ジャズとボサノヴァの日々

Days of Jazz and Bossa Nova

拝啓 天国のブロッサム・ディアリー様 今日もピアノ・ラウンジで弾き語りしていますか?

2015-03-28 22:00:00 | Blossom Dearie
A Jazz Musician performed by Blossom Dearie in 1979


ブロッサム・ディアリー/ Blossom Dearieは1924年の4月28日、ニューヨークの郊外にあるイースト・ダーラムに生まれる。子供の時はクラシック・ピアノを習っていたが、10代のときにジャズ・ピアノに転向する。1940年代の中頃からウディ・ハーマン楽団やアルヴィノ・レイ楽団など様々なコーラス・グループに参加。また、カクテル・ピアニストとして、クラブやバーで歌ったりもしていた。

1952年にアメリカからフランスのパリへ移る。そこで知り合ったアニー・ロス/ Annie Rossやミシェル・ルグラン/ Legrandの実姉であるクリスチャン・ルグラン/ Christiane Legrandらとコーラスグループの"ブルー・スターズ/ Blue Stars"を結成。ジャズ・スタンダードの"バードランドの子守唄"をフランス語で歌うなど、数々の作品を残す。この"ブルー・スターズ"は、ダブル・シックス・オブ・パリ/ Les Double Six などへ連なるコーラス・グループの草分け的存在(ちなみに、クリスチャン・ルグランは後にスウィングル・シンガーズ/ The Swingle Singersのリード・ボーカルを務める)。

彼女はフランスでもカクテル・ピアニストとしての活動を続けており、シャンゼリゼのクラブなどで歌っていた。そこにヴァーヴ・レコードの主宰者、ノーマン・グランツが目を付けて、彼女に「アメリカで君の歌を録音したい」と提案。アメリカに帰国、"Blossom Dearie"を録音する。



夫であったフルート奏者のボビー・ジャスパーと離別に前後し、再び渡欧。アメリカとヨーロッパを行き来しながら音楽活動を続ける。1962年、飲料会社であるハイヤーズがルートビアのCMソングを歌うことを彼女に依頼。ルートビアの愛好者に彼女のレコードを景品に送る企画が持ち上がり、"Sings Rootin' Songs"を録音。1964年にはキャピトル・レコードから"May I Come In?"をリリース。当時はアメリカとヨーロッパを行き来する生活だったためイギリスのクラブでのライブ録音も残されている。

1974年には彼女の兄であるウォルター・バーチェットを社長に迎えた自主レーベル、ダフォディル・レコード/ Daffodil Recordsを設立。本日紹介した映像はダフォディル・レコードからリリースした"ウィンチェスター・イン・アップル・ブロッサム・タイム"に収録されている。

晩年は2006年まで、マンハッタンの"ダニーズ・スカイライト・ルーム"などでライブを行っていたが、2009年2月7日、老衰のためグリニッジヴィレッジで亡くなった。(Wikipediaから引用)

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