Anyone Who Had A Heart performed by Cilla Black
The Dolphin performed by Luiz Eça
"The Dolphin"はボサノヴァファンよりジャズファン、いやジャズミュージシャンに愛されてきた曲なのではないだろうか。
ビル・エヴァンス/ Bill Evanceの"From Left to Right"というアルバムには"Before"と"After"という二部構成でこの曲が収録されており、ビル・エヴァンス流のジャズサンバを演奏している。
スタン・ゲッツ/ Stan Getzもタイトル自体が"The Dolphin"というアルバムを発表しており、肩の力の抜けたサックスプレイでルイス・エサ/ Luiz Eçaの世界観を表現している。
ジャッキー・テラソン/ Jacky Terrassonの"The Dolphin"も憂いに満ちた曲調で楽しめる。
尤も、ルイス・エサ/ Luiz Eça本人の"The Dolphin"が素晴らしいのは間違いがない。
"The Dolphin"はボサノヴァファンよりジャズファン、いやジャズミュージシャンに愛されてきた曲なのではないだろうか。
ビル・エヴァンス/ Bill Evanceの"From Left to Right"というアルバムには"Before"と"After"という二部構成でこの曲が収録されており、ビル・エヴァンス流のジャズサンバを演奏している。
スタン・ゲッツ/ Stan Getzもタイトル自体が"The Dolphin"というアルバムを発表しており、肩の力の抜けたサックスプレイでルイス・エサ/ Luiz Eçaの世界観を表現している。
ジャッキー・テラソン/ Jacky Terrassonの"The Dolphin"も憂いに満ちた曲調で楽しめる。
尤も、ルイス・エサ/ Luiz Eça本人の"The Dolphin"が素晴らしいのは間違いがない。
Un Homme Et Une Femme performed by Monique et Louis Alderbelt
60年代の日本においてボサノヴァを好きになるチャンスはいくつかあったが、多くの日本人を鮮烈な映像と共に痺れさせたのは映画 "男と女/ Un Homme Et Une Femme"だったと思う。ダバダバダのイントロだけで空気が変わってしまうテーマ曲に老若男女が酔いしれた。
"男と女/ Un Homme Et Une Femme"のサウンドトラック盤はかなりの数が出回っているが、実はこんなカバー盤も日本で発売されていた。
歌っているモニック&ルイ・アルデベール/ Monique et Louis Alderbeltはフランスのジャズコーラスグループ、ダブルシックス・オブ・パリ/ The Double Six of Parisでも活躍した夫婦ユニット。ダブルシックス・オブ・パリはクリスチャンヌ・ルグラン/ Christiane Legrand、ワード・スウィングル/ Ward Swingleも在籍した伝説のグループだ。
お馴染みのダバダバダフレーズが高速スキャットで始まり、途中ボサノヴァにクールダウン、最後にバップスキャットで締めくくるというジャズ・アレンジが素晴らしい。当時このシングルを聴いていた人が羨ましい。
フランス盤シングルはデザイン性の高いジャケットが印象的だ。
60年代の日本においてボサノヴァを好きになるチャンスはいくつかあったが、多くの日本人を鮮烈な映像と共に痺れさせたのは映画 "男と女/ Un Homme Et Une Femme"だったと思う。ダバダバダのイントロだけで空気が変わってしまうテーマ曲に老若男女が酔いしれた。
"男と女/ Un Homme Et Une Femme"のサウンドトラック盤はかなりの数が出回っているが、実はこんなカバー盤も日本で発売されていた。
歌っているモニック&ルイ・アルデベール/ Monique et Louis Alderbeltはフランスのジャズコーラスグループ、ダブルシックス・オブ・パリ/ The Double Six of Parisでも活躍した夫婦ユニット。ダブルシックス・オブ・パリはクリスチャンヌ・ルグラン/ Christiane Legrand、ワード・スウィングル/ Ward Swingleも在籍した伝説のグループだ。
お馴染みのダバダバダフレーズが高速スキャットで始まり、途中ボサノヴァにクールダウン、最後にバップスキャットで締めくくるというジャズ・アレンジが素晴らしい。当時このシングルを聴いていた人が羨ましい。
フランス盤シングルはデザイン性の高いジャケットが印象的だ。
この曲はSaravahレーベルのコンピレーションで聴くことが出来る。
Chega de Saudade performed by Leny Andrade Trio featuring Toots Thielemans
