明日への道 40代障がい職歴なしニートの夢

人生100年時代、残りの人生を楽園とするか?地獄とするか?
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人生有意義に毎日奮闘中!!

意欲は乏しい。でもなんだか毎日楽しいような。

2024年10月23日 | 大切にしている事

なんだかんだ意欲は乏しい。俗世間の人たちと比べるとだ。

食事もカップ麵やお弁当屋さんのおにぎりをごちそうに思い十分である。美味しい。こんな様子なのでメニューにやる気ないように見えかもしれない。

ここ数日の躁も落ち着いてきた。また布団の上か近所のスーパーへ行くだけになった。時としてブックオフへ行く。

欲しいものは実際としてない。本当にお金を握りしめて購入しようとするまでのものはない。ネットで見ていていいなとは思うはそこまで突っ走らない。

なんだかつまらない様な・・・でも、少し近所を歩くだけでスッキリとして楽しく感じる。今日何かを行ったという気分になるのだ。

今あるもので生きる、そんな風になれてきたのかなと。

こうなりたいといった事を思うというのは、現在に不満があるということ。今までずっと将来こうなりたいそんな事ばかりだった。よっていつもイライラしていた。自分にも他人にも厳しくて心が固くなっていた。そして転落していった・・・

10年前に閉鎖病棟で過ごしていた状態からみると今は本当に見違えるようだ。これでも向上して前に進んだのだと。

就労はできていないが、以前の様に不満やイライラとしていない。今あるもの持っているもので生きようとしている。

なんだか幸せを少し手に入れたという事なのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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映画アバターを観た。障害の自分と仮想世界の自分。ネット上での自分の可能性。人生の主体とは

2024年10月09日 | 大切にしている事

今になって映画「アバター」を観た。ディスクをレンタルしてみた。

話題になっていたころは興味はなかった。実は全編CGアニメだと思っていた。ジェームスキャメロン監督の作品だと知らなかった。

 

足の悪い主人公が別の人になって自由に世界生きる、そして新たな思いや人生を見つけていく、そんな話が自分はシンパシーを感じた。

今の自分も病気で思うように人生を送れていない。そんな中で実はSNSやblog、動画共有サイトが生きる感覚を与えてくれているのがある。

粗末な作品や簡単な言葉しか投稿できていないが、それでも反応をくれる人がいる。普段の生活では他人と接点はないので、それはとてもうれしく感じる。

職場などの人間関係は怖くて避けてしまいたい自分だけど、ネット上のそのくらいの人間関係なら良い感情を持つことができている。

そして自分の願望をほんの少しだけ満たすことができる活動ができている。自分のネット活動の痕跡を何回も見返してしまう。

 

映画「アバター」では物語の中盤からは主人公は自分が足が悪いという事に何も触れていなかった。それより今できた使命に生きていた。

つまり、病気が人生、障害が人生でなくなったという事だ。主体が自分自身になったのだ。

病気の予後がいいという人は、人生に病気と違うものが優先されているらしい。病気以外のものが人生の主体になっているのだ。

それに付随して病気と付き合って生きていく、アバターの主人公も自分にはそう見えた。

 

これからに自分はどうなりたいのか、それがこの映画「アバター」を観て自分は何かを悟った。

病気のくやしさを跳ね返すために努力するのでない、呪いから自分を取り戻すのだと。

 

人生は有限、こんな足踏みをしている間に終わってしまう。先々はこれからもっと悪くなるのかと不安だらけだけど、現在も呪いにかけられて生きるのは嫌だ。

 

 

 

 

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他人に影響はされないが・・・他人を知りたい

2024年08月19日 | 大切にしている事

他人には影響されないしかし他人はどんな事をしているかは知りたい、そんな気持ちがふと沸き起こった。
きっかけは中高年のお見合いパーティーの動画を見たことである。
世間、そう世間はどんな価値観でどんな流れでどんな動きをしているのか、それが現在全くわからなく見ることも知ることも無くなってしまっているのだ。

掘り下げると人生とは?という事に行き着く。
雪を見たことが無く雪というものの存在も知らないで死んでゆく、しかし世間はウィンタースポーツや冬の風情を知って人生を歩む、こんな事を考えてしまう。
知らないから不幸にもならないというのもあるだろう。それしか知らないし無いから自分が不幸だと思わない。不幸は比較から生まれる。他人や自分の理想や願望との比較から。

もしかしたら今の生活様式は自分にとってとても良いのかもしれない。世間知らずではあるがそれ故に不幸を感じない。
自分が思うままに、自分は幸せと感じる事を思うままに、それが世間ではどう扱われていようが自分の思うままに感じる。

人生は一度切り、それが自分をこんな風に悩ませてしまう時がある。


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特別を求めない、日々の平穏に感謝を

2022年09月03日 | 大切にしている事
9月になった。もう夏の終わり。
今年の夏は、、、やはり何もなかった。自宅部屋でほとんど過ごした。
その時によく思った事あった、そう人生一度きりと。

いつも若いYoutuberのチャンネルを観ている。すると思う、自分がドブに捨てた人生の時期を。
若いYoutuberから人生って他にこんなに楽しそうな事があったのか?と気付かされる。
自分は若い時もほとんど自宅で過ごし寝ていた。今になって障害を負った人生の哀れさを痛感させられる。

まだこれからがあるではないか?となるが、障害が重くなりできる事がかなり下がった。なので今は平穏、今の状態を維持して悪くならないようにする事を肝に銘じている。つまり攻めることはできない。

ようは今の日々に感謝する事なんだと。
そして支えてくれている家族がいなくなった時をもう覚悟している。それを思うといつも涙が出てしまう。でもそれはいつか来る日。

今をもう少し笑顔で過ごせるようになりたい。

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