ジャズとボサノヴァの日々

Days of Jazz and Bossa Nova

世界的オペラ歌手ナタリー・デセイがパトリシア・プティボンと"Chanson des Jumelles"でスイングする

2015-02-28 20:00:00 | Michel Legrand
Chanson des Jumelles performed by Natalie Dessay and Patricia Petibon

現代最高峰のオペラ歌手の一人であり、美貌も兼ね備えたフランスの実力派ソプラノ、ナタリー・デセイNatalie Dessayは元々女優として活躍していたが、周囲の奨めによりボルドー国立音楽院で声楽を学びトゥールーズの教会で聖歌隊員を経験した後、声楽コンクール「新しい声」に優勝、1990年にウィーン国立歌劇場で開かれた国際モーツァルト・コンクールで優勝し、一躍世界に知られるところとなり、欧米の名だたるオペラハウスに出演、世界中の音楽祭からも引っ張りだことなる。


2001年以降、声の不調に悩まされ、2年間舞台を去り、声帯の手術を行う。2003年2月のパリにおける復活公演を大成功に終えるも声帯の故障が再発するなど引退説が囁かれていた。

2013年10月15日、トゥールーズ歌劇場における『マノン』出演を持ってオペラから引退し、今後は女優、シャンソン歌手への転向を表明した。

今日紹介するのは彼女のアルバム"Entre elle et lui" 「ミシェル・ルグランをうたう」(2013年)から"Chanson des Jumelles"「双子姉妹の歌」。この曲は"Les Demoiselles de Rochefort" 「ロシュフォールの恋人たち」(1966年)の中で、主演のカトリーヌ・ドヌーブとフランソワーズ・ドルレアックが踊りながら歌っていた映画のハイライトとなる作品だ。

ピアノの伴奏をつけているのは作曲者のミシェル・ルグラン本人。ボーカル二人が思いっきりスイングしている後ろで、弾けたリズムで存在を主張しているのがルグランらしくて楽しくなるね。



Natalie Dessayオフィシャルサイト

作品の詳細はこちらから。



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ウクライナのジャズ・ボーカリスト、ユリヤ・ローマが"Chega de Saudade"でジョビンへ敬意を捧げる

2015-02-27 20:00:00 | Chega de Saudade
Chega de Saudade performed by Юлия Рома

Юлия Рома(Yuliya Roma、ユリヤ・ローマ)のサロン形式のライブから今日は"Chega de Saudade"を紹介する。



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ウクライナのサロンでTristeを歌うユリヤ・ローマは、まるで60年代を駆け抜けたボサノヴァ歌手のようだ

2015-02-26 20:00:00 | Triste
Triste performed by Юлия Рома

Юлия Рома(Yuliya Roma ユリヤ・ローマ)のサロン形式でのライブでアントニオ・カルロス・ジョビンAntonio Carlos Jobimの曲をいくつか演奏している映像があったので紹介する。今日は"Triste"だ。


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Desafinado performed by Nova

2015-02-25 20:00:00 | Desafinado
Novaは米国ロサンゼルスを拠点に活動しているバンドで、ボサノヴァやサンバを主なレパートリーとするなどクラシカルな一面がある反面、2011年にビデオクリップ配信で世界的な注目を集めるという今どきの戦略を駆使しているのが面白い。

ホームページによると、2014年にファーストアルバムをiTunes Storeでリリースしたようだ。演奏力、歌唱力共にこれからの成長を期待したいところだが、現在進行形で本格的なボサノヴァが楽しめるのは嬉しい。







Nova公式ホームページ

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Desafinado performed by Nina Persson

2015-02-24 20:00:00 | Desafinado
カーディガンズThe Cardigansは1992年に結成されたスウェーデンのバンドで、1995年発表の2作目のアルバム"Life"は、当時渋谷系と称するお洒落なリスナーに歓迎され日本でも大ヒットとなり、プラチナ・アルバムとなった。同アルバムからのシングル"Carnival"の初々しい歌声を覚えている方も多いだろう。

そのカーディガンズの女性ボーカルがニーナ・パーションNina Perssonだ。上手いのか下手なのか分からない歌唱力はボサノヴァ歌わせたらどうなんだろうね、と20年前に思っていたのだが、やっぱり歌っていた。1996年にDesafinadoをMTVで披露していた。




ちなみに最近はニューヨークに住んでいるらしい。最近の写真を見ると、昔の穏やかな表情が消えて怖いぐらいだ。デボラ・ハリーDeborah Harryもしくはパティ・スミスPatti Smithあたりを目指しているのだろうか?