レニー・アンドラージ/ Leny Andradeは1943年リオデジャネイロ出身のシンガーで、ジャズ・サンバの女帝と称えられている。
彼女の音楽キャリアだが、6歳でクラシックピアノを習い始め、9歳の時にはラジオショーで歌い始めたという。15歳になるとサンパウロを拠点にディック・ファルネイ/ Dick Farneyのオーケストラでクルーナー(バラード中心の歌手)を務めた。
1965年、ペリー・リビエロ/ Pery Ribeiro、ボッサ・トレ/ Bossa Trêsと共にGemini VというショーをPorão 73というナイトクラブで行い成功を収め、一躍スターダムに駆け上がる。その模様はライブレコードとなっており、耳にした方も多いと思う。同年、その後の彼女のレパートリーとしても重要な曲となる"Estamos Aí" を録音している。
その後レニーは1966年から1970年までメキシコを活動の拠点としている。1972年にはペリー・リビエロとGemini V showを再開、"Gemini Cinco Anos Depois"というライブアルバムをリリースしている。
1980年から90年にかけてはブラジルと北米で活躍するが、1993年には拠点をニューヨークに移し、精力的に全米各地のジャズフェスティバルで歌声を披露している。今日の映像は拠点を移す前の1991年の自身のトリオを率いてのライブ映像で、Toots Thielemansをゲストに迎えてしっとりとした大人のボサを聴かせてくれる。
レニー・アンドラージ/ Leny Andradeは1943年リオデジャネイロ出身のシンガーで、ジャズ・サンバの女帝と称えられている。
彼女の音楽キャリアだが、6歳でクラシックピアノを習い始め、9歳の時にはラジオショーで歌い始めたという。15歳になるとサンパウロを拠点にディック・ファルネイ/ Dick Farneyのオーケストラでクルーナー(バラード中心の歌手)を務めた。
1965年、ペリー・リビエロ/ Pery Ribeiro、ボッサ・トレ/ Bossa Trêsと共にGemini VというショーをPorão 73というナイトクラブで行い成功を収め、一躍スターダムに駆け上がる。その模様はライブレコードとなっており、耳にした方も多いと思う。同年、その後の彼女のレパートリーとしても重要な曲となる"Estamos Aí" を録音している。
その後レニーは1966年から1970年までメキシコを活動の拠点としている。1972年にはペリー・リビエロとGemini V showを再開、"Gemini Cinco Anos Depois"というライブアルバムをリリースしている。
1980年から90年にかけてはブラジルと北米で活躍するが、1993年には拠点をニューヨークに移し、精力的に全米各地のジャズフェスティバルで歌声を披露している。今日の映像は拠点を移す前の1991年の自身のトリオを率いてのライブ映像で、Toots Thielemansをゲストに迎えてしっとりとした大人のボサを聴かせてくれる。
One Note Samba and Bluesette performed by Toots Thielemans and Birgit Lystager
トゥーツ・シールマンス/ Toots Thielemansはジャズの分野で偉大な業績を残したミュージシャンであると同時に、"ハーモニカおじさん"としてジャズ以外の音楽ファンにも長年親しまれた音楽家だ。ギタリストとしても一流で、口笛とギターの組み合わせや、ハーモニカとギターの組み合わせなど、アレンジに合わせた多彩な演奏でリスナーを楽しませてくれた。
筆者が最初にハーモニカおじさんのことを知ったのは、エリス・レジーナ/ Elis Reginaとの競演アルバム"Elis & Toots"だったと記憶している。オリジナル盤は1969年のリリースだが、筆者は「ブラジルの水彩画」と題された、ジャケットが内容と全くそぐわない日本盤のサンバのジャケットで知ったため、トゥーツ・シールマンスがどんな人物かは想像するしかなかった。後にオリジナル盤を見て年配の音楽家と知って驚いた記憶がある(トゥーツ・シールマンスは1922年生まれなので、1969年の時点で47歳だった)。
トゥーツ・シールマンスの凄いところは、お呼びがかかれば全世界どこでも移動してレコーディングやライブをこなしていることだ。体力面でも凄いのだが、トゥーツがサウンドプロダクションに絡むと、魔法にかけられたかのように、紡ぎだされる音がまろやかになるのだ。
今日の映像はデンマークの歌のお姉さん、ビアギッテ・ルゥストゥエア/ Birgit Lystagerとのデュエットで"One Note Samba"とトゥーツ作曲の"Bluesette"だ。
