただいても構いませんが、私自身は素手でのトイレ掃除(主に便器の中のことです)は、推奨できないです。
「だから、マシュマロは運気が上がらないんだよ(笑)」
と、言われてもいいです(笑)
素手で便器の中を掃除するのは、本当にやめたほうがいいと思っています。
特に、他の箇所も一生懸命掃除しているのであれば、なおのことやめておいた方がいいと思います。
やめておいた方がいいと思う理由は、便器の中はこちらが思うよりも雑菌の宝庫だからです。
菌はどこにでもいるので、特に便器だけが汚いわけじゃないだろう、という意見もあるかもしれませんが、便器の中の雑菌は、家の中の他の場所とは違う種類の菌があるので、私の中では警戒区域です。
その警戒区域に、素手で掃除に臨むなんて、そんな勇気はサラサラありません(苦笑)
素手で臨めるのは、せいぜい便器の縁までですね。
水を溜めているところは、ゴム手袋なしでは手を入れられません。
毎日きれいにしていれば、雑菌も増殖しないから大丈夫だという人も見かけますが、毎日掃除する以上に、人って一日に何回もトイレを使いますからね。
その都度、便器の中を素手で掃除している人は、私は今まで聞いたことがないので、やはり便器の中は特別な菌がたくさんついていると思います。
他の箇所もきちんと掃除している人は、やめておいた方がいいと思う理由は、掃除をきちんとする人って手荒れが酷い人が多いから。
手荒れが酷い人は、その荒れたりかぶれたりした皮膚の表面に菌が入り込んで、ますますかぶれが広がったり、時には別のアレルギーを引き起こす場合もあるそうです。
そんな人が、運気を上げたいからと言って素手で便器の中を洗うのは、返って危険です。
運気を上げる前に、まずは自分自身の健康を優先しなければ、運もなにもないと思っています。
生きててなんぼだと思っている私は、もしも自分の身体のどこかによろしくない異変が起きたら、まずそれを解決することが先だと思うので、便器の中を洗うときはゴム手袋をすべきだと思っています。
それでも、運気を上げるにはトイレの中を素手て掃除することがいい、とおっしゃる方はとても多い気がします。
要するに毎日掃除しておこうという提案ですよね?
この、〇〇をきれいにしたら、掃除をしたら、それで運気が上がる、という本質の部分は、いつでもきれいな状態を保っておいて、整理整頓をしておけば、いざ何か不測の事態が起きたときに、素早く対応できますよ、ということだと思います。
例えば、机の上がぐちゃぐちゃの人と、きちんと整理整頓している方に、同じ業務内容で同じ仕事量で、同じ成果を求められたとします。
2人の業務を捌く器量が同等の場合は、おそらく机が片付いている人の方が効率よく早く仕事が終わるはずです。
何故なら、もし業務中にトラブルがあり、緊急に何かを探さなければならない事態になったら、どう考えても整理整頓されている、片付いた机の方が素早く探し出せるはずだからです。
たまに、トイレを素手で掃除したら再就職が決まった、とか、素敵な異性に出会って結婚した、とか、折り合いの悪かった同僚や上司と社内人事で別の部署になった、とか、トイレ掃除したことによる効果だと思っている人がいますが、私にとっては、それはあなたがコツコツ努力した結果が実を結んだだけではないかな?と思ってしまうわけです(笑)
だって、もしそういったことが、トイレ掃除のおかげだと思ったら、逆にトイレ掃除をできない日が続いたら、まだしてもいない失敗や、起こってもいない嫌な出来事に遭遇してしまうという思いにビクビクしてしまい、返って失敗や嫌な出来事を引き寄せてしまうような気がします。
掃除は“例え”だと思います
運気が上がる方法が掃除だと言われる方が多いのは、おそらく掃除そのものというよりは、掃除をすべての事柄に置き換えて考えろということではないでしょうか。
毎日同じように、隅から隅まできちんと掃除をすることは、何かに取り組む際の心構えや行動の“例え”のように思えます。
同じことを毎日続けていれば、いずれその積み重ねが形になるということを、掃除を通して教えてくれているのかな、と感じます。
宝くじは?公営ギャンブルは?と思う人もいるかもしれませんが、どちらも誰かが当たるシステムになっていますし、宝くじの中でもロトやナンバーズは、いろいろなデータを集めていたら、当たる率は上がりますよね。
公共ギャンブルも、人が動物や乗り物を操った結果、レースで何位になるか、と当てるゲームですから、人と動物、人と乗り物のデータを詳しく調べておけば、当たる確率はかなり上がるはずです。
また、普通の宝くじでも、買わない人には当たらないわけですから、買う努力をした人の中から誰かしらが当選する、と思えば、自分が当たっても不思議なことではありませんよね?