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500 Miles High performed by Юлия Рома

2015-02-23 20:00:00 | 500 Miles High
以前のブログにも書いたが、リターン・トゥ・フォーエバーReturn To Foreverのファーストアルバム(1972年)はジャズの流れを一気に変えた。

収録曲の全てが素晴らしく、しかもその楽曲を個性豊かに表現する参加ミュージシャンの演奏能力の高さが衝撃的だった。リターン・トゥ・フォーエヴァーはチック・コリアのソロ名義だが、実質的にはバンドとしてのデビュー作だ。チック・コリア(キーボード)のエレクトリック・ピアノは幻想的でありながらグルーヴ感を生み出しているし、スタンリー・クラーク(ベース)はベースがリズムと同時にメロディーを奏でることの出来る楽器だということを証明した。ジョー・ファレル(サックス、フルート)は激しいリズムの合間を縫ってリリシズム溢れた情景を描き出し続ける。アイアート・モレイラ(ドラム)のドラムも強烈なアクセントになっているし、フローラ・プリム(ヴォーカル、パーカッション)のヴォーカリゼーションは永遠への回帰を誘うセイレーンの歌声そのものだ。

リターン・トゥ・フォーエバー好きを集めて、どのミュージシャンがこのアルバムの完成度に貢献しているのか、それは何故なのかを議論させると、夜を明かして白熱した論争で盛り上がることだろう。

フローラ・プリンFlora Purimの歌声が本作品の完成度を究極まで高めているのは論を待たないが、それはセカンドアルバム"Light As A Feather"においても同様で、むしろフローラのファンにとっては2枚目の方をベストと推す向きもあるのではないだろうか。

そのセカンドアルバムに収録された曲で、後にフローラのソロアルバムのタイトルともなったのが"500 Miles High"だ。実はこの曲を歌いこなすのはかなり難しいらしく、幾多の有名女性ボーカリストが挑戦してきたが、フローラが描き出す世界観を凌駕する作品に出会ったことがない。

しかし今日紹介する女性ボーカリストЮлия Ромаの"500 Miles High"を聴いて、私は直ぐにその認識を改めた。Юлия Рома(英語表記でYuliya Roma、発音はユリヤ・ローマだと思う。以下ユリヤ)はウクライナのジャズボーカリストだが、この曲においてフローラの世界観を追いかけつつも自分なりに彩を加えているのが素晴らしい。


ユリヤは5歳の頃から歌手として頭角を現しており、地元の音楽コンテストでは常に優勝を飾っていたと言う。1994年にキエフの音楽大学に入学、そこでJazzの魅力に取り憑かれる。1997年ドネツクで開催された国際ジャズフェスティバルでJazzボーカリストとしてデビューした。 2002年にユリヤはDoDj2002国際ジャズコンテストの受賞者となる。2004年からは作詞・作曲にも取り組み始める。詳細は公式ホームページに詳しい。

ホームページを見ると最近の活動状況が更新されていないようだ。現在ウクライナの情勢が不安定なだけに、彼女の活動の場が制限されているのだとしたら残念だ。


Юлия Рома公式ホームページ

フローラ・プリンの500 Miles Highはこのアルバムだ。


オリジナルの500 Miles HighはこのReturn to Foreverのアルバムに収録されている。

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Canto de Ossanha performed by Astrud Gilberto with Emily Remler

2015-02-22 20:00:00 |  Canto de Ossanha
昨日のエントリで書いたようにエミリー・レムラーEmily Remlerは1980年代初頭の数年間、アストラッド・ジルベルトAstrud Gilbertoのツアーギタリストを勤めている。今日紹介する映像は1983年10月28日、アイルランド共和国南部のコーク州にあるオペラハウスにて行われたライブで演奏された"Canto de Ossanha"だ。



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How Insensitive performed by Emily Remler

2015-02-21 20:00:00 | Insensatez
エミリー・レムラーEmily Remlerはチャーリー・クリスチャンCharlie Christian、ウェス・モンゴメリーWes Montgomeryなどの影響を受けた女性ジャズギタリスト。1957年米国ニューヨーク市で生まれ 1990年に心不全により若くしてこの世を去った。


エミリーはジミ・ヘンドリックスJimi Hendrixやジョニー・ウインターJohnny Winterに触発されて10歳でギターを演奏し始めたが、1976年から1979年まで学んだマサチューセッツ州ボストンのバークリー音楽院でジャズに深く傾倒し練習に励んだという。

バークリー音楽院ではセリア・ヴァズCélia Vazに師事してボサノヴァを学んだと彼女の追悼ホームページに記載されている。セリア・ヴァズは現在も活躍する女性ギタリストで、バークリー音楽院で学友だったパット・メセニーPat Methenyとトニーニョ・オルタToninho Hortaを引き合わせたと言われている。エミリーのギター奏法を説明する時にウェス風と言う表現が良く使われるが、セリア・ヴァズからViolao(ボサノヴァで使われるギター)の手ほどきを受けてたとしたら、1980年代始めにアストラッド・ジルベルトAstrud Gilbertoのツアーギタリストとして活躍したのも頷ける。



Emily Remler追悼ホームページ

Célia Vaz公式ホームページ

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Mas Que Nada performed by Luiz Henrique

2015-02-20 20:00:00 | Mas Que Nada
1960年代、北米の音楽業界はテレビやラジオ、雑誌と言う媒体を積極的に活用してボサノヴァをマーケティングし、ボサノヴァを一つの音楽ジャンルとして見事に確立した。北米の影響をダイレクトに受けている日本は、このマーケティングプログラムのお陰でセルジオ・メンデスSérgio Mendesを始めとするブラジルのミュージシャンを知ることが出来たとも言えよう。

