No More Blues performed by Johanna Grüssner with Skånsk Jazzadel at Falsterbo Jazzklubb
ボサノヴァはポルトガル語で歌うのが常であり、英語だとしっくりこないものだ。ポルトガル語が出来ないから英語で歌わせてもらっています、という引け目感が漂ってくることが多い。
ボサノヴァの最初のシングル曲は、ジョアン・ジルベルト/João Gilbertoが1958年の7月10日に録音した”想いあふれて/Chega de Saudade”と言われている。アントニオ・カルロス・ジョビン/Antonio Carlos Jobin作曲、ヴィニシウス・ヂ・モライス/Vinícius da Moraes作詞の世紀の名曲だ。ボサノヴァと言えば”想いあふれて/Chega de Saudade”であり、ポルトガル語で歌うのがボサノヴァを創造した3名への配慮と考えてもおかしくない。
ところが当時この曲は英語圏でも大々的にプロモーションされることとなり、"No More Blues"というタイトルで米国や英国の大物ミュージシャンにカバーされることとなる。英語詩として成立させたジョン・ヘンドリックス/Jon Hendricsのお陰で原曲"Chega de Saudage"とは別の味わいを提供してくれている。
数え切れないバージョンが存在する"No More Blues"の中で、私はフィンランド出身のジャズ・ボーカリスト ヨハンナ・グリュスネル/Johanna Grüssnerの"No More Blues"が飛びぬけて好きだ。音楽用語で言うドンシャリの効いたドラムと、ぐいぐいうねるベースが絶妙のグルーヴ感を生み出し、隙間で存在感を主張するリズムギターが緊張感を臨界点まで引き上げている。そしてクールでありながら躍動感に溢れたヨハンナのボーカルが心地よい清涼感を与えてくれる。
ヨハンナはジャズの名門として有名なバークリー音楽大学(米国マサチューセッツ州ボストン市)とマンハッタン音楽学校(米国ニューヨーク州ニューヨーク市)で音楽を学んでいる。
彼女の名前を一躍有名にしたエピソードがある。移民の子が多数を占めるブロンクスの公立学校PS86で音楽を教えていた時のことだ。全生徒のわずか4割しか英語が話せず、2割の生徒しか文字が読めない、問題児と劣等生が集まった環境で、ヨハンナは子供達に自信を持たせるために聖歌隊を結成し子供達へ歌のレッスンを開始する。そしてレッスンの成果を披露するため、自らの生まれ故郷フィンランドにツアーを行った。この彼女の取り組みが米国のキーテレビ局で取り上げられると、New York Timesのジャーナリスト、アネモネ・ハートコリス/Anemona Hartocollisが彼女の献身的な行動を記録してSeven Days of Possibilitiesという本を上梓し、評判となる。ジャズ歌手としてではなく、音楽教師として注目を集めたのだ。
プロのボーカリストとしてのヨハンナのレコーディング・セッションだが、同郷で同じバークリー音楽大学を卒業したピアニストのミカ・ポヒョラ/Mika Pohjolaと複数のアルバムを発表後、マンハッタン・ジャズ・オーケストラ/Manhattan Jazz Orchestraと"Live at Hubbard Hall(1998年)"をリリース、他にもグラミー賞受賞者のダーモン・ミーダー、ピーター・エルドリッジともコラボレーションしている。
アルバム"No More Blues"のリリースは2004年、ドラムにはパット・メセニー・グループ/Pat Metheny Groupからアントニオ・サンチェス/Antonio Sanchezが参加するなど話題となった。メンバーを記載しておこう。
Johanna Grüssner (vo) Miles Okazaki (g) Paul Pesonen (g,slide-g) Hans Glawischnig (b) Antonio Sanchez (ds)
彼女は現在、ストックホルムを拠点にミュージシャンと同時に教育者として忙しい日々を送っている。今日の映像は"No More Blues"のジャズクラブでのライブだ。アカペラでの歌を聴いてもらえれば彼女の実力が分かるだろう。バックバンドの演奏も粋だ。