ただ、倍率が大変な数字になってはいますけれどね(苦笑)
そうやって考えていくと、運気を上げるって、結局上がった後に「あれが良かったんだ」と思える「何か」があった方が、自分の中で納得しやすいと言うだけなのかもしれません。
私は、運気が上がるということ=努力と行動が結果に繋がったこと、だと思っています。
もし、その関連性がなさそうに見えても、実は深いところで繋がっていることは、結構あることです。
運といえば
運気が上がる方法に関しては、少し斜めから見ている私ですが、運があったから起きたのではないか?と言われそうなことがあります。
それは、懸賞や景品の当選です。
実は、一時期とんでもなく何でも当たっている時期がありました。
それは、前厄から後厄までの3年間。
通常は、厄年はいろいろと気を付けないといけない、と言われている期間ですが、私はこの時期になぜか懸賞やらネットでのプレゼントに結構片っ端から応募していて、成果は5割以上はあったような気がします。
しかし、この時期、実はなんとなく自分の中で懸賞ブームが起きていて、懸賞応募が楽しかったのですね。
そうなると、当選確率の高低に関わらず応募してしまうので、実は当たる確率が上がっていたのです。
途中から、どうしたら懸賞に当たるかを真剣に考えていた時期もあるので、景品の知名度や人気度を調べて、応募数が少なさそうな懸賞を選ぶようになっていました(笑)
何が言いたいかというと、私が懸賞に当たりやすくなっていたのは、数を熟して懸賞内容を調べる努力をしたからであって、運気が上がったわけではないし、ましてや厄年に悪いことが起きるという先人の教えなどは、全く持って私には影響がなかったということ。
「運」というものは、結局は自分が納得できる材料が少ないか、小さいから、大きな力によって何かが実ったとか、成果が上がったといったことにしておきたいだけなのだと思います。
ちなみに、当たったモノは今となっては全て処分されてしまい、1つも残っていません(笑)
最終的に、不要品を無駄に増やしてしまったことになってしまったので、長い年月をかけて、懸賞が当たったことと、運がいいこととは関係がなかった、と理解することになりました(苦笑)
掃除していない人にもいいことが起こる
掃除をしたら、いいことがあった、という人は、掃除をするモチベーションも上がるので、なんだか一石二鳥ですが、もともと、呼吸をするように掃除を完璧にこなすような人は、自分の運気が上がっている(もしくは上がったまま下がらない)などと考えながら、掃除をしていないと思うのです。
また掃除が苦手で、部屋が散らかりっぱなしだという人の運が特別悪いかというと、案外そうでもないと思います。
汚い部屋に住んでいても、暮らしを楽しんでいる方はいますからね。
他者から見たら、不幸に見えたり貧困に見えたりするのかもしれませんが、本人が幸せだと思えているのであれば、それが「運気」のMAXと考えてもいいのではないでしょうか?
吉本興行の芸人で、Ms.オクレさんという方がいますが、彼はお金も要らないし、贅沢な暮らしもしたくないそうで、小さな部屋で質素に地味に暮らすのが幸せだと言っています。
お金をたくさん持っていないので、常に誰かにごちそうして貰ったりするそうですが、周囲の人も「オクレさんだから、しょうがない」と思っているらしいです。
もしも、私の周りにそんな人がいたら、私はごちそうしてあげるだろうか、と考えてしまいますが、オクレさんはごちそうしてくれる人たちに囲まれているし、何ならそうなるように、オクレさんが人生そのものをコントロールしてきたのだと思うので、彼の人生設計は、ほぼ成功していると思います(笑)
普通、成功者とか勝ち組って、一代で財を成したり、何かの才能やビジネスで頂点に立ったりした人のことを言いますが、理想の貧乏生活を過ごしている人も、自由に思い通りに生きるという点では、成功者だし勝ち組なのでしょうね。
結局「運気」は、掃除しても上がらないけれど、掃除をすることを成功したいことや成果を出したいことの努力に置き換えて考えろ、ってことなのですよ、多分。
「運気」を今回の内容にしたのは、掃除と運気には関連があるという記事や動画に出くわすことが増えたからです。
こういったスピリチュアルに関係する行動や行為は、定期的に人の目に触れますよね。
きっと、成果が得られず成功者にもなかなか成れることができない人が、定期的にWEB検索をしているのでしょうね。
でもね、運を上げる方法を考える前に、なりたい自分がいて、心地よくて、暮らしやすくて、仕事も家事も遊びも、楽しくできる環境を真剣に考えた方が、きっと早くに幸せになれますよ。
少なくとも、私個人はそう思います。