トゥーツ・シールマンス/ Toots Thielemansはジャズの分野で偉大な業績を残したミュージシャンであると同時に、"ハーモニカおじさん"としてジャズ以外の音楽ファンにも長年親しまれた音楽家だ。ギタリストとしても一流で、口笛とギターの組み合わせや、ハーモニカとギターの組み合わせなど、アレンジに合わせた多彩な演奏でリスナーを楽しませてくれた。
筆者が最初にハーモニカおじさんのことを知ったのは、エリス・レジーナ/ Elis Reginaとの競演アルバム"Elis & Toots"だったと記憶している。オリジナル盤は1969年のリリースだが、筆者は「ブラジルの水彩画」と題された、ジャケットが内容と全くそぐわない日本盤のサンバのジャケットで知ったため、トゥーツ・シールマンスがどんな人物かは想像するしかなかった。後にオリジナル盤を見て年配の音楽家と知って驚いた記憶がある(トゥーツ・シールマンスは1922年生まれなので、1969年の時点で47歳だった)。
トゥーツ・シールマンスの凄いところは、お呼びがかかれば全世界どこでも移動してレコーディングやライブをこなしていることだ。体力面でも凄いのだが、トゥーツがサウンドプロダクションに絡むと、魔法にかけられたかのように、紡ぎだされる音がまろやかになるのだ。
今日の映像はデンマークの歌のお姉さん、ビアギッテ・ルゥストゥエア/ Birgit Lystagerとのデュエットで"One Note Samba"とトゥーツ作曲の"Bluesette"だ。
参考のために"Elis & Toots"のジャケットと、「ブラジルの水彩画」のジャケットをアップしておく。
Mas Que Nada performed by Vikki Carr
ヴィッキー・カー/ Vikki Carrは1941年、アメリカ テキサス州エルパソ出身のポピュラー歌手だが、バラードやスイング、ロックまで幅広くレパートリーとしているほか、スペイン語でラテンを歌わせても一流で、本国のアメリカはもとより中南米での評価が高く、現在でも活動中だという。
彼女が1967年に発表したアルバム"Intimate Excitement"で"Mas Que Nada"を取り上げており、B面の扱いではあるが日本でもシングルが切られていた。日本版のシングルのジャケットはオリジナルLPのデザインを踏襲しており、日本独特のロゴタイプと相俟って1967年当時のラテン音楽の楽しみ方を今に伝えてくれる。
海辺の一等地でエミリオ・プッチ風のドレスを纏い、優雅な微笑を湛えるヴィッキー・カー。エキゾティックなメロディーと心躍らすリズム ― ヴァカンスを楽しむための音楽、それがボサノヴァ。同じく1967年に発売されているNancy AmesのSpiced with BrasilでもMas Que Nadaが収録されているのだが、ヴィッキー・カーのMas Que Nadaと続けて聴いてみると、アメリカの音楽業界がブラジル音楽をポピュラー音楽のラテン部門としてブランディングしていたことが分かる。
Vikki CarrのMas Que Nadaは映像がないので、同時期に発表されたNancy Amesの作品をお楽しみあれ。
ヴィッキー・カー/ Vikki Carrは1941年、アメリカ テキサス州エルパソ出身のポピュラー歌手だが、バラードやスイング、ロックまで幅広くレパートリーとしているほか、スペイン語でラテンを歌わせても一流で、本国のアメリカはもとより中南米での評価が高く、現在でも活動中だという。
彼女が1967年に発表したアルバム"Intimate Excitement"で"Mas Que Nada"を取り上げており、B面の扱いではあるが日本でもシングルが切られていた。日本版のシングルのジャケットはオリジナルLPのデザインを踏襲しており、日本独特のロゴタイプと相俟って1967年当時のラテン音楽の楽しみ方を今に伝えてくれる。
海辺の一等地でエミリオ・プッチ風のドレスを纏い、優雅な微笑を湛えるヴィッキー・カー。エキゾティックなメロディーと心躍らすリズム ― ヴァカンスを楽しむための音楽、それがボサノヴァ。同じく1967年に発売されているNancy AmesのSpiced with BrasilでもMas Que Nadaが収録されているのだが、ヴィッキー・カーのMas Que Nadaと続けて聴いてみると、アメリカの音楽業界がブラジル音楽をポピュラー音楽のラテン部門としてブランディングしていたことが分かる。
Vikki CarrのMas Que Nadaは映像がないので、同時期に発表されたNancy Amesの作品をお楽しみあれ。
Mas Que Nada performed by The Tubby Hayes Orchestra
タビー・ヘイズ/ Tubby Hayesは、イギリス ロンドン屈指のハード・バッパーで、パワフルでありながらとメロディアスなフレージングで世界的な名声を博したテナー・サックス奏者で、ヴィブラフォン奏者としても評価が高い。そのTubby Hayesが1970年にThe Tubby Hayes Orchaestra名義でリリースしたアルバムでMas Que Nadaを気持ち良さそうにプレイしている。