彼女自身のYouTubeチャンネルにアルバム収録曲がアップされていたので以下にコピーしておく。
ボサノヴァはポルトガル語で歌うのが常であり、英語だとしっくりこないものだ。ポルトガル語が出来ないから英語で歌わせてもらっています、という引け目感が漂ってくることが多い。
ボサノヴァの最初のシングル曲は、ジョアン・ジルベルト/João Gilbertoが1958年の7月10日に録音した”想いあふれて/Chega de Saudade”と言われている。アントニオ・カルロス・ジョビン/Antonio Carlos Jobin作曲、ヴィニシウス・ヂ・モライス/Vinícius da Moraes作詞の世紀の名曲だ。ボサノヴァと言えば”想いあふれて/Chega de Saudade”であり、ポルトガル語で歌うのがボサノヴァを創造した3名への配慮と考えてもおかしくない。
ところが当時この曲は英語圏でも大々的にプロモーションされることとなり、"No More Blues"というタイトルで米国や英国の大物ミュージシャンにカバーされることとなる。英語詩として成立させたジョン・ヘンドリックス/Jon Hendricsのお陰で原曲"Chega de Saudage"とは別の味わいを提供してくれている。
数え切れないバージョンが存在する"No More Blues"の中で、私はフィンランド出身のジャズ・ボーカリスト ヨハンナ・グリュスネル/Johanna Grüssnerの"No More Blues"が飛びぬけて好きだ。音楽用語で言うドンシャリの効いたドラムと、ぐいぐいうねるベースが絶妙のグルーヴ感を生み出し、隙間で存在感を主張するリズムギターが緊張感を臨界点まで引き上げている。そしてクールでありながら躍動感に溢れたヨハンナのボーカルが心地よい清涼感を与えてくれる。
ヨハンナはジャズの名門として有名なバークリー音楽大学(米国マサチューセッツ州ボストン市)とマンハッタン音楽学校(米国ニューヨーク州ニューヨーク市)で音楽を学んでいる。
彼女の名前を一躍有名にしたエピソードがある。移民の子が多数を占めるブロンクスの公立学校PS86で音楽を教えていた時のことだ。全生徒のわずか4割しか英語が話せず、2割の生徒しか文字が読めない、問題児と劣等生が集まった環境で、ヨハンナは子供達に自信を持たせるために聖歌隊を結成し子供達へ歌のレッスンを開始する。そしてレッスンの成果を披露するため、自らの生まれ故郷フィンランドにツアーを行った。この彼女の取り組みが米国のキーテレビ局で取り上げられると、New York Timesのジャーナリスト、アネモネ・ハートコリス/Anemona Hartocollisが彼女の献身的な行動を記録してSeven Days of Possibilitiesという本を上梓し、評判となる。ジャズ歌手としてではなく、音楽教師として注目を集めたのだ。
プロのボーカリストとしてのヨハンナのレコーディング・セッションだが、同郷で同じバークリー音楽大学を卒業したピアニストのミカ・ポヒョラ/Mika Pohjolaと複数のアルバムを発表後、マンハッタン・ジャズ・オーケストラ/Manhattan Jazz Orchestraと"Live at Hubbard Hall(1998年)"をリリース、他にもグラミー賞受賞者のダーモン・ミーダー、ピーター・エルドリッジともコラボレーションしている。
アルバム"No More Blues"のリリースは2004年、ドラムにはパット・メセニー・グループ/Pat Metheny Groupからアントニオ・サンチェス/Antonio Sanchezが参加するなど話題となった。メンバーを記載しておこう。
Johanna Grüssner (vo) Miles Okazaki (g) Paul Pesonen (g,slide-g) Hans Glawischnig (b) Antonio Sanchez (ds)
彼女は現在、ストックホルムを拠点にミュージシャンと同時に教育者として忙しい日々を送っている。今日の映像は"No More Blues"のジャズクラブでのライブだ。アカペラでの歌を聴いてもらえれば彼女の実力が分かるだろう。バックバンドの演奏も粋だ。
彼女自身のYouTubeチャンネルにアルバム収録曲がアップされていたので以下にコピーしておく。
作品の詳細はこちらから。