断食・少食・ダイエット日記

週一回ほどの一日半断食と少食で、どのように変化するか。

病と食と瞑想

2013-08-10 | 闘病と食事
7月12日
脳梗塞をきっかけにチャンスがもう一度与えられたと覚悟して生活習慣を改め、過食を止めることは、私にとってもう一つ大事な意味をもつ。一応瞑想を志す人間として、過食がマイナスであることは嫌というほどわかっていたはずだ。中途半端だった瞑想を深めるためにも、いい機会を与えられたのだ。この程度の麻痺で、これから食生活をすっかり改め、心と体の両方からの修行をやり直す機会を与えてくれた何ものかの計らいに、心から感謝している。

私の元来の関心分野は精神世界にあり、魂の成長(究極的には開悟)こそが生きることの意味だった。それは今も基本的には変わらない。しかし最近の関心は政治経済分野に移り、精神世界への関心は薄れていていた。その分、瞑想にも熱心でなくなり、同時にその条件たる小食への関心も薄れていた。

少なくとも私の場合、瞑想の深まりや無意識への気づきが、小食と密接な関係があることは何回かのヴィパッサナー瞑想合宿の体験から嫌というほど分かっていた。にもかかわらず最近は食への欲求に安易に身を任せていた。体が要求するより旨いものを食べたいという欲求で過食になっていた。両者の違いにサティも入れずに。

入院して明日で2週間。その間病院で出る食事とお茶以外は飲食していない。それで空腹と感じることもない。これまでの私がいかに必要以上に食べていたかだろう。瞑想者であるなら、その時々の自分の食べたいという心理の動き、実際の満腹度等にしっかりサティ(気づき)を入れるべきだったのだ。

が、これからはそのようなサティ(気づき)の入らない過食、旨いものを食べたいという欲求に無自覚に身を任せることは許されない。三度目の脳梗塞は、実質的に人生の終わりだからだ。求道こそが人生の意味だとすれば、この病は私に与えられた最後のチャンスだったのだ。ある意味で私を追い詰めてくれたのだ。体と心の両方を整えて修行をしていくための最高のシチュエーションを与えてくれたのだ。だからこそ、この病に感謝している。

再び脳梗塞

2013-08-10 | 闘病と食事
6月29日(土)夕方3キロ程ジョギングをして入浴し、夕食時に軽くビールを飲んだ。その後少し足がふらつく感じがあった。その時は、あれ位のビールでふらつくのは体調のせいかなと思った。しかしそれが脳梗塞の前兆だった。夜中2回トイレに立った時も、ふらつきは続いていた。

翌日、朝起床して居間への階段を上った時もふらついた。そのことを妻に告げると看護師だった妻はすぐに簡単な脳梗塞のテストをしてくれた。両手を肩の高さに挙げると左腕が下がった。私はかなりためらったが妻の説得で救急車を呼んだ。日曜なので診察してもらうにはそうするほかなかった。

病院でのMRI検査で脳に9ミリ程の梗塞ありと判明し、即入院。点滴を始める。驚いたことに一晩たち(7月1日)、病院のベッドで目覚めると、左手足の麻痺があり、思うように上がらず一人で歩こうとすると転倒しそうな状態だった。左手も自分でうまく制御できなかった。

同日の朝、働いている高校に連絡を取る。5日と8日に自分の科目の試験があり、まだ未完成だったので病院にパソコンを持ち込み、完成したらメールで送ることを伝える。今後、採点から学期末の評価まですべて病院で行いメールで送ることになる。答案は息子が取りに行ってくれる。

7月2日(火)午前中再びMRI、脳と首の部分で併せて40分。その後、首と心臓のエコーを取る。心臓のエコーを取っていただいた年配の技師が面白い方で、ご自身が体重92キロから65キロへ半年で減量したという。私の脳梗塞については2回とも軽度というのは信じられないほどラッキーとのこと。

実は5年前に一度軽い脳梗塞を経験している。その時は右手の軽い麻痺と軽い言語麻痺があったが、冬休み中に5日入院しただけで職場も2日休んだだけですぐに教壇に立った。麻痺は1か月ほどでほぼ正常に戻った。脳梗塞は再発が多く、しかも2回目は重症になることが多いという。

脳梗塞が2回とも軽度だったにせよ3度目はそうとは限らない。何ものかによってもう一度だけチャンスが与えられたのだと理解し、今度こそは生活習慣や生き方自体の立直しをしようと真剣に考えている。まずは減量だ。私は入院前167センチ、72キロだったが65キロまで落としたい。