このアルバムのことを知った時、あのTubby HayesがMas Que Nadaを!と驚いたが、1970年と言えばマイルス・ディヴィス/ Miles Davisがビッチェズ・ブリュー/ Bitches Brewで提示した謎解きに音楽業界全体が頭を抱えていた時期で、一流ミュージシャンの殆どは第三世界の音楽に目を向け、フュージョンと呼ばれるジャンルで自分なりの答えを出そうともがいていた。タビー・ヘイズも模索の途中だったのだろうが、残念ながらこのアルバムの3年後の1973年に38歳の若さで亡くなっている。
タビー・ヘイズ/ Tubby Hayesは、イギリス ロンドン屈指のハード・バッパーで、パワフルでありながらとメロディアスなフレージングで世界的な名声を博したテナー・サックス奏者で、ヴィブラフォン奏者としても評価が高い。そのTubby Hayesが1970年にThe Tubby Hayes Orchaestra名義でリリースしたアルバムでMas Que Nadaを気持ち良さそうにプレイしている。
このアルバムのことを知った時、あのTubby HayesがMas Que Nadaを!と驚いたが、1970年と言えばマイルス・ディヴィス/ Miles Davisがビッチェズ・ブリュー/ Bitches Brewで提示した謎解きに音楽業界全体が頭を抱えていた時期で、一流ミュージシャンの殆どは第三世界の音楽に目を向け、フュージョンと呼ばれるジャンルで自分なりの答えを出そうともがいていた。タビー・ヘイズも模索の途中だったのだろうが、残念ながらこのアルバムの3年後の1973年に38歳の若さで亡くなっている。
Garota de Ipanema performed by Nossa Alma Canta
O Pato performed by Stan Getz and Charlie Byrd
以前のエントリーに書いたが、Verveレコードは60年代、スタン・ゲッツ/ Stan Getzをメインに据え、国内外の有名ミュージシャンをゲストに招き、立て続けにボサノヴァのレコードを録音している。これらの作品は全てカタログ化され、現在でも入手が可能だ。つまり21世紀になっても売れ続けている音楽という訳だ。
"鵞鳥のサンバ"というタイトルは聞き慣れないと思うが、原題は"O Pato" だからボサノヴァ・ファンの皆様はご存知だろう。Jayme Silva, Neuza Teixeiraによって制作され、ジョアン・ジルベルト/ João Gilbertoの1960年のアルバム"O Amor, o Sorriso e a Flor"に収録され広く知られた曲だ。
この曲が60年代の米国におけるボサノヴァブームの発火点となったアルバム"Jazz Samba"(1962年4月リリース)に収録され、世界に発信された。日本では"鵞鳥のサンバ"というタイトルで1963年1月にシングルカットされた。ジャケットの惹句は"話題のリズム・ボサ・ノバの本命盤!"、カップリング曲は"Samba Dees Days"だ。
スタン・ゲッツ/ Stan Getzとチャーリー・バード/ Charlie Byrdによる映像が残っているので是非ごらん頂きたい。Perry Como Showに出演した時のライブ映像だ。ボサノヴァって大人向けの音楽だったことが分かる。
以前のエントリーに書いたが、Verveレコードは60年代、スタン・ゲッツ/ Stan Getzをメインに据え、国内外の有名ミュージシャンをゲストに招き、立て続けにボサノヴァのレコードを録音している。これらの作品は全てカタログ化され、現在でも入手が可能だ。つまり21世紀になっても売れ続けている音楽という訳だ。
"鵞鳥のサンバ"というタイトルは聞き慣れないと思うが、原題は"O Pato" だからボサノヴァ・ファンの皆様はご存知だろう。Jayme Silva, Neuza Teixeiraによって制作され、ジョアン・ジルベルト/ João Gilbertoの1960年のアルバム"O Amor, o Sorriso e a Flor"に収録され広く知られた曲だ。
この曲が60年代の米国におけるボサノヴァブームの発火点となったアルバム"Jazz Samba"(1962年4月リリース)に収録され、世界に発信された。日本では"鵞鳥のサンバ"というタイトルで1963年1月にシングルカットされた。ジャケットの惹句は"話題のリズム・ボサ・ノバの本命盤!"、カップリング曲は"Samba Dees Days"だ。
スタン・ゲッツ/ Stan Getzとチャーリー・バード/ Charlie Byrdによる映像が残っているので是非ごらん頂きたい。Perry Como Showに出演した時のライブ映像だ。ボサノヴァって大人向けの音楽だったことが分かる。