今、映画「豚のいた教室」を盛んに宣伝している。
これって、もしかして5、6年前に読んだ「豚のPちゃんと32人の小学生」かな?と
調べてみると、そうだった。
You Tubeに 数年前、たけしの日本教育白書というテレビで取り扱ったビデオがあるので、見てみた。
豚のPちゃんPart 1
豚のPちゃんPart 2
豚のPちゃんPart 3
考えさせられる。
昔、我が家にも鶏が2羽いた。
毎朝、卵を取りに小屋に入り、
えさをやったり、掃除したりしていたのは、末っ子の私の仕事だった。
ただ、鶏はペットではなく、家畜だったから名前がなかった。
ペットは犬だった。
私が、小学2年生の時、家を建て替えるのと、卵を産まなくなったのを
理由に、鶏を処分することになった。
母親が、養鶏場で処分してもらった鶏2羽を持って帰って、
よく育ったいい肉になった。と言っていた。
私は、母親を悪魔だと思ったのだった。
そのころから、私は、全く肉を食べない子供になった。
その鶏の件だけでなく、当時のテレビ番組で、アフリカなどの現地人が
牛や豚などの解体をし、食べていたのを見たことが受け付けないようになった原因だ。
学校の給食に入っている肉は、残されてでも、食べなかった。
口に入れても吐き出した。
肉が食べれるようになったのは、18過ぎになってから、ようやくだ。
あの時の小学生は、今でも肉が食べれるんだろうか?
東南アジアで住んでいた時、市場では、生きたヤギや羊、鶏がいて、
その場で、殺して、売っていた。
冷蔵庫がないので、生きたまま市場に来るのが、
一番新鮮なのだ。
頭が置いてある市場。日本にはないものだ。