セルジオ・メンデスが契約していたA&Mレコードにはレーベル設立者のハーブ・アルバートHerb Alpertが率いるハーブ・アルバート&ティファナブラスHerb Alpert & The Tijuana Brassや、カーペンターズCarpentarsバート・バカラックBurt Bacharachなど日本でも人気の高かった錚々たるアーティストが所属しており、特にメディア戦略に長けていたレーベルなので当時の映像が数多く残っている。だが視点を変えれば当時日本で知り得たボサノヴァのアーティストは業界が提供していた情報源に限られていた訳だ。

ジャズというフィールドでボサノヴァを伝播していたミュージシャンも無数に存在したが、当時の日本のジャズファンの一部には知られていても、ポピュラー音楽のファンには知りえる術がなかったと思う。

今日紹介するルイス・エンリケLuiz Henriqueもその1人だ。ルイス・エンリケは1964年に"A bossa moderna de Luiz Henrique"というファーストアルバムをリリース、同年のライブ盤"E tempo de Musica Popular"を残した後、1966年から米国で音楽活動を開始した。1967年、ジャズレコードの名門Verveから"Barra Limpa" をリリース、アメリカでも既に知名度の高かった"Reza"や"Mas Que Nada"を取り上げている。


驚くべきはVerveのマーケティング戦略だ。なんと1967年のニューポート・ジャズ・フェスティバル"Newport Jazz Festival"でルイス・エンリケに"Mas Que Nada"を歌わせている。最初に観客が映されているが、この変な歌い方をしたシンガーに戸惑うジャズファンの様子を興味深く感じた。

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Canto de Ossanha performed by Marie Laforêt with Egberto Gismonti

2015-02-19 20:00:00 |  Canto de Ossanha
フランス映画「男と女 "Un Homme et Une Femme"」(1966年)において、サウンドトラックとして使われたボサノヴァがこの作品の見事な映像美を更に純化していることは間違いない。そしてフランスにおけるボサノヴァ熱は、この映画が発火点となって熱狂化していったと思われる。キーパースンはフランシス・レイFrancis Laiと共に映画音楽を担当したピエール・バルーPierre Barouhだ。

後年レア・グルーヴシーンで発掘されるジャズ・サンバの傑作Le Trio Camaraのアルバムが1968年に発売されているが、このトリオは「男と女」に出演もしていたピエール・バルーがブラジルで発掘し、フランスでデビューさせたと言われており、一連の流れからフランスにおけるボサノヴァ音楽普及化のロードマップがピエール・バルーによって描かれていたことは想像に難くない。ピエール・バルーが主宰するサラヴァSARAVAHレーベルが果たした功績については別途紹介したいと思う。

そしてピエール・バルーがボサノヴァをフランスで広めていた時期に、あるブラジル人音楽家がフランスで活躍していた。孤高のアーティスト、エグベルト・ジスモンチEgberto Gismontiだ。彼は1967年にフランスへ渡り、歌手のマリー・ラフォーレMarie Laforêtの指揮者、編曲家を勤めていたのだ。実は今日紹介するマリー・ラフォレMarie Laforêtの1970年の映像を観るまではジスモンチのキャリアにフランスでの活動があったなんて知らなかった。


参考までにエグベルト・ジスモンチのプロフィールを日本の公式サイトから引用させて頂いた。なんとフランスに渡航するきっかけはアントニオ・カルロス・ジョビンの言葉だったというから人生は面白い。

「エグベルト・ジスモンチは1947年、ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ州カルモで、レバノン人の父、イタリア、シシリー島出身の母の間に生まれる。5歳からピアノを、10代でフルート、クラリネットギターを始める。1967年、ブラジル音楽院の奨学金でウィーンに渡る予定が、トム・ジョビンの一言で奨学金を蹴り、単身パリに渡る。フランスの女優マリー・ラフォーレの依頼でアレンジなどの仕事をする傍ら、コープランド、バーンスタイン、ピアソラ等を教えたナディア・ブーランジェ女史に出逢い、作曲とオーケストレーションを学ぶ。

1969年、MPBソング・フェスティバル入賞のご褒美に、デビュー作"EGBERTO GISMONTI"をブラジルでリリース。翌年、"SONHO 70"、"ORFEO NOVO"で欧州デ ビュー。1971年、ブラジルに帰国。そして、アマゾンの密林でインディオと共に生活し、ブラジルの土着音楽に対する造詣を深め、独自の音楽性を身につけた。」

マリー・ラフォーレのバックでギターを弾いているのがエグベルト・ジスモンチだ。ジスモンチは1947年生まれだから、23歳の時の映像ということになる。ジスモンチのギターは荒削りながら音の粒が立っていて、曲の進行に合わせて、どんどん気持ちが高ぶっていくのは私だけだろうか。


エグベルト・ジスモンチ オフィシャルサイト
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